旧:鳳凰堂のランダムウォーカー <伏見の光>

2019.4.22以降、新規の主要な記事は新サイト「fusiminohikaru.net」
で書いています。 

ミスティック・リバー

2011-11-09 19:22:40 | 映画テレビメディア
ミスティック・リバー 特別版 〈2枚組〉 [DVD]
クリエーター情報なし
ワーナー・ホーム・ビデオ


クリントイーストウッド監督作品ですから、そんなにひどいものであるはずがないですが、
うーん、これはしんどいです・・・。

 「あの時、あそこで、ああしてたら」という、後から振り返っての人生の転機となる瞬間というのは誰にもあるでしょう。

 そこから出発して、それがこんなにひどい、悲しい事態につながってしまう。

 何か救いがなくて・・・・。

 「許されざる者」でもそう思いましたが、なにか、こう、影というか、いろんなしんどさを抱えた人を描くのはうまいなぁと思いました。
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歩く 図書館から万福寺の方へ(2)

2011-11-09 09:18:19 | インターネット・パソコン・デジカメ
少し色づいてきている葉っぱもありますが、全体的には紅葉にはまだ早いです。


屋根の上、セキレイ。


首輪をつけたネコさん。警戒中。


川の壁面、一面に小さい花。


ファンタジックフォーカス。


ポッブアート。


川には桜の葉が。


アサガオのようでアサガオでない。なんというのかな、いつも咲いてますが・・。


自宅裏の川。落ち葉がヒラリ。

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歩く 図書館から万福寺の方へ(1)

2011-11-09 09:11:36 | インターネット・パソコン・デジカメ
8日は布袋市といことで、境内にいろいろお店が出ていたりします。

お寺の奥の方の売店の前。




ちょっとお花がいけてあったりします。


この中央に並んでいる石のところは歩いてはいけないとか。




お堂の前。線香も独特で中国風です。


ポッブアート向きの素材。というか、そのままポップアートでもあるかな。


なんとなく愛嬌があります。


お寺の裏。風呂桶?。あと、後ろには昆布がほしてあたりします。


お寺の裏へ。ジョウビタキが鳴いていて姿も見るのですが、なかなか写真に撮れません。
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「重症児の授業づくり」8

2011-11-09 00:27:55 | その他
「重症児の授業づくり」8

 一日、一つは何か仕事関係のものを読んだり、何か考えたりしておこうと思います。

 54ページ、まだ十分に子どもとの関係づくりもできていないような状況で急に亡くなった子どものことと関わって以下の記述があります。

「結果ではなくて、過程こそが大事。何度も聞かされてきた教育のテーマですが、自分の実体験を経て納得するとき、それは何と新鮮で、力強いメッセージとして響くのか。」

 これは感覚としてはよくわかります。

 ただ、文章として整理するならばやはり「過程を見つめ直すことを通して、適切に結果の評価をすることが重要」なのだろうと思います。

 体調面で様々な困難さを抱えた子どもたちを長く担当していると、否応亡く、子どもたちの「死」と直面せざるをえないことがあります。

 長く厳しい状態が続いたりしていた場合は、それなりの「覚悟」というのがありますが、そうではなく、唐突にそうした状況になることもあります。そうした時は、まあ、言葉にならない無力感に襲われるます。

 と同時に、この子たちにとって「学校」とは、「学校教育」とはなんだろう、なんだったのだろうという、なんというか、根元的な問いが頭の中を巡ることになります。

 「なにかができるようになること」、その事自体は素晴らしいことで、そうなることによって、それ以前とは身の回りの世界の意味が違ってくることがあり、学校教育の中で「なにかができるようになること」を目指すのは当然のことではありますが、そのことだけが学校教育の意味や価値かといえばそうではない。

 とりわけ重度の病気と障害を併せ持った子どもたちの場合、質的により高度な「縦」への発達ということは実際にはなかなか難しい場合も多いわけです。

 では、設定された課題に到達することができなければ、それはだめなことであり、意味がないことなのか?。

 それは課題そのものの設定が適切だったのか、そのための手だて、手段、方法、アプローチの仕方が適切であったのかを見直すことは重要ですが、それだけではない。

 それは、簡単に一言で言ってしまえば、学校という場所は「人としての文化的な経験を重ねる」ところであり、基本としては「楽しい経験をする」場であることが求められる、そうしたところに学校としての大きな意味や価値があるということになるのではないかということです。

 もう少し考えをまとめて整理しておきたいと思いますが、つまりはこういうことです。




 



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