玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

新村さんの本は北書店に

2017年08月20日 | 玄文社

新潟市在住の松井まゆみさんからコメントで問い合わせがありましたので、お答えします。
玄文社発行の新村苑子さんの2冊の本について。
『律子の舟』は7月8日の若松英輔氏の講演会の時点までは、20部ほど残っていたのですが、当日の販売で売り切れてしまいました。現在、玄文社にも著者の新村さんのところにもお売りできる部数がございません。
『葦辺の母子』についても講演会での販売でかなり売れましたが、14部売れ残りがあり、新潟市役所前の「北書店」様に委託販売で置かせていただいております。早めに「北書店」様にお出でになれば手にはいるはずですので、よろしくお願い申し上げます。

 


うれしい贈り物(4)

2017年08月13日 | 玄文社

 中村龍介はわたしと同じ1951年生まれで、1973年に処女詩集『世界の片隅で』を出版し、1978年12月26日、経田さんが「師走、信濃川/歩いて歩いてあんたは入ってった」と書いているようにして自殺した。
 中村は分裂病者であった。彼の存在と言葉は私には重荷であった。彼が死んだ後に私は、死者というものは甦るものであるということを初めて知った。死者はキリストの復活のように甦る。ただし、肉体としてではなく、言葉として。私の胸の内に。
 そんなわけで中村の死の二年半後、私は彼の残した詩編をまとめて『中村龍介詩集』を編集し、出版した。
 経田さんはこの『中村龍介詩集』を読んで、作品を書いたのであろう。「死者をあがめてはならない」という言葉は、中村の「火の祭」という作品の冒頭の一行である。そして経田さんもまた、中村の甦りについて書くのである。

「生誕の夜、
死者は
水底から還ってきた、
ことばのために」

 しかし、そんなことばもむなしく消えていくものであることを、経田さんは残酷にも指摘する。

「雪に刻んだ、あんた、最後のことばも
 もう消えてしまったよ。
 それっきりさ。」

 もはやここに、経田さんの皮肉や底意地の悪さを見ることは出来ない。自分もまた死ねば、「最後のことばも消えてしまって、それっきり」だという認識を読み取るべきである。そこにはだから経田さん流の深いペシミズムがある。ペシミズムは他者に向かい、自己にも向けられる。37人のさまざまな死に方をした死者たちがいる。しかし、自分自身もまた未然の死を生きているのにすぎない。
 だから「死者をあがめてはならない」のだ。経田さんの37人の死者に対するスタンスは一貫しているが、そこに軽重があるのもまた事実である。
 3頁以上の長い作品を挙げれば、経田さんが深く傾倒している対象が分かるだろう。ジャック・ケルアック(アッケル・クヮジャ)、パウル・ツェラン(ウル・パツェンラ)、田端あきら子(コアラ・キタタバ)、シモーヌ・ヴェイユ(シモーヴェ・ユイヌ)、ヴィンセント・ゴッホ(セント・ヴィ・ゴホンツ)、アルチュール・ランボー(チューラン・アルルボー)、ジャニス・ジョプリン(ニジャ・J・プリンス)、ガルシア・ロルカ(ルルシカ・ガロア)の8人である。
 1970年パリのセーヌ川に死体の上がった、パウル・ツェランについての詩は、重厚で沈鬱、いささかも皮肉は感じられない。ナチスによるユダヤ人虐殺をテーマに詩を書いたツェランへの陰鬱なオマージュである。

「耳は夜の受話器にかしいでいる
声を待つ
骨つぼからばらばら砂が落ちる
声を待つ
焼死した
声を」

 さらにスペイン内乱で銃殺されたガルシア・ロルカについての詩は、手放しの讃辞に近い。最終連を引く。

「ルルシカよ
 あなたの死は
 何百万という無名の死の
 一つにすぎない
 しかし あなたの詩は
 わたしたちにとり
 稀有な 高潔な
 大きな謎なのだ」

 ヘロイン中毒のため27歳で死んだブルース歌手、ジャニス・ジョプリンをテーマにした作品が入っているのも経田さんらしい。ジャニスは我々日本人にとっても真実のスターだった。ロック・ミュージシャンの死の中で、彼女の死ほど惜しまれたものはない。
 ミュージシャンでは他に、ジミ・ヘンドリックスやチャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンなどが取り上げられている。いずれも麻薬や癌で夭逝した人たちである。

