弁護士太田宏美の公式ブログ

正しい裁判を得るために

憲法にみる日米の国の成り立ちの差異とその後

2012年01月13日 | 政治、経済、社会問題

最近、アメリカの憲法をみる機会がありました。

これまで、アメリカの権利の問題がでてくると、たとえば、刑事司法手続きでの
被疑者や被告人の権利の保障問題が出てくるとき、憲法上の根拠は
「修正」○○条というものです。
みなさん疑問に思われませんか。

私はいつも疑問に感じていました。
そもそも日本の憲法はアメリカの憲法にならって作ったものですが、
日本の憲法では、ご承知のとおり、一度も改正がありません。
本家本元では基本的な権利は、修正なのです。
なんとなく違和感を持っていました。

たまたま、機会があってアメリカの憲法をじっくりと見ました(読んだわけでは
ありません。)
それによると、制定当時はわずか7条しかなかったのですね。
立法、行政、司法、連邦、改正、最高法規、成立手続きの7項目です。

すなわち、アメリカの憲法はアメリカを建国することが目的だったのです。
ですから、(連邦)国家としての必要最低限だけを決めたのです。
建国できるかどうか分からない段階で、国民の権利について
定めることなど意味がないわけです。
ということで、アメリカの憲法は最初から改正(修正)を予定した全く
不完全のものだったのです。
ですから、憲法は必要に応じて修正するのは当たり前なのです。
なお、憲法から見ると修正ですが、権利からみると新設なのです。

ところが、日本の憲法は、最初から完全なものとして成立しました。
国民の権利意識など全くないところに、アメリカの考えをそっくりそのまま
取り込んだのです。
憲法は国民の実態と全く関わりなく、外からもたらされたのです。
ですから、憲法は日本国、日本国民と関係がないのは当たり前です。
したがって憲法はお飾りのようなものですから、憲法と実態とが
大きく異なってもそれを問題とは認識しないのです。
神棚のお守りのようなものです。

敗戦後の憲法制定ですから、ある意味建国です。
日本では、アメリカから与えられた建国です。
言われるままに受取るしかなかったのです。
アメリカでは、自らの力でイギリスからの独立を勝ちとり、自らの
理想とする国づくりをし、その国作りの基本が憲法だったのです。

もし、第二次世界大戦の敗戦後、どういう国作りを目指すのかについて
国民の総意で決めていたならば、今の日本とは違ったものになっていたのでは
ないでしょうか。

憲法は国家の基礎なんですね。
自ら勝ち取ったものは、その後も自らの力で国づくりをします。
天から降ってきたかのように与えられたものを基に国づくりをしろなどと
言われても、できるわけはありません。
憲法は大事に神棚に棚上げし、何の理想も思想体系もなく、
流れに任せて生きていくしかありません。
それが今の日本です。

国づくりの最初からの心意気、覚悟の違いは、そのままその後の国家の運営
に引き継がれるものなんですね。
「三つ子の魂百までも」というのは国家についても同じというわけです。

国民のよほどの覚悟がなければ、日本は変わらない。
暗くなってしまいます。

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