遅いことは猫でもやる

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地球の裏側探訪記(19)ウユニ塩湖満喫

2017-03-07 14:02:03 | 行ってきました

ウユニ塩湖入り口の村での賑わい

8時にホテルに戻り、シャワーを浴び、朝食を摂って11時、再び塩湖に向け出発。まずは入り口の村で塩湖の塩を精製しているところの見学。といってもそこは無尽蔵に取れる塩湖の塩にヨードを添加し、ビニール袋に詰めているだけの小さな小屋である。せっかくだから我々も塩の小袋を二つだけ購入。表の通りは露店が軒を並べ、観光客が大勢群がっていた。どの店も殆ど同じような品物を並べ、同じような値段で売っている。工夫があんまり感じられない。

そこから塩湖の中に引き返し、遠くに見える建物を目指す。其処は2,3年前まで営業していたホテル跡。パリ・ダカールラリーのコースになっているそうで記念碑が建っている。また廃ホテル横には各国の国旗が無作為に建てられ強風にはためいている。自発的に、無作為に、立てられたものだが、ここでも中国の旗が目立つ。日の丸は控えめだ。観光客の数から言えば圧倒的なのに・・・。しかしこのモニュメントは見ごたえがある。国旗は何か心に訴えるものがありそうだ。

ここでトイレ休憩。入ってすぐはカフェになっており、奥がその場所。ホテルのトイレとしてはあんまりきれいな方ではなく、汲み取り式だが入り口に番人がおり、25ペソ徴収される。


ダカールラリー記念碑

廃棄されたホテル

ホテル前モニュメント

ホテル入口



風になびく各国旗

再び車に乗り、一面の塩湖の上を走る。これが蓼科であれば女神湖の氷上を走る気分だが、ここでは亀甲模様の塩の上を走る。人影の見えないところまで走り、ランチタイムとなった。運転手、ガイド、竜馬君がテーブルと椅子をセットし、クロスをかぶせ、飲み物、食べ物を並べる。龍馬くんも手慣れてきて、ビールとワインを用意してきている。ランクルの後ろをカウンター代わりにして、料理と飲み物を並べる。とても明るく、開放的な中でのランチは素晴らしく快適である。高地なのでワインも控えめにしてランチを終えた。


果てしなく広がる塩湖

塩湖でのランチ

ランチカウンター

ランチを終えたら、ウユニ名物のトリック写真の時間。ガイドさんが「じゃ~ん」と取り出したのはまずは恐竜のフィギュアー。続いて飾り馬。それらを使ったり、使わなかったりして色々なトリック写真を撮る。これはここのガイドさんの必携の技みたいだ。ウユニ塩湖は新潟県とほぼ同じ広さがあり、それでいて高低差はわずか50cmっだという。まわりに比較するものがなく、白一色のところだからこそ遠近感のない写真が取れるのだろう。

われわれがトリック写真撮りに興じていたら、ドライバー2人が湖の穴に手を突っ込んでいる。女性ガイドも後から手を突っ込んで「あった、あった」と掌を開いて見せてくれた。見れば塩の結晶だ。ドライバーが顔をしかめて力み、車から工具を持ち出してきて穴に突っ込んで「取れたー」と見せてくれたのが、拳より大きい塊だ。立方体の結晶が連なっている塩の結晶である。村の露店でも販売していたが、くれるというので頂いてきた。



トリックアート

塩湖の下を探る

掘り出された塩の結晶

ランチの場所を撤収して、今度は水が溜まっている所に移動。典型的なウユニの景観が味わえる所に車を止め、テーブルを出して夕方までのんびり過ごそうというプランだ。雲が陽に輝き、水鏡は一面に広がり、この世のものとは思われない景色に浸っていたが、好事魔多し。一点俄に曇ってきたかと思うと、陽が射しているにも拘らず雨が落ちてきた。そして稲光とともに雷鳴が轟いてきた。せっかくのワインバーも早々に撤収。車の中で天気の回復を待つ。


こんな景色見たことない

雨が降ってきた

天と地の間に我一人

ワインバー ウユニ

雨季の特徴というべきか、雨脚は間もなく遠のいたが、雲は厚く。夕暮れが迫っても青空は広がらなかった。これも雨季ならではの景色だと得心して、残照の残る湖面を後にした。色々堪能したウユニ塩湖であった。