『洪水と贈り物』の紹介はこれで終わりにするが、この詩集がたった限定200部しか発行されていないということが信じがたい。なんということだ。
(この項おわり)


うれしい贈り物(3)

2017年08月12日 | 玄文社

 最後の章、第4章「踊る死者たち」は、洪水とは無関係な37編の詩で構成されている。「舟」という詩誌に1976年から1980年にかけて発表されたものだ。
 タイトルは有名あるいは無名の詩人・作家・画家・ミュージシャンたちの名前のアナグラムになっていて、すぐにはそれが誰だか分からない。経田さん自身が巻末に真名を挙げているので、ようやくそれと分かる。
 なぜこんな手の込んだことをするのかと思うかも知れないが、さまざまな死に方をした詩人や画家、ミュージシャンに対する言葉が、愛憎のように錯綜していて、ストレートに示すことが出来なかったのだろう。そしてアナグラムもまた、修辞的技法のひとつであり、経田さんの死者に対する複雑で錯綜した意識を、そのまま反映しているのかも知れない。
 たとえばアルチュール・ランボーは、チューラン・アルルボーと表記され、ジャニス・ジョプリンはニジャ・J・プリンスと呼ばれる。村山槐多はマタイ・カラヤム、宮沢賢治はケヤミ・ジンザワと換えられているから、それが日本人なのかどうかさえ分からない。
 経田さんは私なら批評の言葉で書くであろう、死者に対する思いを詩の言葉で書く。批評の言葉で書くときと同じように、その死者に対する思いが希薄なケースでは作品は短くなり、それが濃い場合には作品が長くなる。
 だから、37編の中で短い詩編を挙げてみれば、経田さんの思い入れの浅い対象が見えてくる。1頁しかない詩編が5編。アメディオ・モジリアーニ(ジオメニア・アデリモ)、西一知(トモニシ・カズ)、中原中也(ハカナヤ・ラウチュ)、ウラジミール・マヤコフスキー(フルスコラージ・ミヤマウスキー)、ヴェイチェル・リンゼィ(ルヴェイ・チェゼーリン)の5人をテーマにした作品である。
 特に中原中也はたった6行しかないので、そっくり引用しよう。

「此の男、詩しか書けなくってまるでダダッ子。顔まで詩人らしく気取り、酒を飲めば一等先に酔っ払いいっそう詩人らしい振る舞いだ。詩を書き、詩を食べ、詩に食べられ、死んでしまった。不幸な日々も不幸な人も在りき。詩の花冠は結核性脳膜炎らしい。もう先はない。」

 私が詩人だったらこんな風に書かれたくはない。経田さんの皮肉は「此の男」に対して最も厳しい。中原は詩人を気取り、不幸を気取った人であった。中原の友人であった大岡昇平は中原が言う「詩人は不幸でなければならない」という考え方を真っ向から否定しているが、不幸な人間が詩人であることはあっても、すべての詩人が不幸でなければならないというような考え方は、完全に倒錯している。
 このような倒錯した考え方を、日本の結核文学と言われるジャンルも受け入れたのであったが、中原は結核で死んだのであり二重に倒錯していた。だから「もう先はない」のだ。

 マヤコフスキーはどうか。こちらは11行。部分的に引く。

「赤い乱痴気革命パーティのさなか
 声を限りに語り語り 騙り
 魂の真実とやらに耳をいれすぎ
 痩せた両手で両耳押しつぶした」

「愛も革命も詩も
 行き過ぎは魂消える
 そして 一発
 それっきり」

マヤコフスキーは〝行き過ぎた〟愛情関係の末に、拳銃自殺を遂げている(他殺説もあるが)。死者に対してなんと無慈悲な言葉であろう。しかし、我々はすべての死者に対して慈悲深くあることを許されていない。
 私のかつての友人であり、信濃川で入水自殺した詩人・中村龍介は「死者を あがめてはならない」と書いたのだったが、経田さんはその中村についても一編をものしている。

 


うれしい贈り物(2)

