ふうせんのホームページ

合唱とパソコンを趣味として、つれづれなるままに、書き連ねます。

声は変わる

2015-05-16 08:28:46 | 合唱

合唱の指導者からのアドバイスに、どういう声で歌いたいか、どう、歌いたいかなどの言葉がかかることがあります。

自分がどういう声で、どう歌っているのか、耳を傾けて、自分の思いを声に乗せる。

自分にとっての理想、最善な声を出す。

それは、意図しなければできないことです。

 

指導者からも、

「練習時に急に歌うことはできません。日頃から、意図していかないとできません」

そのことを

「日頃、化粧しない人が化粧すると分かるでしょう」

と、例を出して皆に伝えようとしてくれました。

意図が、伝わりにくかったと、感じましたが、仰る意味は理解できました。

 

つまり、急にやってもなじんでないから、違和感が起きるということだと思いました。

 

なじんでいないと、他人にもなじんでないのがわかってしまいます。

楽器は、すべて、なじんでいないことをやっても、ずれを感じてしまうものです。

 

『声がみるみるよくなる本』

の著者は

 

『声はよくなる』と言い切っています。

 

『良い声の出る心身の状態にする』

ことで、声をコントロールし、声を理想に近づける努力を推奨しています。

 

自分の声に自身のないというあなた。

自分の声が嫌だと思っているあなた。

 

自分の好みの声に近づけてみませんか。

 

声がみるみるよくなる本

福島 英 著

中経出版

ISBN4-8061-2068-5

 


遺体

2015-05-15 11:43:05 | 日記

合唱の指導の先生から、そして、釜石に最近行ったことなどをきっかけに、この本を手にした。

ネットのニュースで、この本の存在をしっていたが、読んでみたいという気には少しあったものの

先延ばしにしていた。

 

本を本で、地震によって、引き起こされた、津波が映像などで知る以上の、いや、

映像だけでは、わからないことを知ることになった。

 

地震とか、津波は体験してみない全容はわからない。

ということを改めて認識した。

 

津波の恐ろしさは、筆舌に表せないほどの出来事だったろう。

迫りくる津波。

映画で何度か、それに近い映像をみたことはあるが、あれはセット。

水はプールの水のように透明。

それに、何度も何度も押し寄せ、そして、引き潮で、翻弄されていく体験は、すさまじいこと

とだったろうと思う。

 

遺体が語る、その凄まじさ。

語られる、遺体に向き合った人々の言葉。

一片を感じ、一抹の恐怖さえ感じた。

 

遺体に話しかけた人々。

遺体にすがって号泣する人々。

自然の猛威は決して侮れない。

そして、忘れてはいけないこと。貴重な犠牲が強いられた教訓をせめて受け止めたい。

 

 

遺体

震災、津波の果てに

石井光太 

新潮社

ISBN978-4-10-305453-5

 


身辺整理

2015-05-15 08:28:32 | 日記

大正生まれの母は、なんでもとっておく人でした。

「もったいない。何かに使える」と言っては、しまいこんでいました。

血筋なのか、個人的には、捨てられないタイプの人になりました。

 

「一年使わなかったら捨てよ」という身内の言葉にも、2,3年はしまいこむ。

人生の半ばを超えてからは、なるべく、持たない、不要なものはどんどん処分するということを

実践するように。

 

4年ほどかけて、随分処分し、だいぶすっきり。

 

それでも、捨てがたい使うあてもないものが、部屋の隅にしばらく、山に。

1年たって、捨てられないけど、使わないかもというものを収納する箱を一つ用意して、

そこへとりあえず、入れておくことに。

 

「万が一」といいながら、誰にも訪れる最期の時のための、ノートはなかなか仕上がらず。

身辺整理を進めながら、少し死神の気配が薄らいだような気がして。

「持たない!」をまねて、「身辺はすっきり」ということを信条に。

 

「持たない!」生き方

シンプルで自由な人生のすすめ

米山公啓

だいわ文庫


楽器

2015-05-13 12:47:19 | 日記

ルドゥーテの時代の音楽とチェンバロコンサート

というタイトルのイベントがあって、参加した。

 

年の若い二人の女性が、チェンバロとフルートを演奏。

チェンバロの製作をしている、男性の話を交えての90分。

 

「まだ、二人とも若そうだから、・・・・」と期待が少し薄れてきた。

フルート奏者の息継ぎがあまり大きくないのに気付いた。

口で息をしているが、時折、息継ぎの音がしない。

 

ちょとがっかりしながら、アンコールに入った。

 

アンコールで、「Ave Maria」と「春の海」の演奏があった。

「Ave Maria」はしっとりと目頭が熱くなった。

「春の海」は琴とチェンバロが尺八っぽく、フルートの味を出しながらの演奏で

心に沁みた。

最後のアンコール曲も、見事だった。

 

楽器は、同じでも奏者によって音色や、伝わり加減まで変わってしまうことは、以前にも感じていたことだった。

今回は、楽器は人によってこんなに変わってしまう。

この日は「怖いもの」だと思った。


琳派400年記念 京都・細見美術館 琳派のきらめき

2015-05-10 18:14:36 | 日記

琳派400年記念 京都・細見美術館 琳派のきらめき
-宗達・光琳・抱一・雪佳-

  • ■4月29日(水・祝)→5月11日(月)
  • ■8階 ホール 
    ※最終日は午後6時閉場。

■ご入場時間:午前10時~午後7時30分(8時閉場)。
※最終日は午後5時30分まで(6時閉場)。
■入場料(税込):一般800円、大学・高校生600円、中学生以下無料
■主催:読売新聞社
■後援:琳派400年記念祭委員会
■企画制作:MBS

 

http://www.takashimaya.co.jp/tokyo/hosomi/index.html

 


久しぶりに、日本橋高島屋に行きました。

琳派400年記念 京都・細見美術館 琳派のきらめき 展を拝見しました。

 

昼少し前に到着しました。

窓口は一人もおらず、チケットを購入すると、すぐ入場できました。

中は、沢山の人、人、人・・・・・。

皆さん、熱心に作品に見入っておられました。

 

植物の葉色の独特な表現。

柔らかな色彩の花々。

 

見ていくうちに、花が一様に円形に描かれていることに気づきました。

 

判で押したかのような、花。

何か意図があるのでしょうか。

 

日本画の植物や枝は、目が釘付けになります。

柔らかな筆のタッチ、迷いのない一枝の描写。

 

何千、何万回、いえ何百万回という筆使いの賜物なのでしょう。

 

目の保養ができました。