“桑名”と言えば、真っ先に思い出すのは泉鏡花の小説「歌行燈」である。鏡花円熟期の明治四十三年に書かれた作品で、多くの鏡花ファンに高く評価されている。その芸を貶めたためにある座頭を憤死させ、能楽の宗家である叔父に破門され、門付けとなって各地をわたり歩く主人公・恩地喜多八が桑名の宿で座頭の娘、叔父らと再会、芸を通して許しを得るという話だが、お話の非現実性はともかく、その展開の完璧さによって“神品”とさえ言われる大傑作なのである。
鏡花は前年の講演旅行で桑名を訪れた記憶をもとに、この能楽小説の舞台を桑名に設定した。桑名のまちを鏡花は次のように描写する。「町幅が絲のやう、月の光を廂で覆うて、両側の暗い軒に、掛行燈が疎に白く、枯柳に星が乱れて、壁の蒼いのが處々」。「歌行燈」のタイトルの由縁である。
「歌行燈」は昭和十八年、成瀬巳喜男監督によって映画化されている。花柳章太郎と、山田五十鈴が共演するこの映画は、空襲で焼ける前の桑名のまちの面影をよく伝えていて、鏡花が桑名に感じたであろう魅力を味わうことができる。
舞台となる“湊屋”という旅館は、桑名の名勝地・七里の渡し場近くにある船津屋をモデルにしているという。桑名名物焼き蛤も出てくるが、「歌行燈」で女中は言う。「其のな、焼蛤は、今も町はずれの葦簀張なんぞでいたします。矢張り松毬で焼きませぬと美味うござりませんで、當家では蒸したのを差し上げます。味醂入れて味美う蒸します」。
庶民料理としての焼き蛤と、料亭料理は違っていたことが分かる。しかし、現在では地場産の蛤は大変な貴重食材で、なかなか口に出来ないと、四日の演劇交流で物産を売っていた桑名市文化協会の人は言っていた。桑名名物しぐれ蛤も、今ではしぐれあさりに姿を変えていた。
「歌行燈」は、桑名のまちを有名にした。柏崎市民会館のロビーで売っていたきしめんとうどんのメーカー名は「歌あんどん」というのであった。七里の渡しには、「歌行燈」を脚色して舞台にした久保田万太郎の句碑も建てられている。桑名はやはり演劇のまちなのだ。
鏡花は前年の講演旅行で桑名を訪れた記憶をもとに、この能楽小説の舞台を桑名に設定した。桑名のまちを鏡花は次のように描写する。「町幅が絲のやう、月の光を廂で覆うて、両側の暗い軒に、掛行燈が疎に白く、枯柳に星が乱れて、壁の蒼いのが處々」。「歌行燈」のタイトルの由縁である。
「歌行燈」は昭和十八年、成瀬巳喜男監督によって映画化されている。花柳章太郎と、山田五十鈴が共演するこの映画は、空襲で焼ける前の桑名のまちの面影をよく伝えていて、鏡花が桑名に感じたであろう魅力を味わうことができる。
舞台となる“湊屋”という旅館は、桑名の名勝地・七里の渡し場近くにある船津屋をモデルにしているという。桑名名物焼き蛤も出てくるが、「歌行燈」で女中は言う。「其のな、焼蛤は、今も町はずれの葦簀張なんぞでいたします。矢張り松毬で焼きませぬと美味うござりませんで、當家では蒸したのを差し上げます。味醂入れて味美う蒸します」。
庶民料理としての焼き蛤と、料亭料理は違っていたことが分かる。しかし、現在では地場産の蛤は大変な貴重食材で、なかなか口に出来ないと、四日の演劇交流で物産を売っていた桑名市文化協会の人は言っていた。桑名名物しぐれ蛤も、今ではしぐれあさりに姿を変えていた。
「歌行燈」は、桑名のまちを有名にした。柏崎市民会館のロビーで売っていたきしめんとうどんのメーカー名は「歌あんどん」というのであった。七里の渡しには、「歌行燈」を脚色して舞台にした久保田万太郎の句碑も建てられている。桑名はやはり演劇のまちなのだ。
(越後タイムス3月10日「週末点描」より)