利益はザックリ6000万 資産運用 ここまで これから(2)
前にも書きましたが、「資産は1.2億ぐらいで、半分ぐらいは投資の利益」というような話を知人にすると、だいたい「えーっ、そんなに儲かってるの。」というような反応が多いです。
で、そういう反応をする人は、だいたい投資経験は皆無の場合が多いです。
一方、以前に株の運用競争をしていたネットのお仲間の方とか投資関係での知り合いの方の場合だと、「まあ、伏見さんはそれぐらいでしょうね・・。」というような冷静な反応がわりとあったりします。
そこには「もっと攻めてもいいのに・・。ディフェンシブすぎませんか?。」というようなニュアンスがちょっと含まれているように私は感じたりするのですが。
どちらも「それはそうかな」という反応かと思います。
6000万というのは、これだけ取り出せば、金額としては大きいです。が、18.5年の通算ですし、たまたまIPOとか中国株で利益が出ただけで、あとは細かく利益を積み上げている結果にすぎません。
別に運用が上手なわけでもなんでもなく、人がどう見るとは知らないけれど、本人としては、ただびびりながらディフェンシブな運用を続けているだけのことです。
1.2億という金融資産の時価評価も、これだけ取り出せばそこそこ大きな金額のように思いますが、既に夫婦ともフルタイムの仕事は退職し、その退職金ももらっていますから、今後は金融資産が飛躍的に増大するようなことはまずありません。基本、わずかずつ減少していくか、よくて横ばいでしょう。
50代前半での完全リタイヤということだと、一人ならいいけど、夫婦なり家族ということでは、この1.2億は充分で安心とは言えません、というか、そうは感じられません。
フルタイムの仕事から退くことができたのは、前述したように、退職後も、投資の利益以外で、金額は減っても一定の定期的な収入は得られるだろうという見通しもあったからです。
ですが、その決断ができたのは、投資の利益があったからで、それが皆無であれば、この段階で、セミリタイヤ的にフルタイムの仕事を退くことはできなかった、そういう決断はしなかったろうと思います。
だから、端的に言えば、株(だけじゃないけど)で何を稼いだのかといえば、それは「時間」ということになります。「モモ」の悪役に対抗する手段は株式投資だったわけです(わかるかな?)。
あるいは株式投資で「選択する権利」を得たとも言えます。父親の介護のためにフルタイムの仕事を退職するという選択は、自分の生活基盤を損ねるようであればすることはできなかったでしょう。反対に「そうできる条件があるのにそうしない」ということにしたら、それは後で後悔が残るだろうと思ったわけです。
まあ、何かを捨てないと何かを得られないということはよくあることで、自分自身の選択に100%の満足であるとか、まったく後悔がないなんていうことはないわけですが、それでも、今は無理なく、これが自分にとってよりベターな選択であったとは言えるかなと思います。
そうさせてくれたのは、投資による利益があったからですね。そういう意味での「選択する権利」です。
別に当初からこういうことを目指していたわけではありません。結果としてはこうなってます、こういう意味がありましたということですね。
株に限りませんが、リスクがある金融商品での資産運用を考えるのであれば、別にそれは時間とともに変化してもかまわないので、とりあえずの目標、ねらい、意図を明確にしておくことが重要だと思います。
そうでないと、どの金融商品に、どれぐらいの金額、あるいは割合を投資して、どういう売買、運用を実際に行っていくのかという具体的な方法が明確になりません。
無論、当初は、許容できる範囲のリスクをとり(最悪、これぐらい損してもしょうがないかと思える範囲を明確にして)、少ない金額で、楽しみとして、優待なんかも考えて、いくつかの株式の個別銘柄に投資をするなんていうことでも別にいいと思います。
私自身、投資を始めた時の投入金額は300万。買ったのは富士重工に北陸電力、それにミニ投資でアルパインにオリンパス。これで150万。あとは実質ブル型の投信を150万という形で、始めたのは、当時、銀行での預金の金利が低すぎると感じたから(今との比較なら充分に高いですが)というのが理由でした。
この当初の投資の結果は4勝1負でした。損失が出たのは北陸電力、あとは投信も含めて利益が出ました。無論、金額は大したことはありませんが。
が、当初に口座を開設し運用を開始したのが大和證券であったこちとが、後のIPOや中国株での利益につながります。これはたまたまです。日興という選択肢もありましたが、ちょっとしたことで運用の開始は大和になりました。
その「ちょっとしたこと」とは、同種の投信が日興にもあったのですが、こちらは実質ブル型というようなところまでの運用をする方針ではなかったのです。で、大和の投信を選択したということが大和に口座を開設した理由でした。
ここで日興にしていたら、また結果は大きく違ったものになった、多分、現在と同様の利益にはならなかったのではないかと思います。
まあ、ほんのちっょとした理由での選択の違いで、のちの結果が大きく異なるということは、よくあることではありますね。
