玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

「納棺夫日記」ゆかりの2人

2009年06月27日 | 日記
 話題の映画「おくりびと」の原点(原作ではない)となった、青木新門氏の『納棺夫日記』を読んだ。第一章、第二章は、納棺夫(青木氏の造語)としての青木氏の日常が微細に描かれていて、非常に興味深く読んだ。妻に体を求めて「穢らわしい、近づかないで」と拒否される場面、そして死後何カ月も経った一り暮らしの老人の死体の肋骨の中に、無数の蛆が蠢いていたという描写にはすさまじいものがあった。
 さらには、納棺後死臭が気になって眠れず、鼻毛を切ったら死臭が消えたというところなどには、圧倒的なリアリティーを感じてしまった。青木氏が「おくりびと」の原作者であることを拒否したのは、映画「おくりびと」がヨーロッパ流のヒューマニズムを表現しているにすぎないという違和感があったためだという。よく理解できる姿勢である。
 ところで、付録の「『納棺夫日記』を著して」という文章の中に、七月十八日に柏崎にやってくる二人の人物が登場する。一人は詩人の長谷川龍生氏、もう一人は画家の木下晋氏である。木下氏は青木氏が富山市でやっていた飲み屋「すからべ」の常連で、三年間一銭も払わずに飲み食いしていたのだという。
 青木氏の「すからべ」は倒産し、大きな借金をかかえた青木氏は冠婚葬祭の世界に入ることになる。木下氏は、「すからべ」をつぶした者の一人として、青木氏が『納棺夫日記』を書くことになる間接的なきっかけを与えたのである。
 もう一人の長谷川氏と青木氏は、詩人としての交流があり、青木氏は『納棺夫日記』を書くきっかけとなったことについて、「詩人の長谷川龍生氏との交遊の中で、氏の言葉に誘発され、整理してみようという気になったのである」と書いている。長谷川氏の言葉が、納棺夫としての日常を記した日記を再構成する気にさせ、『納棺夫日記』を書かせる直接的なきっかけとなったのである。
 七月十八日が楽しみだ。お二人に、その辺の事情を詳しく聞いてみたいと思っている。

越後タイムス6月26日「週末点描」より)


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市長の足は遅くない

2009年06月27日 | 日記
 ノーマイカーウィーク二日目の十五日、日課で郵便局の私書箱を開けに行くのも、自転車で行くことにし、郵便物を持って事務所に入り、会田市長が徒歩で市役所に到着する予定の八時三十分を待って時間調整をしていた。
 八時二十分頃、“いざ市役所へ”と思い、事務所を出て、自転車に乗ろうとすると、フォンジェ脇の坂道を、会田市長が登ってくるではないか。思わぬところで鉢合わせとなってびっくりしてしまった。
 一緒に東本町一の交差点へ。まだ十分もあるので少し早すぎる。市長もここで時間調整をすることに。えんま市見物でもと思っても、まだ露店は開いていない。天気もよく、三・二キロの道のりを汗を拭き拭き歩いてきたとのことで、ちょうどよい休憩となったようだ。
 朝七時四十五分に自宅を出て、八時半に市役所に到着したことになっているが、途中七~八分の時間調整があったことを、ここに明らかにしておく。会田市長の足はそんなに遅くはないということを証明したいからだ。
 市長によれば、自宅を出るところからマスコミに追いかけられたそうで、彼らは車で剣野町まで取材に行ったのだった。ノーマイカーウィークに、これから四十分も歩こうという人を、車で取材に行くというのも、かなりおかしいし、少し残酷な話ではないか。
 これから梅雨が本格化してくるだろうが、今のところ、自転車日和の天候が続いている。雨が降らない限り、なるべく自転車で取材をすることを心掛けることにしたい。

越後タイムス6月19日「週末点描」より)


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