がんぼのぶらり紀行

北海道オホーツク遠軽で、昭和時代のお茶の間みたいな食堂 やってる おばちゃんです。

回顧録 2013年4月14日(日) その1

2013年07月02日 23時18分43秒 | My House♡ My Fashion♡

この日からカメラを常時持ち歩き、写真を撮り始めた。12日・13日はそんな余裕さえなかった。
電話の履歴と写真の時間記録が今後何か役に立つかも。
哀しい想い出にもなってしまいそうだが・・o(TヘTo)

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09:53 電話→ 札幌大家さん息子

 「父から今日、電話がいきましたか?」 「いいえ今日はまだ来ていません。昨日は夕方同じ電話を頂きましたが。」 「ではこれからかかってくるかもしれません」

要するに大家さんと大家息子さんとの交渉は決裂。

再度がんぼへ 「部屋をあけろ」 と電話がかかる とのこと。

大家息子さんは、現状で何とか打開策がないか考えておられるようだったが、父親の 『以前住んでいた俺の家』 (現在、がんぼ家が借りている家)へ戻るという意志があまりにも強く、「同居はできませんか?」 といわれた。 「!! 無理です!!」 

冗談じゃない。 

がんぼ家が現住居を借りる際、大家さんが 「引越し先の道営住宅は狭くすべての荷物を置けない。 入らない荷物を置かせてくれ」 と、堤防側の2部屋~玄関(といってもベランダサッシだが)が裏にもひとつついている~ をそのままにした。

我らからすれば 出入りする必要のない部屋への入り口は 『開かずの扉』 

大判のビニールを重ね貼りして出入りを一切しなかった。 もちろん大家さん部屋からも鍵を取り付けているような音などを聞いたので、実質双方から封印した状態であっただろう。

その時にも家賃を払いに行った際、その話をお互いにしながら 「俺らの荷物を置かせてくれ」「逆間貸しですね(笑)」 だったり、掃除機をかけたりカラオケ機械を使ったりするからと電気代を払うのでメーター数字をみておいてほしいと手帳を半分に切った小さなメモ帳を渡された。(今も現存)

だが使用する電気量(メーターが複数ついているが該当する部屋メーターは数値がほとんど変わらず)微々たるものなので、「いりませんよ、使ってください」と言った。

その際に使った、大家さんが用意した小さなメモ帳も手元にとってある。

 

大家さんがその部屋へ戻って住まいするようになれば当然トイレを使う。 トイレは共有となるから、使用するために 『開かずの扉』 の封印を開けなければならない。

開ければ当然ネコだって出入りしてしまう。

大家さんはネコが大嫌い。近所で出歩いている家ネコに畑を荒らされたらしく、うちのネコを疑われており、「とっ捕まえたら山へ捨ててくる」「殺してやる」とも言われたことがある。 同居などできるわけがない。

 

息子さんからは、

「電話は行くと思います。何とかこなしてください」 (みたいなことを言われた気がする。
 
10:28 電話← 不動産A ペット可の物件ありませんか。

10:40 電話← I 専務 突然引越ししなくてはならなくなり、仕事が数ヶ月以上中断する可能性があることを連絡。先方が会議中で「あとからかけなおします」ということで一度電話を切る。
 
11:09  電話→ ホーム 懸念したとおり再び大家さんから電話あり。 今日もホームの職員らしい女性がまず電話応対し、その後大家さんと電話を替わる。

内容は今までと同じであり、更に「荷物ももうまとめた。知人に頼んで車を出してもらうことになっている。明日帰る」「帰ってこられても荷物はすぐには動かせません・・(以下これまでと同文)」 「2階も使っていたのか。家賃値上げ」 を重ねて言われる。 こちらから話をしようとすると、また「話にならん」と切られる。がんぼ憤慨。

11:12 電話→ 不動産A ペット可の物件はない。
 
実家食堂へ。 一応『店の手伝いに行った』のだが、両親に再びホームから電話が来たことを伝える。

月曜日に(明日!)帰ってくることが間違いないと思われ、荷物をまとめて今の家を出ることに合意。 すぐに帰宅。

だが、どこへ? 転居先はまだ決まっていない。


覚悟も諦めも決心も全くつかないまま、自宅へ到着。

玄関へ入り、靴を脱いで室内を見た瞬間、自失。   「どこへ引っ越すの?」 


運び出さなければならない荷物の量、後始末、事務処理、仕事先への連絡、着手中の作業全て・・それらを 「今、これからどうしたらいいのか」 が頭の中で渦を巻き、何から手をつけてよいのかも脳が判断できない。 立ち尽くす。

次の家がまだ決まっていないのに、荷造りをして 「この家を出て行かなければならない」 のだ。 どこへ行くの?
 