2017年08月05日 | 玄文社

 第2章は「おお 水よ」で、この章が直接的に洪水をテーマとする。追記に言う。

「哄笑が爪弾く。わが五十嵐川の洪水史は氾濫だらけである。花子も赤ん坊も消えた近代および現代にも五十嵐川は破堤を繰り返した。」

 いきなり「哄笑が爪弾く」ときた。洪水でなく〝哄笑〟なのだ。この章に収められた詩編は、冗談や駄洒落、地口、言葉遊びを総動員した戯れ歌なのだ。
 洪水のような哄笑、哄笑のような洪水。不謹慎である。しかし、これこそが経田さんの真骨頂であろう。あの吉岡又司論のずっと前から、経田さんはこんな詩を書いていたのだ。

 ほむらたつ草むら
 村の女たち 阿亀たち眠る
 火魔羅たつ肉むら
 火吹き男たち眠る    (Ⅰ 発端は雨だった)

また、卑猥で卑俗な表現も頻出する。

 川があふれ
 土手を越える
 肥えた土手を越える
 女たち 夏を笑って
 腹を叩き合う
 土手が切れたぞ!
 男たち土手を走った
 踊る男根 縮む金玉    (Ⅱ 洪水たち)

 かと思えば、見事なエロティックなイメージ。

 花子の
 はった乳房の丘から
 空を撃つ白い噴水
 アアッ流れ星! ひとつ!
 髪がくねるいびつの丘よ
 痩せた丘を谷を荒れた髪が長くはう  (Ⅱ 洪水たち)

 さらには土俗的な村人たちの方言まで。

 おとと、どこら
 手探りすらんだろも
 闇が深っこうて
 おととがいねえ
 燃えて燃えて燃えて燃えて
 おらぁ眠らんねえんだてばァ
 おらを灰にしてくらっしゃい      (Ⅱ 洪水たち)

 花子とは誰か? 「花子も赤ん坊も消えた近代および現代」とあるから、それは近代以前の村落共同体の母系的心性を意味しているのだろうか? あるいは豊饒の大地のイメージを?
 しかし、花子も赤ん坊も洪水によって流され、大地に帰る。そして村人たちは花子を捜しに森に入り、牧場の塩の窪に赤子を発見するのである。
 この物語が何を意味しているのかはっきりとは分からない。しかし、少なくとも前近代的な村落共同体の死と再生のイメージを持っていることは感じ取れる。経田さんは洪水を通して五十嵐川流域の地誌を書いたのだと言える。
 しかし、地誌が戯れ歌やファルスになってしまう、あるいは意図的に戯れ歌やファルスとして地誌を書こうとすること自体、経田さんの前近代的なものへの距離の取り方を示しているように思う。でなければもっと真面目にそれは書かれなければならない。
 その距離の取り方のあり方はこの章の「序詩」に示されている。最終5行を引く。

 少年よ いでよ
 夏の舌もつ声もって
 美しい災厄あってこそ
 光の世界が到来する
 ああ 八月の夜の空が
 闇にふるえて

「美しい災厄」などというものはあり得ない。災厄はいつでも酷薄で、残酷で、酷い。しかし災厄が夏の舌もつ少年の声で語られるとき、それが美しいもに姿を変えるということはあり得る。そこには現実と語られる現実との間の表現論的な背理がある(しかし語られない現実とはいったい何なのか?)。
「夏の舌もつ少年」たる経田さんは三条の洪水の歴史に代表される災厄の表現において、光と闇の背理の実践に賭けているのである。

 


うれしい贈り物(1)

