玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

吐き気のする手紙

2009年06月06日 | 日記
 相変わらず手書きで記事を書いている。日本でも珍しい記者だと思う。八年間手書きを続けてきたが、年をとるにしたがって、さらに文字がぞんざいになってきて、とても他人に見せられるような状態ではない。時々自分で自分の文字を見ていて、吐き気がしてくることがある。
 ところが、そんな吐き気をもよおすような文字で、五月の連休の間に五通の長い手紙を書いた。しかも見ず知らずの相手に対してだった。さすがに、少しでも読みやすいように、丁寧にゆっくりと書いたが、それでもお世辞にもきれいな手紙とは言えない。
 用件は、すでに亡くなった五人の画家の作品について、図版使用の許可をいただくためのもので、それぞれの画家の未亡人、あるいは兄弟などの著作権保持者に宛てての手紙だった。重要な用件なので、手書きにこだわる必要があった。
 郵便事業株式会社では、インターネットによるメールの普及で、手紙や葉書が激減しているという。総体としての郵便物の数は、会社関係のDMの増加(障害者団体割引制度を悪用したものも含まれるのだろう)で、減少していないというが、先のことを考えた時には、手紙や葉書の数を維持しなければならないのだろう。
 同社は、将来を担う子供達を対象に、手紙を書くことの楽しさを体験してもらおうと、いろんな試みを続けている。「青少年ペンフレンドクラブ」などという、ほとんど“死語”に近いような名前の団体があって、手書きの手紙や絵手紙の普及につとめているらしい。
 ところで著作権保持者の方々のほとんどから、温かい文章で(もちろん手書きで)お許しの返事をいただくことができた。やはり、下手くそでも手書きの手紙を出した効果であったと思う。
 事務的な用件はメールでもいいが、重要な用件の場合は、これからも手書きにこだわっていきたいと思う。記事の方に関しては、キーボードで入力した方が便利なことは分かっているが、文章が冗長になっていけない。しかも思考のスピードというものは、もともと手書きにちょうどいいようにできている。ひとの迷惑も考えず、これからも手書きを続けていきたい。

越後タイムス6月5日「週末点描」より)


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撮られた写真の記憶

2009年06月06日 | 日記
 「まだまだっ! 柏崎プロジェクト」がこのほど発行した『復興のススメ後世へ』に、越後タイムス社は何点かの写真を提供した。全部で九点が掲載されているが、自分自身で撮った写真も四点あって、それを見ると当時の状況が昨日のように思い出される。
 特に海上から撮った椎谷の観音岬と、鴎ケ鼻のすさまじい崩落の様子は、地震の威力をよく示していると思う。人間というものは写真を撮った時の周りの状況や自分自身の心理状態をよく覚えているもので、写真を見ればすぐに当時の記憶が甦ってくる。
 ところで、『復興のススメ後世へ』の本文最初の写真に自分自身が写っているのに気がついた。被害のひどかった東本町三丁目の四谷踏切近くの倒壊した家屋の側で、三井田保険部の小林克人さんと何か話している写真だ。商工会議所の人が撮影したものらしい。
 雨も降っていないのに傘を手にして、カメラはぶら下げていない。この写真がいつの写真で、なぜここに居たのか、何をしていたのか思い出せない。道路がきれいになっているところを見ると、地震発生後数日経っていることが分かるが、確かなことは思い出せない。
 茫然としたような表情を浮かべているが、その時何を考えていたのか思い出すことができない。自分が撮った写真からは多くの記憶が甦ってくるのに、自分が撮られた写真からは、あまり記憶が甦ってこないことに気づくのだった。
 あの写真を撮りまくった日から、二年目の日が近づいてきた。

越後タイムス5月29日「週末点描」より)


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