月に12冊以上本を読むオトーサンって

 今日の神奈川新聞に「子の読書量、親に比例」と云う記事が掲載されていた。しかしだ、この記事のタイトル、なんか変だぞ。だって、子の読書量が、親に比例って、親の何に比例しているのかが書かれていない。親の体重にか?親の歳にか?親の兄弟姉妹の数にか?親の職業にか?親の出身地にか? って、これは揚げ足取りか。

 親の読書量に比例して子ども(小学校2年生)の読書量が多くなると云う厚生労働省の調査結果を報じる記事である。月に1冊しか本を読まない母親の子どもで月に12冊以上本を読むのは13.3%だが、月に12冊以上の本を読む母親の子どもの場合、月に12冊以上の本を読む子どもの割合は55.7%である。同様に月に1冊しか本を読まない父親の子どもが月に12冊の本を読む割合は14.5%だが、月に12冊以上の本を読む父親の子どもで月に12冊以上の本を読む割合は41.8%であると云う調査結果である。

 この記事を読んで郷秋<Gauche>は思ったぞ。第一にこの調査をしたのがどうして文部科学省ではなく厚生労働省なんだと。まっ、それは置いておくとしても、月に12冊以上の本を読むオカーサン、オトーサンがこの日本にいったい何人いるのだと。

 第一、一冊の本と云ってもそのボリュームはまちまちだろう。郷秋<Gauche>の書棚にある本の中で一番ボリュームの少なそうな本を探したら、それは「星の王子さま」だった。これなら1時間で読めるから月に12冊も可能かも知れないが、逆にボリュームの多そうな本、例えば以前にこのblogでもご紹介したこともある「百年小説」(ポプラ社)は1330頁である。これを月に12回読める人は多くないだろう。そうそう、「長い本」の代表である新旧約合わせて2000頁の「聖書」を忘れていたぞ。このボリュームの本を月に12冊読む人がいるか?

 同様に「長い本」、郷秋<Gauche>も数年前に夏の読書計画として取り上げたはよいものの、恥ずかしながら第2巻に入ったところで頓挫してそれっきりの、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」は全7巻つまり7冊だが、これをひと月で読める人は少ないだろうと、郷秋<Gauche>は思うぞ。ことほどさように、一言に「一冊」と云ってもその差は大きい。

 同じ類の疑問としては、「本」の定義が定かではない。小学校2年生の子どもが読む本としては「児童書」や「絵本」と例示されているが親が読む本にはその定義がされていないのだ。雑誌ではないとしても、果たして単行の「漫画本」が含まれるのか、「ムック」(Mook。Magazine の mと book のookからの造語で雑誌の体裁をした本)が含まれるのか。何ページ以上の本を「1冊」と勘定するのか、その辺が明確になっていなければ判断のしようもない。郷秋<Gauche>がいつも書いている「数字のマジック」「統計のインチキ」の好例だな。まっ、面白い記事ではあるのだから、これを掲載するのであればその辺りをちゃんと書いて欲しいものだぞ、神奈川新聞。

 更に云えば、小学校2年生約39,000人に調査票を配布して35,000人から回答があったということは書かれているが、月に12冊以上の本を読むオカーサンとオトーサンが何人いたのか、地域による有意な差があったのか無かったのかについても書かれていない。ま、このあたりは神奈川新聞の問題というよりも厚労省のプレスリリースの問題なのかも知れないが、そこそもこんな調査なんかしなくても両親が多読であれば子どもも多読、暇があればゲームに興じる親の子どもはやはりゲーム三昧の毎日であることは想像に難くない。厚労省がこの調査にいったいいかほどの経費をかけたのかは知らないが、まったく無駄な調査であることは間違いないな。


 春に花を咲かせた「えご」が結実した。花に劣らず可愛らしい実だが、更に時が立つと表皮が茶色く縮れて割け、なかから褐色の「種」が顔を見せる。昔はこの種をお手玉や枕に入れたという。お手玉はともかく、枕にするにはかなりの量の種を集めなければならないことだろう。
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