2017年08月03日 | 玄文社

 拙著『言語と境界』をいろんな方にお送りしているが、お返しにその方の著書をいただくことがある。三条市の詩人・経田佑介さんから、今年7月に出たばかりの詩集『洪水と贈り物』が届いた。
 経田さんは私の著書を半分まで読まれたところで、「ソシュールは相当勉強しましたが、ずっとことばをつかうことの方がおもしろくてやってきました」と書いている。『言語と境界』は後半がベンヤミン論で、その「言語一般および人間の言語について」の解読については、ソシュールの言語論を参照しているので、経田さんはそのことを言っているのである。
 経田さんの言うように言語理論を理詰めで追究していくよりも、「ことばをつかうことの方が」面白いのは至極当然のことだが、多くの詩人たちが「おもしろくてやって」いるわけでは必ずしもない。苦汁の末に絞り出して無理やり書いたような詩が多くある中で、経田さんの作品はそんな苦労を微塵も感じさせないものなのである。
 経田さんは多作な人である。1939年生まれだから私よりひとまわり年上だが、これまでに詩集、訳詩集、短編集など20冊ほどの著書を持っている。私はもともと現代詩のよい読者ではなく、経田さんの詩についてもそれほどよく読んできたわけではない。
 しかし、わが「北方文学」の創始者・吉岡又司が亡くなったときの、追悼の文章には目を見張らざるを得なかった。ひたすら吉岡詩の修辞的部分、とりわけ地口や駄洒落について書かれた文章だったが、それが吉岡詩の本質を見事に突いていたのだ。実践なくして書き得ない文章であった。
『洪水と贈り物』にも私はまいってしまった。この詩集は「羊水の海で」「おお 水よ」「クルミ割り」「踊る死者たち」の四つの章に分かれているが、「羊水の海で」は次のように始まる。

「昨日ははげしい雨にうたれていた。あなたはぐっしょり濡れた下着のぬかるみのまま一本の樹をめざしていた。はげしく幹を叩く音がした。
今朝の戸口の熱いノックをあなたは聞いたのだったか。
冷たい雨粒が顔を叩くのだ。旅人は衣服を小川のほとりで脱ぎすてたのではなかったか、あるいは熱い肉体から衣服はすべり落ちて溶けてしまったのだ。」
 
〈あなた〉とは何か? 〈樹〉とは何か? 〈旅人〉とは誰のことを言っているのか? そんなことを考える余裕すら与えず、〈あなた〉は〈女〉へ、〈樹〉は〈裸の樹〉へ、〈旅人〉は〈わたし〉へと変奏され、さらに〈女〉は〈宙吊りにされた女〉へ、〈樹木〉は〈燃える樹〉へ、〈わたし〉は〈夜の鳥〉へと変奏されていく。
 水の流れのように固定化されないイメージ、洪水のように溢れるイメージ、時に奔放に、時にシュルレアリスティックに、時には確固とした断言として、自在に変奏されるイメージの連鎖。
 散文詩である。誰がいったいこの半世紀の間に、次のような詩句を書き得たか?

「わたしは石を抱いた。
わたしは石を抱いた。爪で石を掻き、傷をつけた。水がわたしの胸を撃った。ワタシヲ洗エ。毛髪ヲ、スベテノ毛ヲ、クボミヲ、スベテノ管ヲ洗エ。石に胸を叩きつけ、腿をこすりつけ、祈った。やがてわたしの肉から赤い涙が流れ出した。溢れ出るもので石を包み、わたしは失われた。
消滅よ。すべて意味あるものの消滅よ。わたしは光を失った。鼻を失った。口を失った。耳を失った。皮膚を失った。一匹の盲目の小魚となって、石の周囲を泳ぐのだった。」

 言葉の意味よりも経田さんが刻んでいく言葉のリズムを味わえばよい。そして「消滅するわたし」を前に、未然の死を生きるものとして、その言葉におののくことができればそれでよい。
 最新詩集だが、発表年は1976年から2016年。最後の「追伸」の2016年を除けば、1981年までの5年間に発表された作品を再構成したのである。
 おそらくかなり手を入れているのだろう。なぜこれだけの作品が詩集としてまとめられることなく、放置されていたのだろう。そしてこの作品を貫いている、はげしい雨と洪水による災厄のイメージが、なぜ今日甦ることになったのだろう。
 三条市を流れる五十嵐川は繰り返される氾濫の歴史に彩られている。私が知っているだけでも2004年の7・13水害、そして2010年にも三条市は水害に見舞われている。
 直接的に水害をテーマにしているのは第2章「おお 水よ」の3編の詩編であるが、私にはむしろ「羊水の海で」の方が、災厄としての洪水のイメージをよく伝えているような気がする。
『洪水と贈り物』は〝多時間的集合体〟だと経田さんは言う。それはこの詩集を構成する四つの章が独立して発表されたものであることからきている。しかし、「羊水の海で」の断片的に発表されてきたとしても、深く関連づけられた12の詩編の連鎖のあり方をこそ、〝多時間的集合体〟と呼びたい気がする。
 それにしてもなぜに、あの大きな水害の前に書かれたこれらの詩編が、三条市の歴史的災厄を予兆できたのだろうか?