湖面に映る影二つ

ウユニの残照


地球の裏側探訪記(18)真夜中のウユニ

2017-03-06 15:41:31 | 行ってきました

満天の星空

いよいよウユニ本番。朝3:00にホテル出発。新月に合わせて此処に来ているので、もちろんまだ漆黒の闇夜である。ガイドの名前は忘れてしまったけれど、行動的な女性の方だ。一方ドライバーはここでの経験を30年ほど積んでいるベテランだという。確かに暗い中、2台のSUV(我々はトヨタのランクル)に分かれて進むが、轍が交錯する泥道を迷うことなく進む。鏡のような水面のところで停車。遠くに同じように星空見物のグループが車を止めている。

見渡す限りの平坦な平原で、微かに遠くの山の影が見えるだけのところを自信アリげに進む。車の中で長靴に履き替え外に出る。一面の星空。「降るごとく」と言うが、まさに満天の星、確かに頭上の銀河もミルキーウエイと言う名の通り、無数の星が集まりボーッと白く輝く。流れ星が幾つも走るが、頭上の星が水面に映って足下を走る。これほどの星はモロッコのサハラ砂漠以来だ。ただ当たり前だがあそこには足下の水鏡はない。

持参の三脚をセットし、露出を色々変えて撮影してみる。ガイドはカメラに詳しいらしく遼馬君と何やら打ち合わせしている。花火を持ち出し我々に持たせて点火し、あれこれと注文をつけてカメラを向ける。成功した2枚を上げておきます。いずれの写真も足下の水面がきれいに対称的に映っている。


満天の星を眺める

アート作品

結構冷えてきたので、車の中に戻るが、ガイドさん達が何やらごそごそしていたと思ったら、湯気の上がるカップを差し出した。ホットワインだ!シナモンを効かせたあたたかいワインが身体に沁み通る。目の前の景色とともにこの暖かさにも感動した。

ゆっくり味わっているうちに空が少しずつ青みを増し、やがて赤くなってきた。太陽はみるみる地平線を離れる。ここは何もかも上下対称なのでそのスピードも早い。感動と興奮の覚めやらぬ中、8時頃、ホテルに戻り、シャワーを浴び朝食とした。


夜明けのウユニ

周りのグループの影

車の間から太陽が登る

日が昇る

一面の塩原

すっかり日は昇った

地球の裏側探訪記(17)夕暮れのウユニ

2017-03-05 16:45:39 | 行ってきました

塩の平原が続く 遠くホテルが見える



伸びる影

ウユニ夕景

塩のホテルに荷物を置き、急いでウユニ湖の夕景を見に車に乗った。ホテルの周りにはポツポツと建物が見える。いずれも「塩のホテル」と銘打ってこの湖近くに建っている。泥の道を湖らしき方角に揺られながら進む。小さな碑の横を通って水たまりの脇で車を止める。ところどころ水たまりはあるが遙か先まで一面の塩原だ。

太陽は低く、反対側に伸びる影は、はるか向こうまで伸びる。周りにも日本語が聞こえる。さすが日本に人気の観光地だ。太陽が徐々に沈み雲に隠れてゆく。見渡す限り人工物は何もなく、ただ我々の乗ってきた車だけだ。

本日は地平線近くに雲が発生しており、夕日は雲の中に沈む。きれいな夕日だ。ウユニとの初対面はまずまずのものであった。明日は3時出発とのことで早々に引き返す。


夕日が沈んでゆ

地球の裏側探訪記(17)夕暮れのウユニ

2017-03-05 16:10:59 | 行ってきました

塩の平原が続く 遠くホテルが見える



伸びる影

ウユニ夕景

塩のホテルに荷物を置き、急いでウユニ湖の夕景を見に車に乗った。ホテルの周りにはポツポツと建物が見える。いずれも「塩のホテル」と銘打ってこの湖近くに建っている。泥の道を湖らしき方角に揺られながら進む。小さな碑の横を通って水たまりの脇で車を止める。ところどころ水たまりはあるが遙か先まで一面の塩原だ。

太陽は低く、反対側に伸びる影は、はるか向こうまで伸びる。周りにも日本語が聞こえる。さすが日本に人気の観光地だ。太陽が徐々に沈み雲に隠れてゆく。見渡す限り人工物は何もなく、ただ我々の乗ってきた車だけだ。

