南仏の旅二日目(快晴)
朝6時に目が覚め、時差ぼけ解消も兼ね散歩に出る。丘陵の上の住宅地。気持ちの良い気温、湿度の中を歩く。
広く壁で囲われた敷地の中に6~8軒の住宅があるところが多い。中世の城塞都市の名残か。
ご主人が、散歩がてら、ジョギングがてら、2kmくらい離れたパン屋さんから焼きたてのパンを仕入れてきて、朝食。文字通りの仏蘭西パン。外側がカリっと焼かれていて、中はふんわり、香ばしい。うまいなあ。
10時、リヨン郊外のペルージュに出発。
訪れた町は中世そのままの石造りの町である。教会の脇の石の門をくぐり、石畳の道を登って行くと、小さな広場に出る。窓には赤い花が飾られ、石を積み重ねた家が今も使われている。10年近く前に訪れたイタリアのアッシジにちょっと似ている。
まさに中世そのままの佇まいを見せる町並みを散歩する。小学生くらいの子供た
ちが、引率の大人に従って、見学していた。夏休みのサマーキャンプで、バカンスを楽しむ大人たちから、アルバイトの学生たちが子供を預かる仕組みらしい。大人と子供を小さいときから分ける仕組みだ。入り口の教会に入った。コンクリート打ちっぱなしのような素朴な内装の教会である。
次にリヨンの町に戻り、丘の上に聳える新しい教会、金色のマリア象が会塔の上
に輝くバジリーク(フルビエール山の)教会(だと思ったが定かではない。)へ。リヨンの町が一望できる見晴らしの良い場所だ。
旧市街ははオレンジ色の瓦で統一され、高さも揃えれれている。ローヌ、ソーヌ河が
合流し、教会の塔、新市街の高層ビルなどが趣を添えている。教会横のレストラ
ンで豚肉のステーキで昼食。林の中の散歩道を下って、旧市街へ。ここにもサマー
キャンプの子供たちが元気に声を上げていた。旧市街には、サン・ジョン・エグリーズ教
会(セント・ヨハネ教会)という古い教会があり(ペストがヨーロッパ全土で大
流行したとき、リヨンだけが免れた。その感謝を表すために建てた教会))、そこには地動説を唱えたガリレオ時代よりまえの時代物、4,5mある時計が時を刻んでいた。
ちょうど3時のチャイムを聞いた。立派なステンドグラスのある教会である。
ここの旧市街もお祭りのような雑踏で、マリオネットや、雑貨、アイスクリーム屋
さんが軒を並べる。ペルージャが中世なら、こちらは近世と言う風情。
ついでにご主人に聞いたのだが、リヨンは15世紀、ドイツ・グーテンベルグのマ
インツと並ぶヨーロッパ屈指の出版の町だったそうだ。本屋は2,3軒はあったが、
特に歴史を感じるものでもないし、印刷会社が残っているのでもないし、不思議
な感じがした。
帰りはケーブルカーに乗って山頂に戻り、古代コロセウムを利用した野外劇場
(こういうのがヨーロッパのすごいところだ。遺跡を現代に生かしている)の横
を通って駐車場へ。
住宅地の入り口に古代の水道橋の遺跡が残っている、その脇を通って帰宅。
時差ぼけもあり、昼寝。起きたら夕飯というよりディナーが用意されていた。
オードブルはメロンの中心部にブランデーを注いだもの。蒸しフォアグラ、ソテー
フォアグラ野菜添え、洋風チャーハン、イチゴ、白・赤ワイン、などと、ご馳走が次々と洒落た会話とともに提供された。バイオリニストの奥様は料理もプロ級である。「日本人の妻が最高だ」という世界の評価は当たっている。
すっかり良い気分になり今夜も就寝。
朝6時に目が覚め、時差ぼけ解消も兼ね散歩に出る。丘陵の上の住宅地。気持ちの良い気温、湿度の中を歩く。
広く壁で囲われた敷地の中に6~8軒の住宅があるところが多い。中世の城塞都市の名残か。
ご主人が、散歩がてら、ジョギングがてら、2kmくらい離れたパン屋さんから焼きたてのパンを仕入れてきて、朝食。文字通りの仏蘭西パン。外側がカリっと焼かれていて、中はふんわり、香ばしい。うまいなあ。
10時、リヨン郊外のペルージュに出発。
訪れた町は中世そのままの石造りの町である。教会の脇の石の門をくぐり、石畳の道を登って行くと、小さな広場に出る。窓には赤い花が飾られ、石を積み重ねた家が今も使われている。10年近く前に訪れたイタリアのアッシジにちょっと似ている。
まさに中世そのままの佇まいを見せる町並みを散歩する。小学生くらいの子供た
ちが、引率の大人に従って、見学していた。夏休みのサマーキャンプで、バカンスを楽しむ大人たちから、アルバイトの学生たちが子供を預かる仕組みらしい。大人と子供を小さいときから分ける仕組みだ。入り口の教会に入った。コンクリート打ちっぱなしのような素朴な内装の教会である。
次にリヨンの町に戻り、丘の上に聳える新しい教会、金色のマリア象が会塔の上
に輝くバジリーク(フルビエール山の)教会(だと思ったが定かではない。)へ。リヨンの町が一望できる見晴らしの良い場所だ。
旧市街ははオレンジ色の瓦で統一され、高さも揃えれれている。ローヌ、ソーヌ河が
合流し、教会の塔、新市街の高層ビルなどが趣を添えている。教会横のレストラ
ンで豚肉のステーキで昼食。林の中の散歩道を下って、旧市街へ。ここにもサマー
キャンプの子供たちが元気に声を上げていた。旧市街には、サン・ジョン・エグリーズ教
会(セント・ヨハネ教会)という古い教会があり(ペストがヨーロッパ全土で大
流行したとき、リヨンだけが免れた。その感謝を表すために建てた教会))、そこには地動説を唱えたガリレオ時代よりまえの時代物、4,5mある時計が時を刻んでいた。
ちょうど3時のチャイムを聞いた。立派なステンドグラスのある教会である。
ここの旧市街もお祭りのような雑踏で、マリオネットや、雑貨、アイスクリーム屋
さんが軒を並べる。ペルージャが中世なら、こちらは近世と言う風情。
ついでにご主人に聞いたのだが、リヨンは15世紀、ドイツ・グーテンベルグのマ
インツと並ぶヨーロッパ屈指の出版の町だったそうだ。本屋は2,3軒はあったが、
特に歴史を感じるものでもないし、印刷会社が残っているのでもないし、不思議
な感じがした。
帰りはケーブルカーに乗って山頂に戻り、古代コロセウムを利用した野外劇場
(こういうのがヨーロッパのすごいところだ。遺跡を現代に生かしている)の横
を通って駐車場へ。
住宅地の入り口に古代の水道橋の遺跡が残っている、その脇を通って帰宅。
時差ぼけもあり、昼寝。起きたら夕飯というよりディナーが用意されていた。
オードブルはメロンの中心部にブランデーを注いだもの。蒸しフォアグラ、ソテー
フォアグラ野菜添え、洋風チャーハン、イチゴ、白・赤ワイン、などと、ご馳走が次々と洒落た会話とともに提供された。バイオリニストの奥様は料理もプロ級である。「日本人の妻が最高だ」という世界の評価は当たっている。
すっかり良い気分になり今夜も就寝。