仮に運良く引越し先が見つかったところで、電話線はつながっているのか? すぐにインターネットは使える家か? 使えなければ新たにインターネット回線を引かなくてはならない。私はインターネットを主として仕事をし生活をしている業者なのだ。

今日から生活を支える『仕事』ができなくなる。そしていつ再開出来るのか全く未知。 = 収入がゼロになるのだ。

来月から、いや、明日からどう生きていくのか。



とにかく、「動かなきゃ・・」

巡る頭と裏腹に手が体が動き出した。 調理台の前に立ち、まな板と包丁をつかんだ。 スイッチが入った。 

 

箱、袋、何でもいい、入れるもの。 それからビニールひも、紙テープ、マジックが必要。 

荷造りするために必要なもの、家の設備~自分でつけた棚や道具類~をはずすために電動ドライバー、かなづち、ペンチ、それから・・!


手当たり次第にカゴやボウルや「入れ物」に小物を放り込みテープでまとめる。 

どこかでダンボール箱を大量に調達してこなければ!


顧客様複数に電話連絡しなければ。 仕事を頂いている顧客様へ事情を話して 「数ヶ月、仕事ができなくなる。迷惑をかけるがすみません。」と伝えなくてはならない。 

お客様によっては、「すぐに対応できないインターネット業者なら役に立たない。取引をやめる。」と言われることも当然想定される。 家だけでなく仕事も失う。 生活が壊れる。 なぜこんなことになるのだ。 頭は繰り返しそのことばかりを考える。
 
12:34 電話← 不動産A 仕事が継続できなくなった。申し訳ない。 「復帰はいつ?」と聞かれたが当然応えられない。引越し先の家もないのだから。

12:37 電話← 不動産B 仕事が継続できなくなった。申し訳ない。 と、不動産B社より 「狭いが、ペット可物件あるが? 行くあてがないならとりあえずでも」  何という幸運! 藁にもすがる思いで、仮宅としてお願いする。 だって他に行くところがないのだ。 場所は旧宅(現在住まいしていた家)から歩いて3分ほど。

 

幸運1 その日のうちにペット可物件見つかる

 

何と、30年前 結婚したばかりの時5年ほど住まいした同じアパート。 何の因縁か。

2LDKで、台所&居間8帖、和室6帖が2、浴室、水洗トイレ。 『新婚夫婦2人が住むに充分』 な物件で30年前は満足していた。

しかし今回、大人が3人。 これまで通算30年以上生活してきた荷物が2LDKに全て入るわけがない。

12:48 電話→ 同僚 12日からの一連の出来事を全て知っている同僚から現状確認の電話が来た。

結局、現在の家を出なければならなくなったことを伝えると、手伝いに行くと申し出てくれた。同僚父は荷物運び出し、同僚はPC(サーバー込み)全ての取り外し。

我が家には2本のインターネット回線が引かれPCが4台、うち1台はサーバー機として顧客様のデータを預かり稼動中。その取り外しと移動を同僚にお願いした。 周辺機器の数もコードの本数も機材の設置数も半端ではない。素人さんには無理な作業だ。

12:57 電話← 娘勤務先 長女の働くコープさっぽろへ電話。サービスカウンターで出てくれた方に「急ぎです。娘を電話にお願いします!」 長女に 「結局、引越ししなくてはならなくなった。急ぎ帰れ。上司に話すから電話を変わってちょうだい!」

わけを話して再び娘に代わってもらい、どこかでダンボール類をたくさんもらって帰ってきて欲しいと伝え電話を切る。

13:04 電話← 大工 入居時から2部屋を通しで使っていたため、引き戸のレールもはずしてあった。それを治してもらうため知人に電話をする。

13:05 電話← 燃料店 台所・風呂で使用しているガスボイラーはずして下さいと電話をする。

14:07 電話→ 不動産B 仮宅の契約手続きと鍵を渡すので事務所に来るようにとの電話があった。

 
14:33 電話→ I専務 先ほど会議中で電話を一度切った専務から何事かと連絡あり。 簡単に事情を話す。 

実家の母が、昼の食事を作ってタクシーで届けてくれた。 ありがとう。 涙が出た。 迷惑かけてごめん。

煮カツ、おにぎり、漬物・・ うれしい。 でもまだ食べている時間が惜しい。

 

