弁護士太田宏美の公式ブログ

正しい裁判を得るために

パレルモ 「ゲーテいわく、世界一美しいイスラムの都市」 その2

2015年04月25日 | 日記

昨日に引き続き。

パラティーナ礼拝堂(宮廷付属礼拝堂)

歴史的価値からいってもその華麗さから言ってもパレルモ観光のハイライトです。
ジェローム2世により建設され、聖ペトロにささげられています。
当時の地中海世界の美術が結集しているといわれています。

天井と壁のビザンチンのモザイクはインパクトがあります。
これらはコンスタンティノープル、ラヴェンナと並ぶキリスト教美術の傑作と
言われています。 

祭壇です。勿論金モザイクです。「祝福を与えるキリスト」です。

   

キリストの部分を。

   

更に凄いのは祭壇の上のキューポラ内側を埋めるモザイクで、中心には
「宇宙の支配者キリスト」の姿が描かれています。12世紀のもの。

   

「聖ペテロと聖パウロを従えた王座のキリスト」は14世紀のもの。

   

また天井の木製スタラクタイト(1143年ころ制作、ハチの巣状の幾何学模様)

      

大理石のコズマティー様式(イスラムとビザンチンの融合した様式)の床のモザイクも
も素晴らしいです。

      

とにかく素晴らしいものばかりです。

付属施設の一画でこのような展覧会が開かれていました。

      

キリストはもちろん描かれている人はみんなこんな風に太っちょでした。
なんだかミスマッチな感じですが・・・

プルトーリア噴水・広場

市議会の前にあります。
30を超える全部裸体の彫刻が噴水の周りに置かれています。
もとは16世紀にフィレンツェのある屋敷のために制作されたものです。 

   

中央の噴水はフィレンツェの職人ランテェスコ・カンミッリアーニとミケランジェロ・
ナッケリーノが制作したものです。

       

マルトナーラ教会

ルッジェーロ2世の海軍提督ジョルジォ・デンティオキアにより1143年ころ
建てられました。
教会の外観はアラブ・ノルマン様式、カタロニア・ゴシック様式、バロック様式の
ミックスです。

        

内部はいろんな様式のミックスで息をのむほど素晴らしいです。

天井の金モザイク

   

天井のフレスコ画

     

象嵌装飾

    

パレルモならではの時代と様式の入り混じった、それでいて調和した豪華で
不思議な雰囲気を醸し出しています。

海軍提督が亀のようになって聖母マリアの足元にひざまずく姿、

    

ルッジェーロ2世に冠を授けるキリストのモザイクは一見の価値ありです。

    

私がみたところは旧市街ですから、パレルモのごく一部です。
パラティーナ礼拝堂とマルトラーナ教会は是非とも見てほしいところです。

シエスタの習慣

シチリアではまだまだ昼休みをとる習慣があるということです。
今回の中ではマルトラーナ教会がそうでした。
13時から15時30分までお休みでした。
時間に追われている観光客にはつらいですね。
プレトーリア広場とマルトーラ教会はお隣でした。中間にカフェがあったので

そこでカップチーノを。
パレルモでは見たという以上に過ごしたという思い出が残っています。

・・・・・・・・・・・・・

日本に帰って

桜が満開でした。 

   

帰国して初めて降り立った駅(品川駅)で感じたこと。

 ・人がいっぱい
 ・物が溢れていること

でした。 


パレルモ 「ゲーテいわく、世界一美しいイスラムの都市」 その1

2015年04月24日 | 日記

これまでの都市は東側海岸線沿いに位置していますが、パレルモは
シチリアの北側海岸線にあり、シチリア州の州都です。
人口70万人弱でイタリアで5番目に大きな都市です。
周辺のメトロポリタン地区を含めると100万人強といいます。
パレルモ湾に扇形状に平野が広がり、周辺は山に囲まれています。 
自然の良港であったことから、パレルモス(全てが港)と呼ばれていました。

