玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

地震の名前

2011年05月02日 | 日記
 気象庁による最初の地震名は「東北地方太平洋沖地震」だった。この名称はしばらく使われていたが、被害の規模が想像以上に大きいことが分かるとすぐに、地震の名前は「東北関東大震災」に変わった。柏崎市は「東北地方太平洋沖地震」の名称を使い続けた。
 さらに被害の拡大が明らかになってくると「東日本大震災」の言葉が使われるようになった。しかしNHKなどはその後も「東北関東大震災」という言葉を使い続けた。小紙も当初から「東北関東大震災」という言葉で通してきたが、四月一日に政府の決定があってからは「東日本大震災」に切り替えた。
 しかし、東日本全体が被災したわけではない。東日本でも日本海側の県はほとんど被害を受けていないわけだし、「東北関東大震災」の呼称の方が現実を正しく表していると思う。今後も「東日本大震災」の呼称を使わざるを得ないが、この名称は国際的な風評被害を拡大させる恐れがある。今更変えられないだろうが……。
 ところで現在、私どもの文学同人誌「北方文学」で「現代詩特集」の編集を進めているが、「東日本大震災」は首都圏の詩人達の心にも激震をもたらしたようだ。四月十五日で一応締め切ったが、首都圏から二十人以上の詩人が作品を寄せてくれ、しかもそのほとんどが、大震災の体験や原発事故に触れている。
「現代詩特集」は「災厄詩特集」となってしまった。企画を始めた昨年十二月には夢にも思っていなかったことだった。谷川俊太郎さん、吉増剛造さん、高橋順子さんなど、大変著名な詩人の作品も揃った。一昨年柏崎で講演された長谷川龍生さんも作品を送ってくださることになっている。
「北方文学」六十五号は、中央の詩誌に先駆けた「災厄詩集」として詩史に残ることになるかも知れない。

越後タイムス4月22日「週末点描」より)



統一地方選前半戦の投票率

2011年05月02日 | 日記
 原発が争点となった今回の県議選について、あれだけテレビや新聞で福島第一原発の事故の報道がなされていることから、投票率は当然上がるものと思っていたが、予想は見事にはずれた。柏崎市の投票率は前回を四・八ポイント下回り、過去最低の六四・一六%となった。
 投票率低下の原因としては、八選、九選という超多選をねらう二人の候補に新鮮味がなかったことと、かといって、原発反対の候補には投票したくないという気持ちがあったことが考えられる。いつも同じ顔ぶれでは投票に行きたくないという心理も理解できる。
 もっと別の要因も考えられる。東日本大震災発生以降、レンタルビデオショップが大変な活況を呈しているという話を聞いた。半月以上、テレビをつければ大震災と原発事故のニュースばかりで、普段の番組のほとんどが姿を消した。それに耐えられずに、レンタルビデオ店に走る人達が大勢いたのである。
 日本の歴史上最大の災害とさえ言われる今回の事態を直視しようとせず、娯楽に逃げようとする多くの人がいることを残念に思う。彼らは大震災や原発事故がもたらす大きな影響に関心もなく、原発を争点とした選挙に興味も関心もなかったのだろう。
 しかし、これから陥るであろう日本の苦況に関して、彼らが無縁でいることはできない。現実に直面することを強いられた時に、そこから逃げようのない自分に気がつくことだろう。その時彼らがどのように行動するかについて、深い興味がある。

越後タイムス4月15日「週末点描」より)



原発と観光との共存

2011年05月02日 | 日記
 東日本大震災発生以降、全国的に自粛ムードが続いていて、そのことの功罪が指摘されている。自粛の度が過ぎれば、経済が停滞し、被災地への支援もままならなくなるというのである。
 柏崎市も例外ではなく、宿泊施設はキャンセルが相次ぎ、飲食店も歓送迎会の自粛で閑古鳥が鳴いている。驚くべきは、夜も昼もどこにも人が出ていないことで、県議選を戦っている陣営でも「全然選挙ムードになっていない」と言っているくらいだ。
 市は避難者に宿泊施設で体を休めてもらおうと“リフレッシュ事業”を始めたが、これも実は、キャンセルに苦しむ観光協会宿泊部会の発案によるものだという。ひょっとして避難者よりも、宿泊施設への救済策としての意味の方が大きいのかも知れない。
 イベントも次々と中止が決定している。潮風マラソンも、どんGALA!祭りも、イルカウォッチングも中止となり、観光業者の損害は甚大なものになりそうだ。市観光交流課では、仕事がなくなることから「防災課へ廻されそう」といった話も出ているくらいだ。
 大震災の影響は福島原発の事故のために、かなり長期化しそうで、観光協会では「先がまったく見えない」と話している。ぎおん柏崎祭りは実施される見通しだが、大花火大会を見に来る人は激減するだろう。
 夏の海水浴入込客も、昨年せっかく百万人台を回復したのに、今年は大きく減少すると見込まれている。福島原発の事故収束が長期化すればするほど、原発立地点としての柏崎の観光はダメージを受け続けざるを得ない。
 原発と観光の共存という夢もまた、崩れつつある。

越後タイムス4月8日「週末点描」より)