柏崎・夢の森公園がめでたく今月二日に開園を迎えたが、その一週間前に家人を案内して園内を廻った。何回もここを訪れているので案内役がつとまるのである。里山公園なのだから、夢の森大池周辺だけでなく、山の方も歩いてみなければ意味がない。
山にはまだワラビが芽を出していたし、初夏を迎えてヤマボウシやエゴノキなど、さまざまな白い花が咲いていた。「あの花は何」「この花は何」という家人の質問に、たいがい答えることができた。随分いろいろな植物の名前を覚えた。本紙に「ボタニカルエッセイ」を寄稿してくださる田辺喜彬先生のお陰である。
中学生の時、科学部生物班の班長をつとめていて、佐藤池(今はもう池はない)の植生について調査したことがあり、たいがいの雑草の名前は覚えたが、花木に関してはまるで無知だったのを、蒙昧から救ってくれたのは、旧川西町の亡くなった友人と田辺先生である。一緒に山歩きをすることで、多くのことを学んだ。
山に行って植物の名前を知っているのと知らないのとでは大きな違いがある。田辺先生は、落葉した樹木でも、その木肌を見ただけで「これは何の木」と分かるほどの達人であり、こちらは足元にも及ばないが、雑草や樹木の名前を覚えているだけで、山歩きをすることが楽しくなることは請け合いだ。是非勉強して公園を歩いてほしい。
ところで家では植木鉢で“おもちゃかぼちゃ”を育てている。あの奇態な形と色が好きだからだ。毎日のように雌花が咲くが、いっこうに雄花がタイミングよく咲いてくれない。雄花が咲かないことには受粉ができないからかぼちゃができない。
ということで、無理矢理、咲きかけの雄花のオシベを、雌花のメシベにこすりつけてみるのだが、オシベが未熟なせいか、受精に至らない。雄花がはなばなしく咲いている時には、意地悪く雌花が咲いていないということで、三週間を経てもカボチャの実が育たなかった。
でもやはり、時期というものがあるのだろう。同時に咲いたタイミングを見計らって、人工授粉に成功。なんとか二個の雌花が妊娠した。少子高齢化の時代に双子とは赤飯ものである。もっといっぱい妊娠させて、あのおかしな形のかぼちゃをたくさん収穫したいものだ。
山にはまだワラビが芽を出していたし、初夏を迎えてヤマボウシやエゴノキなど、さまざまな白い花が咲いていた。「あの花は何」「この花は何」という家人の質問に、たいがい答えることができた。随分いろいろな植物の名前を覚えた。本紙に「ボタニカルエッセイ」を寄稿してくださる田辺喜彬先生のお陰である。
中学生の時、科学部生物班の班長をつとめていて、佐藤池(今はもう池はない)の植生について調査したことがあり、たいがいの雑草の名前は覚えたが、花木に関してはまるで無知だったのを、蒙昧から救ってくれたのは、旧川西町の亡くなった友人と田辺先生である。一緒に山歩きをすることで、多くのことを学んだ。
山に行って植物の名前を知っているのと知らないのとでは大きな違いがある。田辺先生は、落葉した樹木でも、その木肌を見ただけで「これは何の木」と分かるほどの達人であり、こちらは足元にも及ばないが、雑草や樹木の名前を覚えているだけで、山歩きをすることが楽しくなることは請け合いだ。是非勉強して公園を歩いてほしい。
ところで家では植木鉢で“おもちゃかぼちゃ”を育てている。あの奇態な形と色が好きだからだ。毎日のように雌花が咲くが、いっこうに雄花がタイミングよく咲いてくれない。雄花が咲かないことには受粉ができないからかぼちゃができない。
ということで、無理矢理、咲きかけの雄花のオシベを、雌花のメシベにこすりつけてみるのだが、オシベが未熟なせいか、受精に至らない。雄花がはなばなしく咲いている時には、意地悪く雌花が咲いていないということで、三週間を経てもカボチャの実が育たなかった。
でもやはり、時期というものがあるのだろう。同時に咲いたタイミングを見計らって、人工授粉に成功。なんとか二個の雌花が妊娠した。少子高齢化の時代に双子とは赤飯ものである。もっといっぱい妊娠させて、あのおかしな形のかぼちゃをたくさん収穫したいものだ。
(越後タイムス6月15日「週末点描」より)