アラブ支配の時代にシラクーサからパレルモに首都が移転され、その後
ノルマン人の支配になり、ルッジェーロ2世(1095年~1154年)
の時代にシチリア王国の首都として大繁栄しました。
18世紀後半に訪れたゲーテは「世界一美しいイスラムの都市」と言ったとのこと。

ノルマン王宮

11世紀にアラブ人が築いた城壁の上にノルマン人が増改築したもの。
現在は州議会の議事堂です。議会開会中でしたので、見学することはできませんでした。

    

    
     (宮殿前は広々としています。)

ヌオーヴァ門

カルロス5世のチュニジアでの勝利を記念して建てられたものです(16世紀)。

       

ピラミッド型の屋根にはパレルモ議会の象徴である鷲をかたどるマジョリカ焼が
飾られているとのことです。屋根の部分を切り取り拡大してみました。

      
         (鷲らしいですかネ?)

両側に2体ずつ彫刻があるのですが、添乗員さんのお話(プライベートな)では、
何かの理由で腕を切り落としたということでした。
両側に2体ずつ彫刻があるのですが、確かに内側の2体は腕が切られていました。
凄まじいですね。

     

大聖堂

1184年にパレルモの大司教がアラブ・ノルマン様式で建てたが、その後、改築され、
カタロニア・ゴシック、バロック・ネオクラシックなどの混合したパレルモならではの様式となっている。 

       
      (正面から)

広場に面しています。

           

これは裏側です。
         

内部は比較的シンプルですが、彫像が多く、格調があって美しいです。

           

           

          (主祭壇の天井のフレスコ画です。)

サンタ・ロザーリア礼拝堂です。パレルモの守護聖女ロザーリアの遺骨が納められています。

         

パレルモでは毎年7月に聖ロザリア祭が行われますが、昨年使われたという荷車が
広場の片隅に飾られていました。

         

クワットロ・カンティ

四つ辻の意味です。二つの通りが交差するところに17世紀にバロック都市計画に一環として
作られた小さな広場です。本当に狭いのに驚きました。

      

           

本当はもう一つあります。

広場に面した4つの建物のそれぞれの角が弧を描くように切り取られています。
それぞれに彫像がありますが、それぞれ異なっています。検証してみました。

 

さしあたり2段目と3段目ですが、微妙に違うのがわかると思います。(疲れますね~)

寄り道

観光地ばかりじゃつまらないので、開いていた入り口から入ってみました。
入り口が狭いけれど中に入ると空間が広がっていました。
図書館です。
中庭の手入れが十分ではないものの、観光地と同じ感じです。
古いものを日常的に使っている社会なんですね。
議事堂だってノルマン王宮を使っているんですものね。 

     

今日はこの程度にして明日に続く・・・

       


モンレアーレ、世界一の金のモザイク

2015年04月23日 | 日記

モンレアーレはパレルモの郊外(8キロメートル)にあります。
パレルモへ行ってモンレアーレを見ないのは驢馬(愚か者の意)の旅の如し
と言われているとのこと。
小高い丘の中腹にあります。
黄金盆地(コンカ・ドーロ)と呼ばれる平原を見下ろしています。

  

見どころは大聖堂です。
ノルマン王のグリエルモ2世が強大になりすぎたパレルモの大司教の権勢を
削ぐためにパレルモの近くに別の大聖堂と修道院を築いたといわれています。
モンレアーレの町の名前は王の山(Monreale)=Monte(山)+Reale(王の)
に由来しています。
1174~1183年にかけて聖母マリアにささげる教会として建設されました。 

正面です。

    

入り口は横側にあります。そこに大聖堂をささげるグリエルモ2世と聖母マリアの像が対面する形
であります。

        

大聖堂の最大のみどころは、壁面を覆い尽くす金地モザイクです。
現存する教会の中で、モザイクの装飾面積は世界一で6300㎡に及びます。
ちなみに2番目はヴェネチアのサン・マルコ寺院とのことです。 

まずは中央アプス天井の「万能のキリスト」です。

     

豪華で圧倒されます。これらモザイク絵は創世記、旧約聖書、新約聖書の物語が
描かれています。 

     

       

天井です。

      

グリエルモ1世、2世のお墓もあります。

      