詩集『洪水と贈り物』経田佑介(ブルージャケットプレス 〒955-0832三条市直江町1-5-54 tel&fax0256-32-3301)


『言語と境界』出版

2017年06月30日 | 玄文社

 玄文社主人としてこのほど、『言語と境界~自然科学的理解を超えて』を出版しました。本来であれば昨年のうちに発刊の予定だったのですが、腸閉塞による長期入院と自宅療養のため果たせませんでした。今年に入って体調も戻り、準備を進めてきましたが、ようやく出版の運びとなりました。
 今度の本は「北方文学」64号から71号まで、4年半にわたって書き継いできた論考をまとめたもので、一貫して言語をテーマに追究した内容になっています。しかし言語論から直接入るのではなく、自然科学とりわけ分子生物学の議論を導入部として、リチャード・ドーキンス、ジャック・モノー、エルヴィン・シュレーディンガー等を論じています。
 シュレーディンガーの議論を導きの糸として、文学と言語というものの本質的な関わりについて思索をめぐらし、最後はヴァルター・ベンヤミンの言語論を結語として締めくくるという構成になっています。期せずして時代を遡ることになっていますが、それは言語や人間についての自然科学的理解の限界を指摘したかったからで、こんな書き方をした言語論は今までなかっただろうと思っています。
 読みやすい本では決してありませんが、時間をかけて読んでいただければ、人間の言語とは何か、言語は世界の中でどのように機能しているのかについて、私なりに考えたことについて理解していただけるものと信じています。
 本書の中核をなすテーマは、シュレーディンガーの次のような文章に負っています。この一文との出会いが決定的であったように思います。カバーにもその文章を使っています。

「つまり意識が複数形で体験されずに、単数形で経験されるという経験的事実によって、この教理は裏付けられているということなのであります。私たちのうちの誰一人として、一つ以上の意識を経験したことはないのですし、これまで世界のどこにもそのような状況証拠の跡すら見つかってはおりません。」
 
「自然科学的理解を超えて」というサブタイトルにしましたが、私は闇雲に自然科学を否定して、文学的価値観を称揚するものではありません。かつての「近代の超克」のような議論をするつもりはないのです。自然科学の論理を認めた上で、言語に深く関わる文学の原理にアプローチしたつもりです。導入部として自然科学者の議論に沿いながら考えていったことは、結果的によかったのではないかと思っています。

よろしかったら、言語や文学、哲学について興味をお持ちの方々に読んでいただきたいと思っています。お問い合わせは下記のメールアドレスへ。四六判、上製本、272頁、定価(本体3,000円+税)です。

genbun@tulip.ocn.ne.jp

 


