玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

Ann Radcliffe The Mysteries of Udolpho(3)

2016年02月10日 | ゴシック論

 第1部第8章まで進んだ。まだ100頁だから、全体の6分の1にもならない。しかし、読むスピードは確実に上がってきている。基本的にメロドラマであり、それほど深い内容を持った作品でないことは分かるが、筋は辿りやすくて面白い。それと、複雑な構文の英語を、頭をひねりながら何とか解読できた時の快感がたまらない。
 謎の城の領地にサントベール一家が入った後の展開をまとめておこう。一家は城に宿を求めようとするが、村人にそこには誰も住んでおらず、隣接する小屋に執事と家政婦の夫婦が住んでいるだけだと聞かされる。
 サントベールの容態が一層悪化していく中で、彼らはようやくラヴォアザンという老人の家に招かれる。ラヴォアザンは立派な男で、サントベールと意気投合する。ちなみに、ヴォアザンVoisinはフランス語で"隣人"の意味で、彼はサントベールとエミリーの隣人としての資格を備えた人物なのである。
 またしても謎が発生する。夜な夜な聞こえてくる不思議な音楽、どこから聞こえてくるのかも分からない、ギターのようなリュートのような音楽、それをラヴォアザンはしょっちゅう聴いていて、エミリーもまたそれを聴くのである。どうやらそれは謎の城と関係しているらしい。
 ラヴォアザンから城の所有者はヴィルロア侯爵であり、彼が5週間前に亡くなったと聞かされたサントベールは、ショックを隠せない。サントベールは侯爵のことを知っていたらしい。そして亡くなった侯爵夫人のことも……。エミリーはなぜ父がそんなに驚き、しかもその訳を話そうとしないのか不思議に思う。ここにも謎が提示されている。
 サントベールの病状はどんどん悪くなり、彼は死ぬ前にエミリーに言っておかなければならないことがあり、ある夜不可思議な話を娘にすることになる。ラヴァレの城(サントベールの屋敷)に戻ったなら、自分の部屋のクロ-ゼットの床に隠されているひと綴りの文書を見つけ、それを読むことなく焼き捨ててくれというのである。彼はその理由についても語らないが、そのことをエミリーに固く約束させる。もう一つの謎の入り口である。
 ついに父サントベールは亡くなり、エミリーは異郷の地に一人取り残される。エミリーはラヴォアザン一家や近くのサンクレール修道院の修道女達に優しく保護されながら次第に悲しみを克服していく。
 彼女は墓に詣でて父に別れを告げ、叔母のシェロン夫人(サントベールの姉)が寄こした召使いに付き添われて、ラヴァレに帰る。彼女が父を亡くし、たった一人で故郷に帰った後も愁嘆場は続く。
 まったくお涙頂戴式の物語なのである。父の愛犬マンションがむなしく主人の姿を求めて、馬車の周りを探し回る場面など、泣けるではないか。そんな場面が満載のこの小説は、そのようにして物語の進行をどんどん遅らせていく。ラドクリフはこの"引き延ばし"の技法によって長編小説を可能なものにするのである。
 何度でも繰り返される愁嘆場こそ、ゴシック小説を長編化させる一つの要素である。我々はすでにマチューリンの『放浪者メルモス』に、決して終わらない物語構造を見てきたが、世界中のどこにでも瞬時に行けるメルモスと、彼がどこに行っても自分の身代わりとなる犠牲者を発見できないことに対する嗟嘆もまた、ラドクリフの描く愁嘆場のヴァリエーションなのだと言えるだろう。
 かくしてゴシック小説は短編や中編に納まりきることなく、長編化の傾向を持たざるを得ないのである。ラドクリフは主人公達を何度でも不幸に陥れ、不幸に陥った主人公達は何度でも愁嘆場を繰り返すのである。
 そんな中で多くの謎が提示されてくる。これまでに四つの謎が示されてきたが、その凝集度に注目しなければならない。ラドクリフの畳みかけるような謎の集積こそこの小説の本領であり、それはやはり見事という他はない。
 ところで、「文書を読むことなく焼き捨てろ」というサントベールの命令は、しかし実行されるのだろうか。その文書が読まれなければ謎の解明はあり得ないからである。しかし、その解明も先へ先へと引き延ばされていくことだろう。