本日は地平線近くに雲が発生しており、夕日は雲の中に沈む。きれいな夕日だ。ウユニとの初対面はまずまずのものであった。明日は3時出発とのことで早々に引き返す。


夕日が沈んでゆく

ウユニ湖への旅5⑤ 着いたぞ~

2017-03-04 11:54:43 | 行ってきました

この車で380kmほどの山道を走破した

ポトシ郊外の村

休憩地点の岩肌

途中のグアナコ・リャマの群れ

ポトシーウユニ
鉱山の町ポトシを後にしてまた高原の道をひたすら走る。途中ミニ、グランドキャニオンのような岩の塔が並ぶ谷の傍で休憩。遼馬君が、ひょいと岩の上に飛び移り腰をかけて、こんな風にして写真を取りましょうかというが、義弟も私も足がすくみ、遠慮しておくと声を揃えた。

グアナコやリャマ、馬、牛などが放牧されていたり、野性で群れを作っていたりする牧草地や、広い谷あいの湿地帯を抜け、大きく迂回したところで車は止まる。「MUSEO」の看板がありプラカヨの列車の墓場に到着。ここは1868年亜鉛鉱山だった所にLA LEONAに立ち寄ったお尋ね者が、この列車で銃撃戦を行ったという。賊2名に対し100人以上の警官が銃撃戦をしたらしい。

若干の高山病の気配に警戒しながら、峠を越えると遙か先に光る湖がみえてくる。ウユニ塩湖だ!とうとう着いた。


プラカヨ

見えてきた!ウユニだ。

車はゲートを通りウユニの村へ入る。ゲート辺りから周りにゴミが散乱している。道の横は風に飛ばされてきたゴミだらけだ。村の集落の方から強い風に煽られてそこここにいっぱい飛び散っている。ここは特に日本人が多い観光地で、このゴミはやはり問題になっているそうだ。ボリビア政府もなんとかしなければと乗り出し、日本のボランテイア団体も指導に来ているとのこと。

ウユニの繁華街の中にあるツーリストショップみたいな所に立ち寄り、ゴム長を借りる。一つサイズが合わないのでガイドが街中へ買いに行く。大雑把なものだ。街は丁度マーケットが開いている日で、大勢の人で賑わっている。長靴を仕入れ、湖畔に立つ本日の宿「塩のホテル」へ向かう。村から10~20分きれいに舗装された観光道路を走る。その道路を外れるとむき出しの土で凸凹道である。やっと塩のホテル到着。


ウユニ村のマーケット

塩のホテル

フロント

ホテル内部

新しいホテルらしく、ソファーも壁も塩でできている。窓の方には次の間もある。ただ、ここにも蝿が飛んでいるのには閉口した。







ウユニ湖への旅④ ポトシへ

2017-03-03 12:10:39 | 行ってきました

さらばスクレ

山奥で子どもたちに出くわす(砂利採掘場)

砂利採掘場の釣り橋

峠を越える

高原地帯 キヌアの栽培地

南米に来て本日で15日目。こちらは雨季だと言うが、連日いい天気が続く。本日はスクレからポトシ経由でウユニ湖まで300km近い移動の日である。朝8時発。ドライバー兼ガイドは昨日ホテルにも顔を出したオリバー君。ホテルで会うなり「今日は、私オリバーといいます。オリと呼んでください。これどうぞ」とウユニの光景のパッケージのチョコレートを差し出す。なかなかの商売人である。

スクレから平原を抜け、峠を超えてひたすら走る。途中下の方に吊橋のかかっている砂利採掘場を見ながら休憩。学校が夏休みだとみえて子どもたちが遊んでいた。次はゲートを超え、峠を越して高原上のところまで走る。キヌアという作物(食べ物か織物の原料か?)の傍で2回めの休憩。


ポトシの街が見えてきた

鉱山鉄道の名残りか

オリバーと車 このフォードで走ってきた

土レンガ作りの教会

街を走るバス

貨幣鋳造所

記念コインを作ってくれる

ポトシは銀山の町。16世紀から19世紀まで膨大な産出量でスペインの財政を支えた。銀は、ポトシー石見ーグアナハトと世界でも主要鉱山が変化し、集中的に算出するらしい。一説によると、ここから算出された銀でマドリードまで橋がかけられたという。しかし同時に銀山で亡くなった人の骨でも橋ができたという。すざましい過酷な話だ。オリバーの運転するフォードのバンを街の中心部においてカサ・デ・モネーロ(貨幣鋳造所)へ向かう。途中土レンガ作りの教会の脇を通るが、この町には70もの教会があるそうだ。スクレでも40だから、いかに信仰心が厚かったか、或いは銀山の労働がきつかったのか、であろう。