つづくよ。
前にも書きましたが、「資産は1.2億ぐらいで、半分ぐらいは投資の利益」というような話を知人にすると、だいたい「えーっ、そんなに儲かってるの。」というような反応が多いです。
で、そういう反応をする人は、だいたい投資経験は皆無の場合が多いです。
一方、以前に株の運用競争をしていたネットのお仲間の方とか投資関係での知り合いの方の場合だと、「まあ、伏見さんはそれぐらいでしょうね・・。」というような冷静な反応がわりとあったりします。
そこには「もっと攻めてもいいのに・・。ディフェンシブすぎませんか?。」というようなニュアンスがちょっと含まれているように私は感じたりするのですが。
どちらも「それはそうかな」という反応かと思います。
6000万というのは、これだけ取り出せば、金額としては大きいです。が、18.5年の通算ですし、たまたまIPOとか中国株で利益が出ただけで、あとは細かく利益を積み上げている結果にすぎません。
別に運用が上手なわけでもなんでもなく、人がどう見るとは知らないけれど、本人としては、ただびびりながらディフェンシブな運用を続けているだけのことです。
1.2億という金融資産の時価評価も、これだけ取り出せばそこそこ大きな金額のように思いますが、既に夫婦ともフルタイムの仕事は退職し、その退職金ももらっていますから、今後は金融資産が飛躍的に増大するようなことはまずありません。基本、わずかずつ減少していくか、よくて横ばいでしょう。
50代前半での完全リタイヤということだと、一人ならいいけど、夫婦なり家族ということでは、この1.2億は充分で安心とは言えません、というか、そうは感じられません。
フルタイムの仕事から退くことができたのは、前述したように、退職後も、投資の利益以外で、金額は減っても一定の定期的な収入は得られるだろうという見通しもあったからです。
ですが、その決断ができたのは、投資の利益があったからで、それが皆無であれば、この段階で、セミリタイヤ的にフルタイムの仕事を退くことはできなかった、そういう決断はしなかったろうと思います。
だから、端的に言えば、株(だけじゃないけど)で何を稼いだのかといえば、それは「時間」ということになります。「モモ」の悪役に対抗する手段は株式投資だったわけです(わかるかな?)。
あるいは株式投資で「選択する権利」を得たとも言えます。父親の介護のためにフルタイムの仕事を退職するという選択は、自分の生活基盤を損ねるようであればすることはできなかったでしょう。反対に「そうできる条件があるのにそうしない」ということにしたら、それは後で後悔が残るだろうと思ったわけです。
まあ、何かを捨てないと何かを得られないということはよくあることで、自分自身の選択に100%の満足であるとか、まったく後悔がないなんていうことはないわけですが、それでも、今は無理なく、これが自分にとってよりベターな選択であったとは言えるかなと思います。
そうさせてくれたのは、投資による利益があったからですね。そういう意味での「選択する権利」です。
別に当初からこういうことを目指していたわけではありません。結果としてはこうなってます、こういう意味がありましたということですね。
株に限りませんが、リスクがある金融商品での資産運用を考えるのであれば、別にそれは時間とともに変化してもかまわないので、とりあえずの目標、ねらい、意図を明確にしておくことが重要だと思います。
そうでないと、どの金融商品に、どれぐらいの金額、あるいは割合を投資して、どういう売買、運用を実際に行っていくのかという具体的な方法が明確になりません。
無論、当初は、許容できる範囲のリスクをとり(最悪、これぐらい損してもしょうがないかと思える範囲を明確にして)、少ない金額で、楽しみとして、優待なんかも考えて、いくつかの株式の個別銘柄に投資をするなんていうことでも別にいいと思います。
私自身、投資を始めた時の投入金額は300万。買ったのは富士重工に北陸電力、それにミニ投資でアルパインにオリンパス。これで150万。あとは実質ブル型の投信を150万という形で、始めたのは、当時、銀行での預金の金利が低すぎると感じたから(今との比較なら充分に高いですが)というのが理由でした。
この当初の投資の結果は4勝1負でした。損失が出たのは北陸電力、あとは投信も含めて利益が出ました。無論、金額は大したことはありませんが。
が、当初に口座を開設し運用を開始したのが大和證券であったこちとが、後のIPOや中国株での利益につながります。これはたまたまです。日興という選択肢もありましたが、ちょっとしたことで運用の開始は大和になりました。
その「ちょっとしたこと」とは、同種の投信が日興にもあったのですが、こちらは実質ブル型というようなところまでの運用をする方針ではなかったのです。で、大和の投信を選択したということが大和に口座を開設した理由でした。
ここで日興にしていたら、また結果は大きく違ったものになった、多分、現在と同様の利益にはならなかったのではないかと思います。
まあ、ほんのちっょとした理由での選択の違いで、のちの結果が大きく異なるということは、よくあることではありますね。
つづくよ。