2015年春の叙勲受章者が29日付で発表され、受章者5人に喜びの声を聞いた。
■旭日大綬章 保利 耕輔さん(80)-国政35年「誠実にまじめに」
衆院議員として35年に渡って国政に関わり、自治大臣・国家公安委員長や文部大臣、自民党政調会長と要職を歴任した。
受章に、「支えてくれた多くの人たちを代表するつもり」と笑顔を見せる。12回の選挙すべてで圧倒的な強さを見せ「支持者はもちろん、亡くなった父、そして家内や家族、秘書たちに感謝を伝えたい」と言葉を続ける。
衆院議長を務めた父・茂氏の急死で“保利王国”を継いだ当時、同世代の青年団メンバーが支えてくれた。上場地区の開発をめぐって青年らは大蔵省(現・財務省)まで出向き、その熱意に背中を押された。
「誠実にまじめに、一生懸命に」が信条。郵政選挙では“刺客”を送り込まれたが「淡々としていた。支持者を信じていたから」。
ライフワークの憲法改正では教育基本法改正を手がけた手腕を見込まれて、党憲法改正推進本部長を任された。が、議論は「評論家の意見ばかり」。やむなく、内閣法制局の担当者を事務所に呼んで、自ら条文として試案をまとめ上げた。
政界引退から半年足らず。「妻とともに絵や音楽を語り合いながらゆっくりした余生を送りたい」という希望とは裏腹に、母校・慶応大で討論したり、雑誌に原稿を執筆したりと多忙で、佐賀へも月2回のペースで足を運ぶ。神奈川県川崎市在住。
■瑞宝小綬章 井上正一郎さん(74)-「主役は生徒」熱血指導
高校の保健体育教諭や剣道部監督、校長として「人づくり」に尽力した教師生活を「生徒一人一人を自分の子どもと思い、一緒に“泥んこ”でやってきたつもり」と振り返る。社会人となり、さまざまな分野に進んだ教え子の活躍を話す表情が喜びに満ちている。
生徒たちのやる気を引き出そうと、授業では、自分で作った賞状をかけた班別対抗戦をしたり、試験期間中に剣道部員が家で勉強しているか点検して回ったことも。「年休を取ったのは38年間で10日ぐらい」。「主役は生徒」をモットーに熱血指導で走り続けた。
退職後は県体育協会専務理事などを歴任、現在は県剣道連盟会長。教育、スポーツ振興にかける情熱はますます盛んだ。佐賀市紺屋町。
■瑞宝双光章 中牟田 満さん(72)-地域防災に45年間注力
旧防衛庁勤務の傍ら45年間、消防団活動に力を注いだ。2010年から4年間、吉野ケ里町消防団団長を務めた。「予想もしなかった受章。お世話になった町職員と喜びあった」と笑顔を見せる。
1967年に消防団に入り、分団長や副団長を歴任。団長として、団員約500人が二次災害に遭わないよう神経を使った。「消火、行方不明捜索ともに危険な場所が多い。一度も事故が起きずにほっとしたものだった」と振り返る。
普段の備えにも力を注いだ。女性消防クラブとともに独居高齢者宅を訪れ、寝ている場所、親戚の連絡先を確認した。防火水槽の清掃も呼び掛けた。「住民自らが地域を守る意識を持ちたい」。神埼郡吉野ケ里町。
■旭日単光章 田代 裕明さん(75)-知的障害者支援に尽力
佐賀県手をつなぐ育成会副会長を10年余り務めるなど、知的障害者の福祉向上に長年力を尽くしてきた。「障害があろうがなかろうが、一緒に暮らせる社会にしたい」。その思いがすべての原動力だ。
44歳の長男には重度の知的障害がある。「障害がうつる。近寄るな」。数十年前、幼かった長男に浴びせられた心ない言葉を今も忘れることはできない。育成会では障害への正しい理解を広げようと、研修会を企画。長男が入所する施設では父母の会会長として保護者同士の親睦にも努めた。
受章については「すべての関係者に感謝」と強調する。「息子がいたからこそ勉強してきた。息子にも感謝しないとね」。唐津市厳木町。
■瑞宝単光章 松本 順子さん(77)-幼児保育、独自の視点で
母親が建てた保育園を受け継ぎ45年間、幼児保育に携わってきた。
同郷の夫に嫁ぎ、東京で専業主婦をしていたが、いずれは母の園を手伝おうと考えていた。帰郷と長男の小学校入学を機に、佐賀短期大(現・西九州短大)保育科へ入学。年齢が一回り下の学生らとともに学び、32歳で保育士に。母親が亡くなってから今年3月末まで約30年間は、園長として子どもたちを見守った。
「丈夫な体と豊かな心」が保育理念。園でも茶道で心を落ち着かせたり、体操の講師を招いて跳び箱や組体操をさせたりするなど独自の取り組みを続けた。園長は退いたが、「これからも体の許す限り、0歳児保育などで子どもたちと関わっていたい」。武雄市北方町。
2015年04月29日 佐賀新聞