玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

長かったような

2007年12月24日 | 日記
 あと数日で中越沖地震発生から五カ月が経とうとしている。何かあっという間だったような気がすると同時に、長い道のりだったような思いもあり、相反する印象が複雑に絡み合っている。
 地震の取材というものが、これほど忙しいものだと分かったのは、発生初日からのことだった。あちらこちらの被害の状況を取材しながら、沖縄から飛んできた安倍前首相を追いかけたりもしなければならなかった。
 そんな忙しさが二~三カ月続いたと思うと、次は山のようなイベントの連続が襲ってきた。三年前の中越地震の時には、ありとあらゆるイベントが中止になったのに、今回はまったく逆の現象が起きている。イベントを自粛することが、被災地の経済をかえって萎縮させることへの反省がその裏にあり、悪いこととは思わない。
 かつて“イベントが多すぎる”ことへの批判を行ったことがあるが、それは“行政主導のイベントが多すぎる”ことを批判したので、今回民間が主体的に行うイベントが多くなっていることは、素直に評価してよいことと思っている。
 自分でも、地震発生後、展覧会をはじめ、いくつかのイベントを主催し、萎縮した気持ちを吹き飛ばそうという思いがあった。災害復旧にとって芸術や美術が何の役に立つのかと言う人もいるだろうが、それを欲することをしないわけにはいかなかった。
 そんなことで、この五カ月間の後半は、とりわけ忙しい日々を過ごすことになった。充実した時間を持つことができたことに感謝している。ふと我に帰ると、待ったなしの“新年号”発行が目の前にあるのだった。とても“新春を寿ぐ”ような気持ちではないので、“震災復興祈念号”として発行すべく、これから必死にならなければいけない運命にあるのだった。

越後タイムス12月14日「週末点描」より)



中国人とそば

2007年12月24日 | 日記
 県立近代美術館での日中国交回復三十五周年記念展初日、二人展主役の陳輝先生や水野竜生さんらと会食した。陳先生は清華大学美術院美術学部副部長という、ものすごい肩書きを持っている方で、畏れ多い人と思っていたが、年齢も若く、とても気さくで、ざっくばらんな人であった。
 日本の食べ物が大好きとのことで、ソバ、ワサビ、味〓汁などがお気に召していたらしい。来日して、特に天ぷらそばが大好きになられたようだが、私どもは「天ぷらそば」をそばとは呼ばない。本当のそばは、冷たいやつを冷たいツユにつけて薬味をつけて食するものだからである。
 会食の最後に、“本当のそば”を出してもらった。目の前の陳先生の食べっぷりに注目した。誰も教えないので、陳先生はワサビをツユに溶いてしまった。ワサビの旨さを味わうには、ツユに入れてはいけない。そばにつけて食べるのでなければならない。
 皆で“これぞジャパニーズ・トラディショナル・そば”とはやしたてるので、食べづらかったのか、途中で箸が止まった。失礼だが穴があくほど観察していたので、二口で箸が止まり、再開まで十五分を要したのが分かった。
 やはり、陳先生“本当のそば”には抵抗があったようだ。それにしても北京では海の魚を食べる習慣もないというのに、日本の魚料理を次々とたいらげる健啖ぶりに驚いた。中国人の“食”に対する貪欲さを感じた。
 北京ではお酒といえばアルコール度55度の白酒(バイチュー)というのが一般的で、乾杯の時はそれを一気に飲み干すのだという。陳先生はぐい呑みの日本酒を水みたいに飲むのだった。来年二月には北京に行くことになっている。ちょっと恐ろしい。
 でも、北京ダックは待っているし、本場のギョーザも楽しみだ。陳先生は、北京名物ジャージャー麺の一番おいしいところへ連れて行ってくださるそうで、それもまた楽しみだ。

越後タイムス12月7日「週末点描」より)