ゴエモンのつぶやき

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相模原障害者殺傷事件・植松聖被告が、死刑判決でも控訴しないと書いた最近の手紙

2019年11月10日 20時33分54秒 | 障害者の自立

 

 

植松聖被告が「どんな判決でも控訴しない」と書いた手紙(筆者撮影)

 相模原障害者殺傷事件・植松聖被告との面会は1カ月に1回くらいだが、手紙は頻繁に届く。最近は、大麻についての絵本を出せないかと原稿とイラストを送ってきた。彼は大麻解禁論者だ。

 さて、彼の裁判は2020年1月8日から始まるが、本人も裁判のことはあれこれ考えているようで、最近の手紙では、どんな判決でも(といっても死刑判決になるだろうことは本人も覚悟してだが)控訴はしないと書いてきた。

 この記事の冒頭に掲げた手紙の写真は、まさにそれを書いたものだ。

 

《この間、とても御世話になった方が面会に来られ、多大な御迷惑を御掛けしたにも拘わらず「死ぬんじゃないぞ、俺達は味方だ」と笑いかけて頂きました。

 弱い自分が恥ずかしくなりました。私はどんな判決でも一審で裁判を終わりに致します。二審、三審と続くのは長過ぎると云うなら、実行すべきと考えました。これからも精進させていただきます。》

 死を覚悟したというわけだが、でも死刑判決の場合、弁護団は即日控訴するはずだし、それを植松被告が取り下げるのに私は反対だから、そうしないよう強く説得するつもりだ。死刑判決そのものは控訴しても変わらないと思うが、重要なのは、死刑が確定すると接見禁止となり、彼と社会とのつながりが全く絶たれてしまうことだ。

 この事件は、裁判をやったとしても全容解明は難しいと思う。釈然としない点が必ず残る。それについて本人に尋ねる機会が失われてしまっては、この事件の真相は永久に闇の中に閉ざされてしまう。

 今だって、植松被告が語る動機は一応の論理性を備えているとはいえ、なぜ障害者施設で働いていた者が突然あのような考えに至ったのか、さらに理屈で言うだけでなくそれをあんな残虐な形で実行に移し得たのか。そういうことを考えていくと、どう考えても理解できない「飛躍」がある。

 この事件の解明はとにかく少しずつでも長い時間をかけてやっていく必要がある。そのためには2020年1月から3月という審理で真相解明にふたをしてしまってはいけないと思う。

植松被告が面会室で語った、裁判のこと 

 さて、上記の手紙のほかにも、この間、私は植松被告に、裁判についてあれこれ尋ねている。その詳細な1問1答は、11月7日発売の月刊『創』(つくる)12月号に収録した。ここではその内容の一部を紹介しよう。事件の後、親が最初に面会に来た時にどんな話をしたかといった、興味深い内容だ。父親が今どういうことをしているかについての言及もあった。

――裁判については公判日程が発表されたので、君も聞いているよね。1月8日から3月までに相当な回数だけど。

植松 はい。

――どの回に被告人質問とか、そういう中身は聞いてないの?

植松 全く知りません。

――親が裁判に証人出廷するのは嫌だなあと言ってたよね。

植松 それは嫌ですね。できれば避けたい。

――裁判に出廷するかどうかとか、誰が証人になりそうだとかは弁護人から聞いてないの?

植松 全く知りません。ただ特別参加する人たちがいるというのは聞いています。

――裁判への特別参加制度だね。君は裁判では犠牲者の遺族に迷惑をかけたことを謝りたいと言っていたけれど、特別傍聴席に遺族たちが座るのでそこへ向けて謝罪するということかな。

植松 詳しい説明は聞いてないのでわかりません。

家族は4カ月に1回ほど面会に

――事件の後、親が最初に面会に来た時、どう言っていたの?

植松 元気かとか大変だったねとか、そんな感じのことを言ったように思います。

――あれだけの事件を起こしてしまった後だから、それについて非難するとか怒るとかいう状況ではなかったのかな。

植松 少し時間が経ってからでしたから。

――父親が事件の後、生徒たちの前で謝罪したという話が報道されていたけれど、もう父親は教壇に立ってないんだよね。

植松 体を動かす仕事をしていると聞きました。

――最近、君の父親が重い病気とも聞いたけど事実と違う?