不動産B訪問。 仮宅の鍵を2本と「明日でいいから」と契約書を書いてくるよう渡される。

普段持ち歩いている貴重品を入れたバッグをなくさないようさらに大きなトートバッグに、チャックつきバインダーを複数。常時 自分のそばへ置くことにした。

【画像撮影時刻 15:15】 仮宅となったアパート。30年前に道路に面したA号室に住まいしていた。今回は1階の奥、B号室。部屋の確認に行き、撮った画像。

【画像撮影時刻 15:17】 旧宅。仮宅を確認後、旧宅に戻り、中へ入る前に撮った画像。

【画像撮影時刻 15:22】旧宅。 息子がマットレスを立て持っている。障子は2階から下ろしてきたもの。娘は・・仮宅の鍵を見せびらかしているのか? > なくすと困るので大きな黒い 『真っ黒クロスケ』 ヌイグルミに小さな鍵を結びつけた。
撮影時間は15:22なのに壁の時計が2時半。あら?

同僚父さんと大工さんがどんどん小物を運び出し、外へ止めた大工さんのトラックへ運び込む。

「どこへもっていくんだ?」 「あ! 今一緒に行きます。すぐそこです」


【画像撮影時刻 15:22】 旧宅。 昨日まで普通に生活していた台所。 散らかり具合は目をつぶって欲しいが、それでもいろいろ工夫しながら使いやすくなった家だったのだ。 工具の入った引き出し。「これ道具箱です!持ち出さないで!」

【画像撮影時刻 16:18】 旧宅。 まとめられるものから、次々と運び出す。分別などしている暇がない。手当たり次第という感じ。そこにある、ひとかたまりをとにかくまとめて紐をかけて運び出す。

【画像撮影時刻 16:18】 旧宅。カーテン左側が仕事部屋、右側が寝室として使用していた。ベッドとふとんは既に運び出された。

17:19 電話← 不動産B 状況確認。

17:30 電話→ 不動産B 燃料店との連絡が取れた。契約交わす必要あるので時間できたら事務所へと電話あり

17:41 電話← 燃料店 仮宅の状況確認お願い。ガスやお風呂設備があるかないか不明のため確認してほしいと電話をした。 > 仮宅(2013年4月16日~5月8日)の火回り水周りが使用可能か不明のため見てもらった。 台所にガスボイラーが設置されており、お湯が使える。お風呂もお湯が出るようだが水圧が低いとのこと。
 
引越し業者(ヤマト・名前忘れ)に2ヶ所打診したが、すべて「見積後一週間後になります」 「何とかなりませんか」 「無理です」 今日頼んで今日来てくれる訳がない。 間に合わないのだ。それだけ急なことなのだ。
 
大工さんは 『はずしてあった引き戸のレールをつけるだけ』 に呼ばれたのに、結局この日から3日間引越しの手伝いを朝から晩まで、また、新宅(南町)が決まるまでトラックに大量の荷物を積んだまま10日近くも預かってくれた。感謝!

燃料店もガスボイラー、風呂釜等を取り外しに呼ばれたのに、同上。

同僚と同僚父もこの日から3日間、車の提供をはじめ大変な労力を提供してくださった。重ねて感謝!

【画像撮影時刻 19:51】 仮宅。玄関から入った正面。 右のドアは6畳和室。突き当たりドアはトイレ。右隣は脱衣室と浴室。荷物はベランダを大解放してどんどん詰め込まれていく。洗濯機、このままじゃ邪魔。 とにかく奥へ移動しないと。

【画像撮影時刻 19:51】 仮宅。食器棚。紙テープの質が悪く、貼ってもすぐ破れオマケに跡がガッツリ残り取れない。先日ネットで見た「汚部屋」「ゴミ屋敷」そのままの状態にガッカリ。この写真アップしたら通用するよ、ホンマ。(泣)

【画像撮影時刻 19:51】 仮宅。ベランダから荷物を運び入れる息子。 暗闇と同化している。 外はもう真っ暗だ。

 


回顧録 2013年4月13日(土)

2013年07月02日 22時33分47秒 | My House♡ My Fashion♡
08:00 ろくに眠れず早朝からごそごそやっていたが、たまらず実家へ相談に行く。
昨日の電話の勢いでは、帰ってくることを止めることは無理だろう。月曜日には間違いなく大家さんはこの家へ戻ってくると思われる。
がんぼの心の中は、(今回この問題が起こったことがきっかけで)一度は収束したとしても再び同じことが起きうることを想定した。今は収まっても、すぐにまた同様のことが起きるだろうと。早く決心をしたほうがよいのでは。。。

大家さんの息子さんからは「そのまま動くな」と言われ、大家さん本人からは、帰ってくると言っている月曜日までには『あけろ』と言われた。
 
大家さんから「あけろ」と言われた場合、出なければならないと思った。
 
でもこんな急に? 
 
