ゴエモンのつぶやき

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共生社会実現へ「憲章」 神奈川県議会可決 相模原殺傷受け

2016年10月16日 12時24分45秒 | 障害者の自立

 相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」で入居者19人が刺殺された事件を受け、共生社会の実現に向けた理念を発信しようと県が策定した憲章案が14日、県議会本会議に提出され、全会一致で可決した。県によると、共生社会に関する憲章を定めるのは都道府県で初という。

 事件を契機に障害者への差別が助長される恐れがあるとの懸念が障害者団体などから寄せられたことを踏まえ、県が策定した。県議会厚生常任委員会でも障害者団体代表者からの意見聴取を行い、審議を行っていた。

 憲章では「このような事件が発生したことは、大きな悲しみであり、強い怒りを感じています」としたうえで、「事件が二度と繰り返されないよう、私たちはこの悲しみを力に、断固とした決意をもって、ともに生きる社会の実現をめざす」とした。

 具体的には、あたたかい心をもって、すべての人のいのちを大切にします▽障がい者の社会への参加を妨げるあらゆる壁、いかなる偏見や差別も排除します-などとうたっている。

 憲章案同意を受け、黒岩祐治知事は「共生社会の実現は神奈川からとの思いを発信していく」と力を込めた。

 同日の県議会本会議では、津久井やまゆり園建て替えの基本構想の策定費用や、憲章の内容をアピールするためのイベント開催費用などを含む総額2億4300万円の補正予算案も可決した。

 ◆「ともに生きる社会かながわ憲章」

 一、私たちは、あたたかい心をもって、すべての人のいのちを大切にします

 一、私たちは、誰もがその人らしく暮らすことのできる地域社会を実現します

 一、私たちは、障がい者の社会への参加を妨げるあらゆる壁、いかなる偏見や差別も排除します

 一、私たちは、この憲章の実現に向けて、県民総ぐるみで取り組みます

2016.10.15     日本経済新聞


「バリバラ」と「解説スタジアム」が示した地上波テレビの可能性

2016年10月16日 11時53分45秒 | 障害者の自立

最近話題になった二つの番組、すなわち、NHK・Eテレ「バリバラ」24時間テレビの裏で放送されて、話題)、及びNHK総合「解説スタジアム」(「「どこに向かう 日本の原子力政策」)を見た。どちらも、素晴らしかった。それで、改めて考えたことがある。

日本の地上波テレビの劣化が指摘されて久しい。芸能人が内輪受けの話をして自分たちで受けていたり、テロップなどで汚い画面構成にしたり、視聴者をバカにしているような内容が多いとしばしば言われるが、これらの問題点は、テレビというメディア自体の本質ではない。むしろ制作ポリシーの問題だ。

地上波テレビというメディアに可能性があるのは、先に挙げた「バリバラ」や「解説スタジアム」がネット上で話題になり、結果として私を含め多くの人が視聴したことでもわかる。というのも、地上波テレビの「同時性」が、トレンドをつくる上で大きな力となるからだ。

【参考】<パソコン未所有と貧困は無関係>NHKが描く「貧困女子高生」のリアリティの低さ(http://mediagong.jp/?p=18818)

原理的に言えば、どんなコンテンツでも、ネット上に置いて自由にアクセスすれば、それが良質なものであれば、最終的には視聴者数は伸びるかもしれない。しかし、地上波テレビの持つ、視聴がシンクロするという性質は、ツイッターなどでトレンドに上り、可視化される上で大きな意味を持つ。

「バリバラ」は、障害を持つ方をある図式に当てはめて「感動」を押し付ける「感動ポルノ」の構図を描いて素晴らしかったし、「解説スタジアム」は、日本の原子力政策をめぐる問題点を多角的、かつテクニカルに指摘して、素晴らしかった。本来、このようなコンテンツこそが、放送されるべきだろう。

地上波テレビの根本的な問題点は、「視聴質」ではなく「視聴率」を至上命題としてきた点にあるだろう。CM収入に依存してきた民放では、ある程度仕方がなかったことかもしれないが、ネット時代のテレビには、別のやり方があって良い。

「視聴率」ではなく、viewing figure(視聴者数)で番組を評価するようになれば、良いコンテンツをつくって、ネット上で評判にならないと始まらない。大して面白くもないのに、惰性でだらだら見られているような番組は、むしろ淘汰されるだろう。