巨大な面が掲げられている貨幣鋳造所は街の観光の中心らしく、ひっきりなしに観光客が訪れていた。この面のモデルは謎の失踪を遂げた造兵所の支配人だそうだ。続いて中央銀行のある広場に向かう。そこはニューヨークよりはずいぶん小さいが、本物の(フランスから贈られた)自由の女神、オベリスクなどがある。ここから旧市街を抜ける。途中何か祈りを捧げている集団に出会った。「君たちも一緒にそこに座ってゆきなさい」と老婆が手招きする。我々も腰掛けに座って暫く参列する。聞けば先祖供養(大地の神)のお祈りを捧げているのだそうだ。市内を走っているバスのボディには国見幼稚園、とか(株)ワールドエンタープライズとかの看板が書かれている。日本から中古車を輸入してそのまま使っている。


市街を走るバス

旧市街、街角での行商

自由の女神像

中央銀行

オベリスク

旧市街の街並み

先祖供養(大地の神)のお祭り

再び車に乗って、昼食レストランへ行く。ポトシの郷土料理の店。スープがグツグツと沸騰している。熱い石が入っている。別に豚の皮の揚げたものが出てきてそれを入れて食べるのだそうだ。結構美味しいが脂は少々余分だった。なんでも料理コンクールで何度も金賞を取ったらしい。考案したおばちゃんが奥から出てきて挨拶したり一緒に写真に収まったりして愛想が良い。 ただここはトイレが自分のところにはなく、隣の家まで借りに行かねばならぬところが不便であった。


湯気を上げるスープ

豚皮の挙げたもの

レストラン内部

金賞受賞の賞状

昼食後この街にも別れを告げる。レストランの横は道に市場が開かれ大勢の人が押し寄せていた。街の中鉱山跡に近づくにつれまた人が多くなってきたのでオリバーが「汽車だ、それも日本製だぞ」と叫ぶ。大勢の人がカメラやスマホを手に群がる。海を隔てても鉄道ファンは多いらしい。我々も車を止め線路近くに移動。そこにレトロな機関車がやってくる。観光用ではなく現役なのだろう。引込線の脇にあったのもずいぶん古い機関車だった。ポトシの町にも別れを告げ、標高3000m以上の高原を走る旅が続く。(続く)


レトロ・ディーゼル機関車

ポトシの町にも別れを告げる

ウユニ湖への旅③ スクレ2

2017-03-02 12:11:41 | 行ってきました

スクレの風景

昼食後、市内観光へと繰り出した。
スクレはヨーロッパ風のきれいな街である。サンタクルスよりこざっぱりとし、街中もゴミが少ない。ここは今も憲法上の首都だが、ラパスに事実上の首都機能が移った今も最高裁判所は此処に置かれている。ボリバルというアルゼンチン人が1826年に建国してまだ190年ほどの若い国である。

町はオレンジの屋根と白い壁が重なるコロニアル様式のスペイン、イタリア風の建物が丘の緩斜面に埋まり、視野いっぱいに広がる。さすが世界遺産に認定された街で「白い街」とも呼ばれる。人口は28万。パリに対するあこがれがあるらしく、最高裁判所の付近の公園には凱旋門、噴水、エッフェル塔などのミニュチュアがある。このエッフェル塔は傑作で子供のジャングルジムになっているが、外観はパリのものと少し違うが本物のエッフェルが設計したものだという。


最高裁判所

凱旋門

エッフェル塔

太鼓の音が聞こえるので、7・19日広場に向かうと、子供チームを中心に笛、太鼓、ラッパなどの楽団、ダンス隊、がマリア像を掲げて行進している。宗教的なこどもの日なのだそうだ。楽しむことにかけてはラテンの人たちは天下一品である。


「こどもの日」パレード

旧大統領官邸

大聖堂を望む

大聖堂入り口

大聖堂鐘楼

彫刻に飾られた大聖堂の鐘楼、首都時代の大統領官邸(今はクスコ市役所)の前を通り、自由の館=独立記念館へ。まだ190年しか経っていないのにこの国はラプラタ・チャルカス・チュキサカ・スクレ・ボリヴァルの国・ボリビアと名前を変えている。建国功労者ボリヴァルとクスコはいずれもアルゼンチン人である。独立戦争時にはジャンヌ・ダルクのような女性の英雄も現れ、原住民とともに戦った。

