お隣、中国で、2歳の子が車にひき逃げにあったそうな。
子どもは、軍の病院で手当てをうけたものの、3日後に死亡したそうな。
問題は、事故が起きた時何十人もの通行人があったものの、見て見ぬふりだったり、よけて通る
人がいたということ。
子どもは、2台の車にひかれたいう。
何故そんなことになったのか。
「責任を追及されるので、かかわらないのが賢明」
その背景に、06年に南京で「彭宇(ポン・ユー)事件」というのがあったそうな。
この事件では、彭さん(若い男性)が、バスから降りるときに突き落とされて転んだ女性を助け起こして病院に連れていったものの、女性は『彭さんに突き落とされて骨折した』と主張。
損害賠償を求めて提訴。結果的には、彭さんが敗訴して損害賠償の支払いを命じられたという。
この判決には批判も多いが、
「中国人は、この判決をきっかけに公共の場で人を助けることに及び腰になってしまった」
という見方があるらしい。
こうした、誤解が生んだ悲劇というのが、どのくらいあるのかは知る由もないが、
ドラマで、援助の手を差し伸べた人を泥棒と勘違いして、逮捕になるとか、
死体のそばにいる人を殺人犯と、思いこんで、しまう人が登場したりする、のを目にすることはある。
後ろに立った人の鞄が触れたのを「痴漢」と勘違いしてとか、意図的に、この人が「痴漢した」と訴えられた事件も、裁判になったというニュースも見たことがある。
他人に、注意をして、殴られたとか、切られたとか、果ては殺されたとかのニュースになることも、ある。
周りの人たちが、連携プレーをして、助かったという人もいる。
その違いは、居合わせた人々が、どういう人々だったかによるのかもしれない。
奇跡は、何重もの良いことが起きる。
悲劇は、何重もの悪いことが重なった。
それも「運命」なのかもしれない。