「バリバラ」と「解説スタジアム」が、地上波テレビの持つ本来の可能性を示したことは、大変意義深い。二つの番組の制作陣は独立していたのだろうけれども、スタッフのみなさんに感謝するとともに、これからもそのような番組つくりを期待いたします。

  (本記事は、著者のTwitterを元にした編集・転載記事です)2016年9月3日


<パソコン未所有と貧困は無関係>NHKが描く「貧困女子高生」のリアリティの低さ

2016年10月16日 11時48分52秒 | 障害者の自立

最近話題になった二つの番組、すなわち、NHK・Eテレ「バリバラ」24時間テレビの裏で放送されて、話題)、及びNHK総合「解説スタジアム」(「「どこに向かう 日本の原子力政策」)を見た。どちらも、素晴らしかった。それで、改めて考えたことがある。

日本の地上波テレビの劣化が指摘されて久しい。芸能人が内輪受けの話をして自分たちで受けていたり、テロップなどで汚い画面構成にしたり、視聴者をバカにしているような内容が多いとしばしば言われるが、これらの問題点は、テレビというメディア自体の本質ではない。むしろ制作ポリシーの問題だ。

地上波テレビというメディアに可能性があるのは、先に挙げた「バリバラ」や「解説スタジアム」がネット上で話題になり、結果として私を含め多くの人が視聴したことでもわかる。というのも、地上波テレビの「同時性」が、トレンドをつくる上で大きな力となるからだ。

【参考】<パソコン未所有と貧困は無関係>NHKが描く「貧困女子高生」のリアリティの低さ(http://mediagong.jp/?p=18818)

原理的に言えば、どんなコンテンツでも、ネット上に置いて自由にアクセスすれば、それが良質なものであれば、最終的には視聴者数は伸びるかもしれない。しかし、地上波テレビの持つ、視聴がシンクロするという性質は、ツイッターなどでトレンドに上り、可視化される上で大きな意味を持つ。

「バリバラ」は、障害を持つ方をある図式に当てはめて「感動」を押し付ける「感動ポルノ」の構図を描いて素晴らしかったし、「解説スタジアム」は、日本の原子力政策をめぐる問題点を多角的、かつテクニカルに指摘して、素晴らしかった。本来、このようなコンテンツこそが、放送されるべきだろう。

2016年9月3日


<相模原・障害者殺傷事件から>自閉症の子を持つ父の「詩」が世界的反響

2016年10月16日 11時42分19秒 | 障害者の自立

[編集部記]2016年7月26日未明、未明に神奈川県相模原市緑区千木良にある障害者福祉施設で殺傷事件が発生した。19人の死亡が確認され、26人が重軽傷を負っている。この3日後、自閉症の子を持つ神戸金史氏(RKB毎日放送)は一気に以下の詩を綴った。詩は反響を呼び、英語、中国語に訳されている。メディアゴンでは神戸氏の快諾を得て、その全文を掲載する。

***

私は、思うのです。

長男が、もし障害をもっていなければ。
あなたはもっと、普通の生活を送れていたかもしれないと。

私は、考えてしまうのです。
長男が、もし障害をもっていなければ。
私たちはもっと楽に暮らしていけたかもしれないと。

何度も夢を見ました。

「お父さん、朝だよ、起きてよ」
長男が私を揺り起こしに来るのです。
「ほら、障害なんてなかったろ。心配しすぎなんだよ」
夢の中で、私は妻に話しかけます。

そして目が覚めると、
いつもの通りの朝なのです。
言葉のしゃべれない長男が、騒いでいます。
何と言っているのか、私には分かりません。

ああ。
またこんな夢を見てしまった。
ああ。
ごめんね。

幼い次男は、「お兄ちゃんはしゃべれないんだよ」と言います。
いずれ「お前の兄ちゃんは馬鹿だ」と言われ、泣くんだろう。
想像すると、
私は朝食が喉を通らなくなります。

そんな朝を何度も過ごして、
突然気が付いたのです。

弟よ、お前は人にいじめられるかもしれないが、
人をいじめる人にはならないだろう。

生まれた時から、障害のある兄ちゃんがいた。
お前の人格は、
この兄ちゃんがいた環境で形作られたのだ。
お前は優しい、いい男に育つだろう。

それから、私ははたと気付いたのです。

あなたが生まれたことで、
私たち夫婦は悩み考え、
それまでとは違う人生を生きてきた。

親である私たちでさえ、
あなたが生まれなかったら、
今の私たちではないのだね。

ああ、息子よ。

誰もが、健常で生きることはできない。
誰かが、障害を持って生きていかなければならない。

なぜ、今まで気づかなかったのだろう。

私の周りにだって、
生まれる前に息絶えた子が、いたはずだ。
生まれた時から重い障害のある子が、いたはずだ。

交通事故に遭って、車いすで暮らす小学生が、
雷に遭って、寝たきりになった中学生が、
おかしなワクチン注射を受け、普通に暮らせなくなった高校生が、
嘱望されていたのに突然の病に倒れた大人が、
実は私の周りには、いたはずだ。