「北方文学」75号発刊

2017年06月29日 | 玄文社

「北方文学」75号が発行になりましたので、ご紹介したいと思います。今号は338頁。長編が多く、前回お休みだった同人も健筆を振るったので、こういう結果になりました。このページ数は1999年の50号記念号の時の420頁に次ぐものとなりました。同人の意気盛んなところを見せることが出来たのではないかと思っています。もとより厚ければいいというものではありませんが、全国の文学同人雑誌が低迷を続ける中、質量ともに自信の一冊であります。
 巻頭を飾っているのは館路子さんの「名付け得ない鳥、その行方に」という長詩です。不在の鳥は「鳩」と明示されていますが、平和の象徴としての鳩のメタファーとしてだけでは語れない奥行きがあります。鳩とは何の象徴なのか、そんなことを考えさせる作品です。
 もう一編の詩篇は、2016年度の読売文学賞を受賞したジェフリー・アングルスさんの作品「赤い赤い生姜」。40年ぶりに再会した母親とのハワイ旅行という、私小説的なモチーフによった作品ですが、ハワイ原住民の創世記神話と自らの存在を交錯させた、短いけれど強い印象を残す作品です。
続く大橋土百の「幻影のコスモロジー」は、昨年秋にタクラマカン砂漠周辺を旅した時の詩的紀行文です。このてのものを書かせたら他に追随するもののない、大橋の独壇場ですね。
 評論が続きます。最初は柴野毅実の「山尾悠子とゴシック」。山尾悠子の初期の作品についてそのゴシック性を論じたものです。日本にはなぜゴシック小説が根付かないのか、その理由を解明し、ゴシックというものへの言語論的アプローチを敢行した、挑戦的論考です。
 石黒志保は久しぶりに「和歌をめぐる二つの言語観について」の2回目を書きました。日本の古典文学と仏教思想をとおして、言語論を展開するという未開の荒野に挑んでいます。だんだん面白くなってきました。
 斉藤直樹さんと若林敦さんの作品は寄稿です。どちらもハムレットを論じたものですが、いかにも対照的な書き方になっています。一方はシェイクスピアのテキスト以外のなにものも読まないというスタイルをもち、もう一方は映画作品をも参照して、ハムレットの本質に迫ります。
 松井郁子の「高村光太郎・智恵子への旅」は11回目で、これで完結です。鈴木良一の「新潟県戦後五十年詩史」はまだまだ続きます。
 小説が久しぶりに3本。新村苑子の「満願日」は、最近書くたびに新しいプロットに挑戦する作者の、切れ味鋭い短編です。久しぶりの板坂剛の「ある夏の死」は、母親の死の秘密に関わる謎を父親の不可解な生き方と、フラメンコの暗い情念に託して描く、愛憎の物語です。
 魚家明子の長編「眠りの森の子供たち」は連載2回目となりました。ストーリーも佳境に入ってきました。それにしてもこの人の登場人物を生き生きと描き分ける力量はすごい。
 今号から表紙絵の担当が弥彦村の北條佐江子さんに変わると同時に、デザインも一新しました。まるで違う雑誌に生まれ変わったかのようです。

 以下に目次を掲げさせて頂きます。

館 路子*名付け得ない鳥、その行方に/ジェフリー・アングルス*赤い赤い生姜/大橋土百*幻影のコスモロジー/柴野毅実*山尾悠子とゴシック/石黒志保*和歌をめぐる二つの言語観について(二)/斉藤直樹*揺れるハムレットは何をもとめたのか?--To be, or not to beにいたる狂態と確信のはざまをめぐる考察--/若林 敦*ハムレットの謝罪/大井邦雄*優秀な劇作家から偉大な劇作家へ(4)--シェイクスピアの一大転換点のありかはどこか--/松井郁子*高村光太郎・智恵子への旅(11)--智恵子の実像を求めて--/鈴木良一*新潟県戦後五十年詩史-隣人としての詩人たち--(9)/新村苑子*満願日/板坂 剛*ある夏の死/魚家明子*眠りの森の子供たち(二)

一部送料込みで1,500円です。ご注文は玄文社までメールでお申し付けください。
genbun@tulip.ocn.ne.jp

 


若松英輔氏が新村苑子さんの著書について講演

2017年06月08日 | 玄文社

 7月8日新潟日報メディアシップ2階日報ホールで、批評家の若松英輔氏の講演会「水俣病は終わらない~水俣病患者のコトバに耳をかたむける」が開かれる。主催は新潟水俣病阿賀野患者会。午後1時30分~3時30分(開場午後1時)。入場無料。問い合わせは025-244-0178。
 演題は「石牟礼道子『苦海浄土』から新村苑子『葦辺の母子』へ」。『苦海浄土』は言わずと知れた、水俣病の現実を熊本弁を駆使して書いた日本の文学史上に残る大傑作である。『葦辺の母子』は『苦海浄土』に触発されて、新潟水俣病について、差別と偏見に翻弄される患者たちの運命を描いた連作短編集である。
 新村苑子は「北方文学」の同人であり、2010年から新潟水俣病に関連する短編を「北方文学」に書き続けてきた。2012年に『律子の舟』を「新潟水俣病短編小説集Ⅰ」として刊行、2015年には続編の『葦辺の母子』を刊行した。『律子の舟』は2014年度、第17回日本自費出版文化賞で小説部門の部門賞に輝き、同じく第7回新潟出版文化賞では選考委員特別賞(新井満賞)を受賞した。
 玄文社としては新村苑子の本が若松氏によって、石牟礼道子の傑作と並べて紹介されるということが、とにかく光栄なことである。どちらの本にも帯文に「新潟弁で書かれた『苦海浄土』」との言葉を使った者として、若松氏の講演を楽しみにしている。