植松 それはありません。

――家族は月に1回くらい面会に来ているの?

植松 今は4カ月に1回くらいですね。頻繁に来る必要はないし、私からそのくらいでいいと言いました。

――でも着替えとか差し入れはどうしているの?

植松 着ているものは拘置所で洗濯してもらえますから。

――じゃあ身の回りのことでは不自由はないわけね。自分のイラストや手紙をコピーしてもらうとかは誰に頼んでいるの? 先日はイラストを10枚コピーしてほしいと君に頼まれて、あのくらいならたやすいことだけど。

植松 やりとりしている記者や編集の人たちですね。

――以前送ってきた書画にりっぱな押印があったけど、あのハンコは誰に頼んだの?

植松 あれは手書きです。自分で描きました。

――え、そうなの? きれいにできてるのでそう思わず、てっきり親がやってくれているのかと思っていた。

 でも君は、家族の話はあまりしたがらないけれど、家族とは一定の距離を置こうとしているわけなの?

植松 別にそういうことではありません。

※書画に押されていた印鑑とはどういうものか、写真を掲げておこう。手書きというのには驚くほどよく描けている。

植松聖被告が描いた書画と押印(筆者撮影)植松聖被告が描いた書画と押印(筆者撮影)

植松被告が手紙で「死」について書いた内容 

 最近、植松被告は「死」について口にすることが多い。それは彼の唱える「安楽死」の話ともつながっているのだが、最近の手紙でそれに言及したものを紹介しよう。

《「死は恐い」と御伝えしましたが、正しい言葉は「悲しい」かもしれません。この世界から居なくなるのは淋しいと思います。自死を選ぶには、それまで培った勇気をふりしぼる必要が有りそうです。》

《月1回、1本14万円の抗癌剤注射を打つ医師は「安楽死はいらない」と主張しますが、医療技術が発達し、命は自然の摂理ではなくなりました。個人の尊厳を考慮されるべき一つの死に方として、安楽死がなくてはおかしいと思います。

「自殺」と「自死」は、死を選ぶ点で同じでも、意味合いが違います。心底立派と思いますし、逃げるのではなく、戦うために死を選択しているのは、安楽死される方々の表情から一目瞭然と思いました。》

 この死についての言及の後の手紙で植松被告は冒頭に紹介した、控訴はしないという気持ちを書いてきたわけだ。恐らく彼は自分自身の死や死刑についていろいろ具体的に考え始めているのだろう。もともと死刑囚が長期間生きながらえている現状は税金の無駄だから早期に執行すべきだというのが彼の主張だから、自分自身の死刑判決についても考えているに違いない。人間の死や安楽死をめぐる問題は、彼の犯行とも直結するテーマだ。残された時間にできるだけ植松被告と議論していこうと思う。

 なお、植松被告の基本的な考え方がどういうものであるかについては、創出版刊『開けられたパンドラの箱』をぜひご覧いただきたい。事件から1年後より彼と数え切らないくらい接見を重ね、手紙のやりとりをしてまとめた本だ。


ネットから119番通報 聴覚、言語障害者向け 高知県内全域に導入

2019年11月10日 20時17分57秒 | 障害者の自立

 高知県内の全15消防本部は9日から、言語や聴覚に障害のある人が、スマートフォンなどからインターネットを使って119番通報できる「Net119緊急通報システム」の運用を始めた。各本部に事前登録しておくと、画面のタッチ操作とチャット機能により細かい内容も通報できる。
 高知市消防局によると、このシステムが県内全ての消防本部に導入されたのは、9月の鳥取県に次いで全国2番目だという。