自由の館は独立宣言をした場所であり、宣言書のレプリカが歴代大統領肖像とともに飾ってある。独立については著名弁護士、軍人などの助言があり、「ボリヴァルの国」を「ボリビア」としたらしい。またよく戦争をする国で歴代大統領のうち半数以上が軍出身者で、ブラジル、アルゼンチン、チリなどと戦い、その都度負けている。

ボリビア国旗に描かれる星の数は10個の州を表すが、ブラジルに取られた10番目の州を忘れないためだという。国旗は独立時に流された血の赤、文化を表す黄色、アマゾン地帯の緑の3色からなり、中央にコンドル、スクレ銀山、リャマ、小麦、構成する州を10個で表す。日本に比べればなんとも欲張った旗だが若い国の意気込みは伝わってくる。この旗も既に2回変わってきた。


自由の館中庭

自由の館 大ホール(議会)

建国功労者の肖像

独立宣言書

偉人使用の置き時計

自由の館入り口

市内観光を終わってホテルへ。ここもスペインの金持ちの館を改築したらしく、部屋は3階で中庭があり、迷路のような階段を登った先であった。広々とした部屋だが、隣の家の雑音が少しうるさかった。

夕食は、竜馬君が昨夜の挽回をしようと町で探してきたレストラン。雰囲気が落ち着いていて、料理も美味しく、何よりも野菜がバッフェになっていて、生野菜食べ放題が良い。ここでも高山病を警戒してワインはセーブした。


ホテル・デ・ス・メルセド入口

ホテルロビー


ホテル内部 部屋と展望

ガイドのフレディ 丁寧な説明だった


夕食のメニュー

帰りはとっぷりと日が暮れていた






ウユニ湖への旅②スクレ

2017-03-01 14:42:54 | 行ってきました

サンタ・クルス空港 カプリさんとここでお別れ

ボリビア航空機で出発

歩いて建物内へ

外観も洒落た空港建物

本日はウユニへの中継点スクレ(高度3000m)への高度順応のための移動。高山病のに対する警戒心が押し寄せる。
ホテルで早めの朝食を、結構沢山(20人位か)の宿泊客と一緒にとり、サンタクルスの空港へは、8時には到着。カプリさんもホテルまで来て空港まで同行、チェックインの手続きをしてくれる。50分ほどでスクレ着。本日のガイドはフレディ。イケメンであるが彼はこの後丁寧な説明の連発で、我々に接した。

空港からすぐに緑の丘陵地帯を抜け、住居が点在する街に入る。坂を登ってスペイン様式の広場へ到着。ここには時計塔がついた入り口があり歴史的な建物だと分かる。スペイン広場を抜け、回廊を通り、露店を潜った所にこじんまりした民族博物館があった。スペインが征服する以前からの先住民族が織物で残している世界観を、フレディは説明してくれる。それによればこの世は地下(死後)地上(現世)天国と3つに分かれる。スクレは大きく分けて3つの部族にからなり、1つは赤と黒の織物で見たこともない怪獣で地下世界を表現し、他の部族は白やいろいろな色彩で動物、鳥、太陽、星を表現した。モザイクのような織物で表現されている。

服装については、もともと彼等先住民は脇の見えるエプロンとベルトのみであったが、スペインは肌の露出を嫌ったため、ズボンと上着を強制した。そこで彼等は折衷的な服装に改め現代のチョリーナさんの服装を典型とするようになった。また宗教的にも3角石をマリア像として拝むようスペイン宣教師から言われるも、8割位の人達が、内心自分たちの神の象徴=大地の神として崇めていたという。

また入口の建物では、民族衣装をした人が、手織りの実演をしていたが、1,5m織るのに3=4ヶ月掛かるという。こちらには豊田佐吉が現れなかったので、今だに伝統がまもれている。


緑の丘陵地帯に入る

本日のガイド・フレディ

丘陵に住宅が点在

街の最も古い広場

スペイン時代の名残り

雑多な露店の間をくぐる チョリーナさんが入り口に座る

博物館入口

博物館中庭

道を挟んで向かい側のレストランで昼食。高台にあるこのレストランからは見晴らしがよく、オレンジ瓦の屋根、白い壁がひしめくヨーロッパ風の世界遺産の街を眺めながら、ボリビア料理を味わった。豆のスープ、パプリカ、トマト、牛肉、フレンチフライ、などを炒めた一皿。ビールもスクレ製で美味しい。但し高山病を警戒してすべてのものを6,7分目にとどめた。(続く)


世界遺産スクレの街並み

昼食のレストラン

昼食のメニュー