      

イスラーム様式の影響を受けた床の大理石と斑岩の模様も一見の価値ありです。 

      

後陣の外観(アラブ・ノルマン様式の典型)も素敵です。

      

修道院付属回廊も是非みたいものです。

規模が大きいこと(47m×47m)、周囲の廊下を支える228本の円柱が有名です。

      

2本の柱が1組となっていること、1本1本の柱のデザインが異なっていること、
円頭にも異なる彫刻がついていることなどがみどころです。 

     

片隅に噴水があります。優雅な雰囲気の空間です。

      

見上げると大聖堂と山が見えます。

     

時間が止まったような感じでした。 

      

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モンレアーレではデジカメではなく、アイフォーンで撮りました。
パソコンがアイフォーンを認識せず慌ててしまいました。
結局アイフォーン専用のUSBケーブルが故障したことが原因とわかりました。
USBケーブルが故障することがあるんですね。 
アイフォーン本体の故障なくホッとしましたが、対応にほぼ一日を使いました。

 


パレルモで見た日常生活の一コマ

2015年04月22日 | 日記

そもそも旅行、観光旅行は非日常の世界です。

パレルモでは自由行動がありました。
といっても昼食までは添乗員さんに面倒をみてもらうことに。

これはマッシモ劇場です。

  

1897年のオープン当時はパリのオペラ座に次いでヨーロッパでは2番目の
大きさだったという。
新市街と旧市街との境目にあるので、待ち合わせの場所にも。

その近くにある市場です。

   

ちょうど市場の入り口のところあるバールのテラス席で昼食としました。

隣の席は何か華やいだ雰囲気です。
合格祝いのパーティのようでした。聞くとこの女性(右側)、弁護士になるとのこと。
とても誇らし気でした。 
イタリアでも弁護士になるのは超大変なようすがうかがわれました。 

   

私もこういう時期があったんだと懐かしくなりました。
(心の中で祝福しました。)
女性の割合がどの程度かは分かりませんが、やはり少数だと思います。
若い人だけでなく、年配の女性もいましたが、
格式ばらずバールのようなところでお祝いするんですね。 

私自身が弁護士だから気づいただけですが(一番近くの席にいました)、
こういう場面に出くわすというのは、何か意味があるのでしょうか?

・・・・・・・・・

今日は、800人が死亡した19日の難民船転覆事故の件で、生存者がカターニアに
ついたこと、検察官が船長らを逮捕したことなどが報道されていました。

カターニアに行ったことがあるというだけで、遠くのニュースが身近に感じられます。



モンテ・カッシーノの戦いの跡、美しいシチリアの野山

2015年04月21日 | 日記

車窓から眺める南イタリア、シチリアの景色はとてもきれいでした。

野山を覆うエバーグリーンの草のせいだと思う。

   

   

数か所で風力発電機・プロペラ風車を見た。高速道路のすぐそばである。

    

ここも同じに見える。しかし・・・

    

モンテ・カッシーノである。ローマ空港に行く途中である。
第二次大戦中の1944年1月~5月の間、連合軍とドイツ軍の間で激しい戦闘が
行われた場所である。 
山頂にあるモンテ・カッシーノ修道院は、連合軍によって破壊された。
戦後修復された。 

   

なお、この修道院は由緒があり、貴重な写本や芸術品等があったという。
ドイツ軍の手によって事前にバチカンに移送されていたので破壊から逃れたという。
ドイツとイタリアは同盟国だったんだ。 
聞かなきゃわかない。のどかな春の風景の裏に悲劇的な事件があったことは・・

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シチリアではあちこちでみる植物である。特に真ん中の大きな丸い形のサボテンは
ベランダなどでも見られた。 

   

モロッコで見た印象が鮮明な記憶として残っている。

街路樹や庭木として使われているオレンジの木(食べられない)も最初は
モロッコで見たが、シチリアでもときどき見られた。

  

エバーグリーンで覆われていてもシチリアは乾燥しているということである。

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旅行記は肝心なところがまだ残っている。パレルモとモンレアーレである。