ジェフリーさん、読売文学賞受賞おめでとう(2)

2017年02月07日 | 玄文社

 平田さんの紹介文の中で大事な部分は、その「ぎこちなさ」を言うところよりも、この詩集が「詩や言語を巡る果敢な実験の産物」だという指摘にある。
 ジェフリーさんの詩は日本の現代詩としてはかなりオーソドックスであり、それもまた読売文学賞の選考理由であったに違いないのだが、単にオーソドックスといって済ませられない部分がある。それこそがジェフリーさんの言語論的なアプローチに他ならない。
『わたしの日付変更線』には44年ぶりに生みの母親(ジェフリーさんは生まれてすぐに両親と別れ、アングルス家に養子に出された)と会ったことをきっかけに書かれた作品が4編含まれている。
 このような私小説的なテーマで詩を書くこと自体、いささか古くてオーソドックスなスタイルと言えるかも知れない。しかし、ジェフリーさんの作品には日本の現代詩にもめったにない要素がある。
 それはやはり、母語と母語ではない言語との間に引き裂かれた越境者としての体験そのものであるし、あるいは母語ではない言語によって自らを他者として認識せざるを得ない体験もまた大きな意味を持つ。
 ジャック・デリダの言うように「あらゆる言語は他者の言語」である。母語ですらある共同体からの強制によって〝私〟にもたらされるものであるのだから、デリダの言葉は絶対的に正しい。母語しか知らない者は言語の他者性を認識することが出来ないし、ひたすら母語の〝私性〟に淫することもしばしばである。それは日本文学の主要な特性であった。
 ジェフリーさんの作品の言語論的なアプローチは、言語の他者性の中から生み出されるものであって、ジェフリーさんは日本の現代詩にそのような稀有な体験を付加したのである。『わたしの日付変更線』の中でジェフリーさんが、二つの言語に引き裂かれた体験を言語論的なアプローチとして語っている作品はたくさんある。
 そのものズバリの題名を持った「翻訳について」という作品や「文法のいない朝」などという作品もある。そしてジェフリーさんの場合、こうした言語論的なテーマは分身のテーマに繋がっていく。「翻訳について」は次のように始まる。

寝室にはいると そこに
もう一人のわたしを見つける
そのわたしは金髪ではなく
そのわたしには黒髪がある
わたしが どうしてここに? と聞くと
そのわたしはただ 早く入れ と言う
ずっとわたしを待っていたと
生まれた瞬間から今まで

 そして、この作品は次のように終わる。

二人のわたしはため息を漏らし
部屋は沈黙に戻ってしまう
シーツの下でおどおどして
お互いの手を取り
そしてしばらく天井を仰ぐ
やがて 抱きあい
赤の他人のように愛撫しあう
一個の完全な人格になれるように

 この詩集の栞の中で柴田元幸さんは、ジェフリーさんの分身にはポオの「ウィリアム・ウィルソン」のような分身同士の対立がないことを指摘し、分身同士の〝歩みより〟を羨んでいる。
 一方、高橋睦郎さんはそこに「二つの異言語間にどんなエロティシズムが成立しうるかの実験」を見ている。二人とも自分にあったテーマに引き寄せて、ジェフリーさんの作品を読んでいるわけだ。
「ウィリアム・ウィルソン」の分身は古典的な善と悪との対立から生み出されるものであり、二つの分身同士はもともと対立の相のもとにある。ジェフリーさんの分身とは決定的に違うのだ。
 高橋睦郎さんの言うエロティシズムが、分身同士の快楽に満ちた融合を意味するのではなく、二つの言語の間の決定的な相違に対する侵犯を意味するのであれば、彼の言い方は当たっているように思う。
 ところで第68回読売文学賞の小説賞は、わが游文舎が2年に渡ってお招きして講演をお願いしたリービ英雄さんの『模範郷』が受賞した(これについては游文舎のブログ「ギャラリーと図書室の一隅で」に書いた)。
 さらに戯曲・シナリオ賞はケラリーノ・サンドロヴィッチという人が受賞していて、読売文学賞というのは外国人にばかり賞を与えるのかと思われるかも知れないが、ケラリーノさんはれっきとした日本人である。
 しかし今回、二人の日本語で書く外国人(アメリカ人)が受賞したということは、日本文学において外国人の果たす役割が拡大している証拠であるし、選考委員がそうした作品を日本文学における、ある正統性の中に位置づけていることの証拠でもある。
 ジェフリーさんもリービさんも、今の若い日本の作家が喪失している重要な部分を担っている。それは言語に対する深い意識性に由来するもので、それこそが越境者が必然的に自らのものとする資質なのである。
(この項おわり)