私は、運よく生きてきただけだった。
それは、誰かが背負ってくれたからだったのだ。

息子よ。
君は、弟の代わりに、
同級生の代わりに、
私の代わりに、
障害を持って生まれてきた。

老いて寝たきりになる人は、たくさんいる。
事故で、唐突に人生を終わる人もいる。
人生の最後は誰も動けなくなる。

誰もが、次第に障害を負いながら
生きていくのだね。

息子よ。
あなたが指し示していたのは、
私自身のことだった。

息子よ。
そのままで、いい。
それで、うちの子。
それが、うちの子。

あなたが生まれてきてくれてよかった。
私はそう思っている。

父より

2016年8月26日   神戸金史


障害者、セクシャルマイノリティ、在日、ホームレス…「生きている本」

2016年10月16日 11時32分10秒 | 障害者の自立

「ヒューマンライブラリー」(人間図書館の意。人を本に見立てて読者に貸し出す試み)が、日本で初めて開催されたのは2008年のこと。

障害者やセクシャルマイノリティ、依存者、在日国籍、ホームレスなど日ごろ偏見の目で見られやすい生身の人間が本の著者(語り手)という立場をとって話をし、その図書館への来場者が読者(聞き手)となって相互理解を目指すという2000年にデンマークで始まった取り組みが、「ヒューマンライブラリー」だ。

この図書館でのルールは「本を破らない・本に書き込まない・本を持ち帰らない」というもので登場する本(ヒト)の安全が約束される。

現在では全国各地で開催され、大きな広がりを見せつつある。筆者も高次脳機能障害という「外見から見えない困難を抱える当事者」として、この取り組みに何年も「生きている本」として出演をしている。

人間のデリケートな部分を扱うこのイベントについて、「ヒューマンライブラリー研修会」が明治大学中野キャンパスで先日行われた。主催したのは、異文化間教育学会。近年は大学のゼミ生が主体となって、多様性理解を目的にこのイベントを開催することも多い。

この図書館を運営する学生たち、聞き手となる本の読者、語り手の本となる社会的少数派の当事者に、それぞれどんなリスクやメリットがあるのか等の議論や事例の紹介があった。

たとえば来館したある社会人はホームレスの話を聴き、「彼らが求めているのはお金」と考えていたが、「実は人とのコミュニケーション」だと知った。

こちらからは話しかけづらいので声をかけてほしいと、ホームレスは語ったそうだ。

【参考】<障害者差別解消法って何?>障害者が「配慮する側」にも「配慮される側」にもなる

また運営する学生たちも多感な思春期。家族内問題であったり友人関係での悩みなど、様々な課題を抱えている。そんな彼・彼女らにとって、マイノリティからの自己開示が人に言いづらい自分の問題と共鳴し、ゼミ仲間の友人に自分の悩みについて腹を割って話すことができた、ということもあったという。

そしてこのライブラリーを開催する日、一堂に会した「本」同志が書庫と呼ばれる控室などで熱心に語り合っている姿もみられる。すると、それぞれ自分たちの分野で抱えている生き辛さが客観的につかめ、横の繋がりもできる。こうした経験によって普段スポットの当たらない当事者が、さらにいい「本」へと進化することもある。

筆者自身、この取り組みに日本で初めて開催されたときから、カンファレンス、企業、教育機関など様々な場所に出演してきた。運営からも読者からも他の本からも、「自分が普段どのように見られており、どう言葉に落とし込めば相互理解に至るのか」といったこと様々な角度から考えさせていただいたと感じている。

ちなみに、次回の都内での開催は11月27日(日)明治大学中野キャンパスとのこと(主催は明治大学国際日本学部横田ゼミ・入場無料)。

専門書あり、週刊誌あり、漫画本あり。フェイス・トゥ・フェイスの顔と顔を突き合わせた個室での対話から新しい気付きが得られるかもしれない。

メディアゴン    2016年10月14日