今朝、ある有名な方の記事にゴミの話が載っていました。
自転車の前かごに誰が捨てたかわからないゴミが捨てられていて、それを他の自転車のかごへ捨てたという光景を見かけたという話でしたが、これこそ負のジレンマの始まり・・・。
の住むアパートでも良くあります。誰が捨てたかわからない空き缶の放置。しかも、中身が入っている。
このような光景を見ると、いつも思うのですが、私の20代の頃はまだ、アパートなり近所の公園にもゴミ箱があったのです。ですから、気が付けば(ポイ捨てする人は論外ですがね)拾ってゴミ箱へ捨てたものです。
ところが、今はどうでしょうか。拾っても捨てる場所が無いから、結局は自分の家に持ち帰らなければならないのです。自分の家だって空き缶などは、月に2回しかゴミ収集の日が無いので、どこの誰が捨てたのかわからないようなゴミを収集日まで、一時保管しなければならない・・・。
それで、流石にそれは気が進まないので、袋に入れてそっとアパートなどにある集会室の近くに置いたりすると、今度は勝手にゴミを置くなと注意される・・・これホンとの話です。
事情を話しても、それは自分の部屋に持ち帰ってくれと言われる。
そして、最後に私が取った方法は、地域のゴミ処分場に自分で持ち込みましたよ。たかが小さなコンビニ袋に入る程度の空き缶とお菓子の袋です。しかも、自分のゴミでは無い・・・。
そこまでに要した時間は半日くらいです。
もちろんこんなケースばかりでは無いのですが、スーパーの駐輪場で見つけた時はスーパーへ事情を話して渡します。
でも、公園とか自分の住んでいる地域ではそうは行かないのが現状です。だから、見てみぬふりをする人も増える・・・これも、一つの原因だと思います。
昔と違って、今は「ゴミはゴミ箱へ」ではなく、「拾ったゴミは自分の家に持ち帰る」になってしまった・・・。
私が写真を撮りに出かけても良くゴミを見かけます。でも、持ち帰る事が出来ない・・・。
ある地域に出かけた時に、コンビニの店主ともめた事もありました・・・。詳しくは書きません。
ただ拾っただけ。ゴミを捨てる場所が無いのでと話すと、持ち帰ってくれと言われたんですよ。
「この店で買った物ならともかく、他所のゴミを入れないでくれと!」・・・と。
その店の店主も身勝手な観光客のゴミに相当悩まされている様子でした・・・。
これが、私が写真の撮影場所を決して書かない大きな理由となっているのです。
話戻ります。私の20代の頃は、公園にもアパートにある小さな遊び場にもゴミ箱がありました。
今はありません。そこには様々な理由があるとは思いますが、文明とか社会の最後の尻拭いは誰がすると思いますか?
少なくとも自分が手に取った商品のゴミくらいは、自分の出来る範囲のゴミ収集ルートへ乗せる。
さて、「文明とか社会の最後の尻拭いは誰がすると思いますか?」身勝手が過ぎれば、最後は小さな、小さなお働きが動くことになる。
ですから、事の理に反する力を与えて頂いた私たちは、いつも小さな、小さな世界から見られているのです。
自転車の前かごに誰が捨てたかわからないゴミが捨てられていて、それを他の自転車のかごへ捨てたという光景を見かけたという話でしたが、これこそ負のジレンマの始まり・・・。

このような光景を見ると、いつも思うのですが、私の20代の頃はまだ、アパートなり近所の公園にもゴミ箱があったのです。ですから、気が付けば(ポイ捨てする人は論外ですがね)拾ってゴミ箱へ捨てたものです。
ところが、今はどうでしょうか。拾っても捨てる場所が無いから、結局は自分の家に持ち帰らなければならないのです。自分の家だって空き缶などは、月に2回しかゴミ収集の日が無いので、どこの誰が捨てたのかわからないようなゴミを収集日まで、一時保管しなければならない・・・。
それで、流石にそれは気が進まないので、袋に入れてそっとアパートなどにある集会室の近くに置いたりすると、今度は勝手にゴミを置くなと注意される・・・これホンとの話です。
事情を話しても、それは自分の部屋に持ち帰ってくれと言われる。
そして、最後に私が取った方法は、地域のゴミ処分場に自分で持ち込みましたよ。たかが小さなコンビニ袋に入る程度の空き缶とお菓子の袋です。しかも、自分のゴミでは無い・・・。
そこまでに要した時間は半日くらいです。
もちろんこんなケースばかりでは無いのですが、スーパーの駐輪場で見つけた時はスーパーへ事情を話して渡します。
でも、公園とか自分の住んでいる地域ではそうは行かないのが現状です。だから、見てみぬふりをする人も増える・・・これも、一つの原因だと思います。
昔と違って、今は「ゴミはゴミ箱へ」ではなく、「拾ったゴミは自分の家に持ち帰る」になってしまった・・・。
私が写真を撮りに出かけても良くゴミを見かけます。でも、持ち帰る事が出来ない・・・。
ある地域に出かけた時に、コンビニの店主ともめた事もありました・・・。詳しくは書きません。
ただ拾っただけ。ゴミを捨てる場所が無いのでと話すと、持ち帰ってくれと言われたんですよ。
「この店で買った物ならともかく、他所のゴミを入れないでくれと!」・・・と。
その店の店主も身勝手な観光客のゴミに相当悩まされている様子でした・・・。
これが、私が写真の撮影場所を決して書かない大きな理由となっているのです。
話戻ります。私の20代の頃は、公園にもアパートにある小さな遊び場にもゴミ箱がありました。
今はありません。そこには様々な理由があるとは思いますが、文明とか社会の最後の尻拭いは誰がすると思いますか?
少なくとも自分が手に取った商品のゴミくらいは、自分の出来る範囲のゴミ収集ルートへ乗せる。
さて、「文明とか社会の最後の尻拭いは誰がすると思いますか?」身勝手が過ぎれば、最後は小さな、小さなお働きが動くことになる。
ですから、事の理に反する力を与えて頂いた私たちは、いつも小さな、小さな世界から見られているのです。