ゼロ・エミッション・ビークルって

 モーターショーが始まると、普段はクルマに冷淡な朝日新聞までもが連日クルマ関連の記事を掲載するようになる。それはそれでいいんだけれど、気になるのは今どき話題のハイブリッドカーやEV(Electric Vehicle、つまり電気自動車のこと)についての記事(朝日新聞に限ったことではないが)。特にEVがイコール、ゼロ・エミッションと云う論調で書かれていることが大いに気になる郷秋<Gauche>である。

 確かにEVそれ自体が走行時にCO2を含む排気ガスを排出することはない。目の前で走行しているEVは確かに排気ガスを排出していないが、EVのバッテリーに充電する電気がどのようにして作られているのかを考えてみて欲しい。

 現在日本で使われている電気の65%は石化燃料によって作られている事実をご存知だろうか。EVのバッテリーを充填するための電気は石油や石炭やLNGと云った石化燃焼を燃やして作られているのである。EVも元を辿れば結局ガソリンを燃料とする自動車と同じじゃないかと云うことになるのだが、効率良くしかも低コストで走る必要のある自動車に積まれたガソリンエンジンやディーゼルエンジンが徹底した排気ガス対策ができないのに対して、石化燃料を燃やして電気を作る火力発電所では徹底した排気ガス対策を採ることが出来る。

 考えても見れば当然のことだが、動く必要のない火力発電所ならば大きさや重さを考えずにほぼ完璧な排気ガス浄化装置を装備することが出来るが、自動車に搭載できる排気ガス浄化装置の性能には自ずと限界がある。そうは云っても火力発電所がCO2を発生させないのかと云えばそんなことはないわけで、つまりはEVたりとも動力源となる発電所まで辿ればゼロ・エミッションなどありえないということである。そのことを忘れて、あるいは意図的に隠して「EV=ゼロ・エミッション」と書きたてるマスコミは、いかがなものだろうか。

 原子力発電所ならば原理的にCO2を排出しないはずだと思うけれど、放射性廃棄物の保管・処理という厄介な問題がある。電力の約7%をまかなう水力発電なら環境負担は少ないように思うけれど、環境及び景観破壊の問題があり、おいそれと増設できない。風力発電は騒音、特に低周波の人体への影響が問題視されている。火山国日本なら地熱発電が有望ではないかと思うのだが、普及しないところを見ると郷秋<Gauche>のような素人が考えるほど簡単なものでなないのだろ。

 そんなこんなを考えると、究極のゼロ・エミッション・ビークルは、走行しても水しか排出しない燃料電池車だろうと郷秋<Gauche>は思うのだが、果たして燃料になる水素の生産コストや生産が及ぼす環境負担がどれほどなのかほとんど報道されていない。この当たりの問題は、食品トレイを水道水と洗剤で洗い排水を下水に流し、排気ガスと騒音を撒き散らす古いトラックで回収してプラスチックに再生するコストや環境負担が明らかにされていないのと同じだな。



 例によって記事本文とはなんお関係もない今日の一枚は、近所の公園の桂の木の黄葉。見た目はもっと黄色いんだけど、なんだか上手く色が出ないみたいで(^^;
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