ジェフリーさん、読売文学賞受賞おめでとう(1)

2017年02月06日 | 玄文社

 2月1日、第68回読売文学賞受賞者の発表があった。詩歌俳句賞には、玄文社が発行する「北方文学」第74号の巻頭に作品を寄せてくださった、ジェフリー・アングルスさんの詩集『わたしの日付変更線』が選ばれた。
 すでにこのブログにも『わたしの日付変更線』について書いているが、受賞にあわせてもう少し書いておきたい。
 まず、1月26日の新聞紙上に発表された、詩人の平田俊子さんの紹介文について。平田さんは次のように書いている。

「慎重に言葉が選ばれ、紡がれている。どの作品も巧みに仕上がっている。が、どことなく、ぎこちなさはつきまとう。日本語にたけた人でさえ、母語以外の言語で詩を書くことはかくも難しいものらしい。しかし、ぎこちなさこそ、この詩集の特色であり、魅力でもあると思う。なぜなら詩や言語をめぐる果敢な実験の産物だからだ。」(新潟日報)

 確かに〝ぎこちなさ〟というのはあって、「北方文学」に掲載した「あやふやな雲梯」についても、日本人の誰もが納得する表現とは言えない部分もあり、修正したい気持ちに駆られたが、直してしまうと詩句としての魅力の大半が失われてしまう懸念があり、最小限の修正に止めた(本人が「おかしいところがあったら直してくれ」と言うので)。
 ある意味でこのような在り方は詩人にとって僥倖とも言えるのであり、母語以外の言語で詩を書く場合にしかこのようなことは起こり得ないだろう。多分、小説ではそのような僥倖が作家にもたらされることはない。
 ところで、オバマ大統領の広島訪問に触発して書かれたという「あやふやな雲梯」について少し紹介しておきたい。第4連は次のようなものである。

 哲学者が言う
 荒れ狂う大洋にも
 鳴り始める雷雲にも
 崇高が宿っている
 落ちかかる断崖も
 荒廃のみ残す暴風も
 雄大であればあるほど
 人類を自己超越という
 方向に惹きつける

 ジェフリーさんの言う哲学者とは、イマヌエル・カントのことであるが、ここに示されている、恐怖をもたらす現象や凶暴性にも〝崇高〟の概念が含まれるという考え方は、カントが影響を受けたエドマンド・バークの『崇高と美の観念の起原』で展開されたものである。
 カントもバークも、もちろん核兵器などを想定することは出来なかったわけだが、現代の美学は核兵器の凶暴な破壊力にも崇高の概念を見出すのであろうか。
 ジェフリーさんは多分そのことを否定している。最終の第5連はその証左と考えられる。

 振り返ってみると
 雲梯の計り知れない
 輪郭に見出すのは
 自分自身ではないか
 自己というものの限界と
 そのみすぼらしい
 壊れやすさ

 雲梯は「みすぼらし」く、「壊れやすい」。「あやふや」なものでそれはある。それにしても、いわゆるキノコ雲の輪郭を自分自身の存在に譬えるなどという発想が途方もないものではないか。
 バーク=カントの美学は崇高というものを内面化したのであり、ジェフリーさんは彼等の美学に依拠して、崇高なる破壊力というものを内面化して見せた。それを自己否定によって乗り越える作業が、この作品として結実しているのだと私は思う。

ジェフリー・アングルス「あやふやな雲梯」(2016、「北方文学」第74号)