無理だよ。 でも、あさって月曜日には大家さんがこの家に帰って来るんだよ。大家息子さんが「がんぼ家はそのままで(動かずに)」ということは、がんぼ家はそのまま動くことなく、ホームから帰ってきた大家さんを「受け入れろ」ということになるんだよ。
 
やだよ、そんなの。
 
仮に、現状住んでいる部屋の荷物を奥の部屋へ全て移動するにしても、現在の自分の仕事量その他を考えると今すぐにでも動き出さなければ、たとえ移動先が隣の部屋だとしても、すべての荷物の搬出はできない。
 
大きな現実にぶちあたった。
 
 
言われるまま荷物を別の部屋へ移動したとして、月曜日から同じ屋根の下、大家さんと同居するのか?
 
大家さんと今後 数ヶ月~数年~ がんぼ家は同居するのか??
 
 
 
この家に住み続けることは考えられなかった。近いうち、それも数日中に引っ越すことになる。後始末のことを考え始めた。
 
しかしネコがいる。貸家はペット可がとても少ない。次の家は簡単に見つけられるとは思えない。
 
08:34 電話← 燃料店 ガスボイラーと風呂釜をはずしてもらうにはいくらかかりますか?

08:35 電話← 大工さん (はずしてしまっていた)引き戸のレールをつけてもらいたいんですが・・

09:30 自宅へ戻り、自治会 N沢さんを訪ねるがすでに仕事へ。奥さんに「ご主人に用事がある」と伝え夕方再訪問の旨伝える。

10:00 先輩O明さんからブログ・吹奏楽OBG会についての電話あり。引越ししないといけないかもの話をする。

11:00 実家食堂へ出勤

13:00 帰宅。不要PC送付先確認。宅配回収業者・大阪

13:38 電話← 同僚 近いうちに引っ越すことになりそうだが、これから家を探さねばならない。仕事が止まる。同僚から「知人の不動産屋さんに相談してみては」と助言あり。

14:00 同僚に来てもらいPC類の捨てる・残すの確認。残すものは同僚宅へ運んでいくことにする。

14:50 電話← 不動産A 今回の一件を電話で相談。電話で伝えてきた大家さんの言い分は通用しない、引っ越す必要はないといわれる。

14:52 電話← 実家 母 不動産屋Aに相談した結果を簡単に伝え、自宅へ戻り仕事を続けると連絡する。
自宅へ戻り、顧客様のHP更新作業を再開。

15:00 同僚母屋へ。同僚父に一部始終を説明。病気の同僚母の旭川病院への通院と引越し騒ぎがかぶらないようスケジュール調整が必要。

15:30 電話← 不動産Aに再度相談。自宅へきてくれる。大家さんから申し出があったとしても6ヶ月は家を出なくてもよいとの結論。しかし、ネコ居住可能な借家は不動産屋さん情報で現在ゼロと。

16:30 同僚を自宅へ。 息子と大通り南3の自治会費集金。 自治会長宅玄関で一通り説明し、任期半ばで引越しもありうることを示唆。(4月からがんぼ家班長)

17:11 電話→ ホーム 再びホームの女性職員を経由して電話が来る。話は昨日と同じ。
「俺月曜日に帰るから。部屋をあけてくれ」「生活しています。荷物があります。仕事も詰まっていてすぐにと言われても2日や3日で部屋の家具を動かせません」「別の部屋へ移動すればいい」「別の部屋も使っています」「二階がある」「2階は子供らが使わせてもらっています」「あの大きな家を全部使っているのか。なら家賃を上げなきゃならん。とにかく話は俺が帰ってから。部屋をあけてくれよ。ここでは話にならんから切るから」がんぼが声を荒げ「おじさん待って!話聞いて!」と言うが電話を切られる。

18:43 電話← ヤマト運輸 数日前より「不要なモニター」引取りについての打診。14日に引き取りに来てもらうことに。
 

回顧録 2013年4月12日(金)

2013年07月02日 21時30分03秒 | My House♡ My Fashion♡
2013年、1本の電話から突然巻き起こった、ある騒動。私の人生の中でいくつめの『おおごと』になるのだろう。
 
ここからは電話の記録を元に時系列で記載していく。 言葉の言い回しは正確に録音しているものではないので、一語一句間違いないとは言えないことを了承頂きたい。

電話→ は「かかってきた電話」 電話← は「かけた電話」

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18:44 電話→ 見知らぬ電話番号。お客様の可能性もあるので迷わず出る。

はい。○○○です。」

「こちら○○町の××ですが、■■さんをご存知ですか?」

「はい。お借りしている家の大家さんです。」

「電話を変わります。」

大家さんから遠軽へ帰るから部屋を空けろと電話あり。突然のことで何が何やらわからない。

 

入居中のグループホームを3日後の月曜日に出て遠軽へ帰る。 今日は金曜日の夜で事務手続きがもうできないので月曜日に、書類が揃ったら、がんぼたちが入っている家に戻るからすぐに出てくれ。

は? 何? どういうこと?

