憤りさえ、感じる事件がまたも起きている。
背中を刺されて、亡くなった女性の続報があった。
被疑者は20歳にもいかない、若者複数の犯行とか。
街にあこがれて引っ越したという女性は、あっという間に、
理不尽な二人組に刺されて命を落とした。
17センチもの深さで出血多量だったそうな。
金欲しさに、命まで奪う。
「命までも」という命乞いの言葉がある。
被害者は、命乞いすらできず、自分の身に何が起きたのかさえ
気づかずに、逝ってしまったのだろう。
霊が存在するとしたら、「はぁ?」と怪訝な思いで、わが身をみつめ、
うろたえていたかもしれない。
霊が何かできるとしたら、恨みの一言も言いたいだろう。
でも、それは、有り得ない。
亡き人の恨みは、残された者が、何かするしかない。
彼女は、いったい何を求めるのだろうか。
自分だったら、何を託したいか。
先日、市民のセミナーで、「遺書」について学んだ。
自分は、どうして欲しいのか。自分の死後は、どうしたいのか。
文書にしとかなければ、伝わらない。
人生、何が起きるかわからない。
遺書作りに、まじめに取り組もうか。