~受け入れから2年半・神奈川県~
神奈川県教育委員会が県立高校3校の普通級に、知的障害のある生徒を受け入れてから2年半。来年3月には1期生が卒業する。
知的障害の児童生徒が普通級で学ぶ小中学校はあるが、入学選抜がある高校段階でまとまった人数の生徒を受け入れるのは、全国的にも珍しいという。
神奈川県のインクルーシブ教育は、どこまで進んだのか。実践推進校の一つ、茅ケ崎高校(清宮太郎校長、生徒数885人)を訪ねた。
〔横浜総局・田幡 秀之〕
◇教員2人体制
同校は、JR東海道線茅ケ崎駅から徒歩20分の住宅街にある。学校行事や部活動が盛んな、地元で最も古い高校だ。
教室を見て回ると、プロジェクターを使って視覚的に分かりやすくしたり、学習の到達目標への段階を細かく設定するスモールステップを導入するなど、工夫が凝らされていた。障害者に分かりやすい授業は、すべての生徒にとって分かりやすい。
主要教科など習熟度に差がつきやすい科目では、2人の教員が配置され、チーム・ティーチング(TT)が行われている。前方に立つ教員が授業を進め、後方にいる教員が遅れている生徒のそばまで行き、一人一人フォローする。
教員に質問しているのは一般入学の生徒だったりする。どの生徒が知的障害なのか、にわかには分からない。
県教委は15年度に同校と足柄、厚木西の3高校を実践推進校に指定。3校とインクルーシブ教育で連携する各地域の中学の校長が、生徒を推薦する。
対象となるのは、知的障害者が各自治体に申請して取得する「療育手帳」の所有者と、障害の判定を受けていなくても、各中学校が「手帳相当」と認めた生徒たちだ。中には知的障害とともに、発達障害の傾向が強い生徒もいる。
集団の中で学ぶことが要件のため、軽度知的障害が中心になる。合否は各高校が面接を基に決める。知的障害の生徒には大きなハードルとなる学力試験は課さない。
定員は3校とも各学年21人。現在は茅ケ崎に33人、足柄に31人、厚木西に54人の計118人が在籍している。
受け入れ前には不安や懸念もあった。
清宮校長は「全国初の取り組み。保護者の中には不安を感じる人もいた。特にこれから受験する中学生は茅ケ崎高校がどう変わるのか、非常に関心が高かった。教員も知的障害の生徒を指導した経験のない教員が圧倒的に多かった」と振り返る。
同校が毎年春に生徒を対象に行っているアンケートによると、「互いのさまざまな違いを受け入れ、認め合っていきたいと思いますか」との質問に対して、受け入れ初年度の17年度に「そう思う」「ややそう思う」と答えた生徒の割合は、同校が連携している茅ケ崎市と寒川町の全12中学校の出身者では97.5%に上った。
県教委は同市町などの7校で、「みんなの教室」という通級指導を発展させたモデル事業を小中学校の段階で行っている。
「小中学校の段階で障害児者とともに学ぶ取り組みがスタートしているので、高校でも特別なことと感じていない生徒が圧倒的に多かった。このデータを見たときに、これなら大丈夫と思ったことを覚えている」。
清宮校長らの懸念は杞憂(きゆう)に終わった。連携校以外の中学からの入学者で肯定的な回答をした生徒の割合も、19年度には100%に達している。入学者の中には「福祉に興味があるから」と、同校を志望する生徒もいるという。
◇進路に広がり
リソース・ルーム。障害のある生徒たちが個別学習をしたり、休み時間にくつろぐための部屋だ。各学年に1室ずつ用意され、サポート・ティーチャーと呼ばれる外部人材が常駐している。
3年生のリソース・ルームでは、男子生徒が1人、教員と向き合っていた。2学期。卒業後の進路を模索する時期だ。当初職業技術校を目指していたという男子生徒は、県内の短期大学にチャレンジするため、教員のアドバイスを受けながら、AO入試の手続きを、準備している最中だ。