「急 に言われましても仕事も抱えてますし、家具の移動など1日では無理です!」 などお答えしたのだが、「これ以上電話で話してもダ メだから。とにかくオレは2日後には帰るから部屋をあけてくれ。 住み続けるつもりがあるなら家賃値上げ等も考える」 

 詳しく、重ねて聞こうとしたら、「ホームの事務所の電話なので時間をかけられない。とにかく月曜日には帰るから、あんたら部屋を空けてくれ」と一方的に切れた。

 
呆然。 何を言われた? どういうこと?
 
携帯電話を持ったまま、二階にいる息子へ相談に。 
 
19:00 頃、訳が解らないまま、 「店へ行って相談したいが一緒に行って」 二人で実家の店へ。
 
19:20 頃、グループホームへ確認したほうが早い、と母が直接電話をする。 ホーム側は最初にこちらが何者かを確認した上で(大家さんに家を借りていて、月曜日に帰るから出てくれと電話をもらい困惑していると伝えた) 簡単だが状況を知らせてくれた。

以前よりホーム内で揉め事があり、我慢が出来ず出る決心をしたらしい。 その間にホーム事務所では別の電話で札幌にいる大家息子さんと連絡がついたようで、ホーム職員さんより 「直接電話を頂きたいそうですが」 と電話番号を知らされる。 この際、メモを取るため母から私に電話を渡される。
 
ホームとの電話を切り、札幌大家息子さんへ電話を入れた。
札幌大家息子さんは、「土日にホームを訪問、話をしにいく。」 と言われた。

私が、「月曜日に帰る。部屋をあけろと言われました。どうしたらいいのでしょう、荷物をまとめたほうがいいのでしょうか?」 とたずねたところ、現状はそのままでいてください。といわれる。

大家さんは現在85歳?の老齢のご夫婦で、ご自分で建てた家という、築50年を超えるこの家に長く住んでいらした。 子供たちも30年前に独立し、老齢の夫婦二人で住むには、この家は大きすぎるなどの理由から、5年前、新しく建てられた近所の道営住宅へ引越し、後を私たち一家がお借りするようになった。

その後、月に一度現金で家賃を届ける際、室内へあげて頂き、家賃通帳への押印をかね世間話などをした。

道営住宅での生活も暖かく快適だったが、奥様が高齢になり毎日の食事の支度をすることが大変になってきたことから、お二人で隣町のグループホームへと移られることになり、昨年春、これまた突然のお知らせ を戴いてその作業のため、かなりの ”仕事&生活スケジュールの圧迫” と相成った。(^o^;

そして今回の電話は、「事情がありホームを退所する。2日後には帰るので貸している部屋を明け渡して欲しい」。

「部屋」 とは、現在、がんぼが仕事部屋兼居間、寝室に使用している2部屋。 大家さんが住まいしていた時はお二人でその二部屋と、廊下の突き当たり、トイレとお風呂を使ってらしたようである。 が、お風呂はがんぼ家が借りる際「風呂釜が壊れていて使えない」といわれたので、使用していたかどうか不明。


私たち家族は、借りる時点で 「家を一軒、お借りした」という判断のもとで6年、これまで住まわせてもらって来た。

電話を戴いたことで、「部屋をあけてくれ」は、実質 「出てってくれ」 ということだと私には聞こえた。 それも2日後に。

札幌大家息子さんと話をしたことで、今日のところは何もせず様子を見ようと帰宅。仕事を再開したが当然、気もそぞろで仕事にならず。

午後10時半過ぎ、仕事を終えて帰ってきた娘に、大家さんから突然かかってきた電話のこと、そして、どんな内容であれ大家さんとの間にいざこざが突発した以上、大家さんとはもう付き合ってはいけない、長くはここに住みたくない、近いうちに引っ越したいと話した。

娘は驚きながらも一応納得してくれたと思う。

時刻23時過ぎ。 同僚には事の次第を電話で報告しておいた。


内容掲示

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