119番通報システムのスマホ画面(右)。通報者の位置情報が高知市消防局のパソコンに表示される

2019年 11月10日        知新聞


46年続けた理容店閉店へ 県聴覚障害者協理事長の松浦さん

2019年11月10日 20時05分26秒 | 障害者の自立

 県聴覚障害者協会理事長で、聴覚障害のある松浦邦晴さん(75)=宮崎市希望ケ丘4丁目=は、46年営んできた理容店を年内で畳む。第二の人生は手話を言語と位置付け理解と普及を促す「手話言語条例」の制定を県内自治体に働き掛ける活動や、手話の普及に力を注ぐ。「さみしさもあるが、障害のある仲間のために人生をささげたい」と意欲を見せる。


視覚障害者競技「ブラインドサッカー」 夜の体験会 好評

2019年11月10日 19時24分07秒 | 障害者の自立

 2020年東京パラリンピックを来夏に控え、ボールから鳴る音を頼りにプレーする視覚障害者向けの「ブラインドサッカー」の競技団体が、平日夜に実施している体験会が好評だ。目隠しして視覚に頼らないことで、周りの人とのコミュニケーションの重要性を学ぶきっかけにもなり、研修に取り入れる企業が年々増えている。

 「こっちです」「もう少し右!」。新宿区内の多目的ホールで開かれた体験会。アイマスクをしたキッカーがボールをコーンに当てる練習中、アドバイスをする参加者の声が響いていた。

 ブラインドサッカーは一チーム五人で、キーパー以外は目隠しをする。周りをフェンスで囲んだフットサルコートを使用し、ボールからは鈴のような音が鳴る。〇四年のアテネパラリンピックから正式種目に採用された。

 都内で月に数回開かれる体験会は一回二時間ほど。輪になった数人がボールを投げて回し、内側にいる見えない状態の人が音や指示を頼りにボールを触りに行くなど複数のメニューをこなす。

 十月中旬に参加した中野区の会社員川本拓也さん(25)は「周りの人の助けがあると全然違う。自分から伝える大切さを改めて学んだ」。大阪府茨木市から訪れた会社員栗野修至さん(38)は「声を掛け合うことと、相手の気持ちに立つ必要性を実感した」と満足そうだった。

 日本ブラインドサッカー協会は幅広い普及を目指し、一四年に体験会を開始。当初は一回の参加者が十人に満たない日もあったが、現在は申し込みが定員の二十人を超える日も。一九年三月までに計三千人以上が参加した。

 職場のチームワーク向上を目的に研修で活用する企業も多い。協会は一二年から講師派遣のプログラムを開始し、昨年度は六十六の企業と団体の計約四千八百人に実施した。同僚との信頼関係構築などに有効だとして毎年利用する会社もあるという。

 同協会D&I事業部の剣持雅俊部長(35)は「見えないからこそ、互いの意思疎通が重要になる。多くの再発見があるので、たくさんの人に体験してほしい」と話す。

日本ブラインドサッカー協会が実施している競技の体験会

2019年11月9日      47NEWS


県庁に障害者アート空間誕生

2019年11月10日 14時28分53秒 | 障害者の自立

 県庁西館に八日、障害のある人が制作した芸術作品の展示スペースが誕生した。県が有償で借り受けた作品を三カ月ごとに入れ替え、レンタル料の一部が作者に支払われる。

 二階ロビーにはシンボルとして、掛川市の養護施設「ねむの木学園」の園生らが一九八七年に創作した手描き友禅「二十一世紀の花火」の複製画を常設展示する。赤や緑の花火が画面いっぱいに描かれた作品で、これまでに国内外の美術展に出品された。

 二階の通路と四階のフリースペースには、県内の社会福祉法人などの団体や個人で創作活動している人の絵画十点を飾った。

 除幕式には、出品した浜松市中区の安間佐恵さん(44)や焼津市の田中拓実さん(21)、川勝平太知事らが出席した。ねむの木学園の宮城まり子園長は「子どもたちの作品を認めてくださり、うれしい」とあいさつ。繊細な模様で彩った「三重の塔」を描いた田中さんは「見た人が頑張ろうと思うように、応援する気持ちで描いた」と話した。

除幕式に臨む宮城まり子園長

2019年11月9日          中日新聞