知的障害の生徒たちの多くが、中学卒業後に通う特別支援学校高等部を卒業すれば、大学や短大への入学資格が学校教育法で認められている。ただし、教育課程の違いから大学進学は難しいのが現実だ。
しかし、同校を卒業することによって、その後の進路は格段に広がる。現在の3年生は前述の男子生徒のほか、専門学校への進学を希望する生徒もいるという。
清宮校長は「高校に来なければ、そうした進路にはつながらなかった。選択肢が増えたのはうれしい」と話す。
同校で新たな進路を見付け、卒業を待たずに就職した生徒もいる。同校は卒業後の就職を見据えたキャリア教育も重視。3年間を通した面談を繰り返し、職場体験や実習もカリキュラムに組み込んでいる。
一方で、学校が合わずに、中途退学を選んだ生徒もいる。その理由について、清宮校長は「勉強に難しさを感じる生徒もいるが、それ以上に高校という環境になじめなかった」とみている。
少数クラスで個別対応が中心の特別支援学級にいた生徒がいきなり、1クラス40人の集団に入る。知的障害の中には、集団が苦手な生徒は少なくない。
同校では、誰が障害を持っているのか、生徒たちには知らせていない。4月のクラス開きの際に、自分に障害があることをクラスに打ち明け、自ら助けを求める生徒もいる。
特別支援学校で教えた経験がある国語科の福永智津教諭は、「個別支援が中心だった生徒を集団の中で教える難しさはあるが、理解している一般入学の生徒が、障害者の生徒に教えているのを見ると、この取り組みは良かったんだと思う」とほほ笑む。
逆に、障害者として入学したことを知られたくない生徒もいる。だから、勉強が分からなくても手を挙げて助けを求めることができず、余計に苦しい立場に追い込まれていく。
清宮校長は「『分からない』と言える環境づくり」に腐心しているが、同時に難しさも感じている。
◇一般入学の生徒の刺激に
「ともに学ぶ」ことは、一般入学の生徒へも少なからず影響を与える。
現在3年生の男子生徒は、知的障害の生徒が同じ教室で学んでいることに、もやもやした気持ちを抱えていた。自分と一緒に勉強していた中学の仲間が入試で落ちた。障害者施設で働く母親は施設の仕事に忙しく、自分は構ってもらえなかったという思いがあった。
母親には「勉強だけじゃない。大切なことはほかにもある」と言われ続けていた。AO入試でインクルーシブ教育について語りたいと思い、割り切れない気持ちをインクルーシブ担当の教員にぶつけた。
教員は「障害故に高校進学の夢がかなわなかった中学生が、この制度によって、あなたと一緒に高校生活を送れている。その生徒たちも、自分が高校にいてよいのだろうかと、逆の立場でもやもやを感じている」と伝えた。
生徒は「これから共に生き、社会を変えていくには重要なこと」と、自分なりに納得し、母親が言い続けた「大切なこと」の意味を理解した。
昨年3月に卒業した女子生徒は、校長室に手紙を残していった。彼女は手紙の中で、自分がパンセクシャル(全性愛者)であることを伝えた。
「学校でも、仲の良い友人は私のセクシャルを知っても、それまでと何も変わらず仲良くしてくれます。(中略)私は茅ケ崎高校がインクルーシブ教育を行っていることは素晴らしいことだと思います。すべての人が等しく教育を受けることができるように、少しずつでも進んでいることをうれしく思います。(中略)ただでさえ、日本で生きづらい私たちです。学校はそうであってほしくない、と心から願っています」
清宮校長はこう考えている。「自分の悩み、思いが声として上がるようになってきたのは、取り組みの一番の成果。周りの生徒の姿を見て全校が刺激を受け、共生社会が実現すればいい」
【「内外教育」10月25日号より】。
2019年11月03日 時事通信