中越沖地震から一周年の七月十六日が暮れていく。この日は朝から夜まで復興祈念のさまざまな行事が続いた。とても全部を追えるものではなく、その一部を紹介して「中越沖地震復興祈念第二弾」とさせてもらった。
午前九時に、この日から「復興祈念アート展」の開かれる、ギャラリー「十三代目長兵衛」を訪ね、“一日取材なのでアート展の取材はあとになる”ことのお詫び。五日に亡くなった曽田恒さんの遺影に手を合わせて市民プラザへ。
合同追悼式の取材説明を受け、本番に臨む。ものすごい祭壇にびっくりしてしまった。午前十時十三分には、列席者の黙祷の様子を撮影して、すぐに黙祷に加わる。撮影のためステージの上からだったので、大変居心地の悪い思いがした。
追悼式終了後、柏崎商工会議所で、自衛隊と第九管区海上保安本部への感謝状贈呈式を取材。一年前の自衛隊と海上保安本部の献身的な支援活動を思い出した。
午後は産文会館での「復興セレモニー」と「子ども未来フォーラム」を取材。自転車であちこちと動いているうちに、あの暑かった一年前を思い出さないわけにいかなくなった。
一年前、あの日から約一カ月間、休む暇なく炎天下の取材にあけくれたことが、つい昨日のように思い出される。作業服姿で、首にタオルを掛けて、自転車で移動していた。何度も被災者に間違われた。汗で曇るメガネをタオルで拭き続けていたら、メガネが傷だらけになってしまった。
あれから一年、メガネも自転車も新調した。タオルだけは同じだが、取材に臨んでいて何かが違う。一年前には“疲れる”ということがなかったのに、一年後の今日は激しい疲労を感じてしまった。一年歳をとったからばかりではあるまい。一年前には、市民の誰もがアドレナリンを分泌させていて、“疲れる”ということを忘れていたのだった。
午前九時に、この日から「復興祈念アート展」の開かれる、ギャラリー「十三代目長兵衛」を訪ね、“一日取材なのでアート展の取材はあとになる”ことのお詫び。五日に亡くなった曽田恒さんの遺影に手を合わせて市民プラザへ。
合同追悼式の取材説明を受け、本番に臨む。ものすごい祭壇にびっくりしてしまった。午前十時十三分には、列席者の黙祷の様子を撮影して、すぐに黙祷に加わる。撮影のためステージの上からだったので、大変居心地の悪い思いがした。
追悼式終了後、柏崎商工会議所で、自衛隊と第九管区海上保安本部への感謝状贈呈式を取材。一年前の自衛隊と海上保安本部の献身的な支援活動を思い出した。
午後は産文会館での「復興セレモニー」と「子ども未来フォーラム」を取材。自転車であちこちと動いているうちに、あの暑かった一年前を思い出さないわけにいかなくなった。
一年前、あの日から約一カ月間、休む暇なく炎天下の取材にあけくれたことが、つい昨日のように思い出される。作業服姿で、首にタオルを掛けて、自転車で移動していた。何度も被災者に間違われた。汗で曇るメガネをタオルで拭き続けていたら、メガネが傷だらけになってしまった。
あれから一年、メガネも自転車も新調した。タオルだけは同じだが、取材に臨んでいて何かが違う。一年前には“疲れる”ということがなかったのに、一年後の今日は激しい疲労を感じてしまった。一年歳をとったからばかりではあるまい。一年前には、市民の誰もがアドレナリンを分泌させていて、“疲れる”ということを忘れていたのだった。
(越後タイムス7月18日「週末点描」より)