ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

障害者も一緒に楽しめる「21席の映画館」

2019年11月19日 14時03分36秒 | 障害者の自立

「シネマ・チュプキ・タバタ」は、21席だけの小さな映画館。ここでは、聴覚に障害がある人も楽しめるように、上映する映画にはすべて字幕がついています。
目が不自由な人は、音声ガイドで映画をイメージできます。セリフが出てくるまで、サイレンやBGMの音だけが聞こえるシーンに音声ガイドが付くと——
音声ガイド「レスキューモービルの中から七色のライトが光り、コンテナが登場。青い髪の半裸の男が出てくる」
このように映像をイメージすることができます。劇中に登場する声優が、音声ガイドを担当するなど、健常者も一緒に楽しめます。
実は、この映画「プロメア」の音声ガイドは、映画館スタッフが制作したもの。音声ガイドがない映画はすべて一から制作しているといいます。
“映像”を文字にして、セリフと重ならないように言葉を配置します。自身で録音しながら、タイミングや文言を何度も調整。世界観にあった表現が難しいといいます。
音響機材にこだわり、前後左右にスピーカーを設置。よりよい音質で楽しむことができ、聴覚に障害がある人も、振動で映画をより体感できます。
車椅子で移動できるバリアフリー仕様の館内。人が大勢いる場所が苦手な子どものための親子鑑賞室など、多様なニーズに応えるユニバーサル映画館です。
聴覚障害の来場者「障害者や他の人も含めて、一緒に楽しめる映画館。いいところだと思いました」
和田支配人「ユニバーサルっていう意味は“どんな方も”っていう意味であって、障害者の方のみって思われてしまうと、ちょっと違った意味になってしまうかなと。ぜひ一般の方も当たり前に足を運んでいただけるような場になったらいいと思う」


【the SOCIAL viewより】2019.11.18      日テレNEWS24


視覚障害者の支援機器体験 40団体が出展 静岡・葵区

2019年11月19日 13時41分55秒 | 障害者の自立

 視覚障害者に関わる教育や団体の関係者、眼科医らで組織する静岡視覚障害者福祉推進協議会は17日、最新の支援機器などを体験できる「ビジョンサポート機器展・相談会」を静岡市葵区の県総合社会福祉会館で開いた。  県内外の福祉機器や医療機器の製造会社など約40団体が出展。図書の文章を大きく表示する機器などを展示し、盲導犬との歩行体験を実施した。白杖の選定や就労をはじめとした生活に関する相談コーナーも設けた。  イベントは視覚障害者の支援と社会参加の促進を目的に、毎年県内の東中西部の持ち回りで開催している。

 

盲導犬との歩行体験などを実施したイベント=静岡市葵区の県総合社会福祉会館

  静岡新聞NEWS       2019/11/18


ロスジェネ世代の発達障害者が就職難の時代を経て気がついたこと

2019年11月19日 09時08分34秒 | 障害者の自立

―[発達障害BARにようこそ]―

― 第11回 ― 東京・渋谷にある発達障害バー「The BRATs(ブラッツ)」。ここは、マスター以下スタッフのほぼ全員が“発達障害の当事者”であるバーです。当店には毎晩、僕らと同じように発達障害の悩みを抱えたお客さんたちが数多くいらっしゃいます。そんな生きづらさを抱えた方たちが少しだけ羽を休めに立ち寄るバーの日常を、僕、マスターの光武克(みつたけ・すぐる)がご紹介します。

==【発達障害とは?】==  ■自分の世界に閉じこもりがちな「自閉症スペクトラム症」(ASD) ■注意欠陥と衝動性が強い「多動性注意欠陥障害」(ADHD) ■特定分野(計算だけ異常にできないなど)の理解が困難な「学習障害」(LD) 上記の3種類が一般的に知られている。発達障害者はそれぞれ複雑な“特性”を抱えそれによって日常生活において、さまざまな支障が出る人も多い。 =============

ロスジェネ世代と発達障害

 ロスジェネ世代、「失われた世代」と呼ばれるバブル崩壊後のおよそ10年間に社会人になった世代がここ数年話題になっています。具体的には1970年から1982年頃に生まれた人がこの世代に当てはまります。彼(女)らは、就職氷河期に就職活動を行わざるをえなかったことから、正社員雇用ではなく非正規雇用として働くことを余儀なくされた人が多いのです。就職で苦労したという経験がその後の人生に大きな影響を与えており、生きづらさを抱える人が多いようです。  さて、今日のお客様は「ロスジェネ世代のADHD代表」と豪語する松村さんです。彼は有名私大を卒業後正社員として働くも、仕事に疲れ双極性障害と適応障害を発症し、離職を余儀なくされました。その後、非正規雇用の事務職を務めたのちに、心機一転フリーランスの予備校講師となり、仕事を通じて僕と知り合うこととなりました。

  そんな松村さんが今日はBRATsに来店なさるそうです。ちょっと緊張しながら、彼の来店を僕は首を長くして待っていました。 松村「光武先生ご無沙汰しております。あっここでは光武さんの方がいいのかな?」  少しはにかみながら村松さんが来店なさいました。 光武「あ、松村先生。お久しぶりですね。お忙しいなかご来店ありがとうございます!」 松村「僕は光武先生とちがってスケジュールがスカスカだから大丈夫なんだよ」 光武「あいかわらずキレッキレの切り返しですね」 松村「ははは、光武さん。この盛況ぶり凄いものだね。予備校の顔とは違う一面を見られて僕もうれしいよ」  松村さんとの付き合いはかれこれ5年になります。僕は、普段予備校の中ではあまり目立たないようにしているのですが、なんとなくそそっかしい行動や核心を突く発言をみていると、自分と同じ匂いを彼に感じとり、すぐに打ち解けた関係になりました。お酒が大好きな方で、苦労なさった経験を笑い飛ばすようにお酒を楽しく飲まれる、その笑顔が周囲の人を引き込む魅力にあふれていました。 光武「よかったらご注文を先に聞いちゃいますね」 松村「やっぱり仕事帰りはビールだよね」 光武「かしこまりました」

  差し出されたビールを口にしながら、村松さんはニッコリ笑います。 松村「あー生き返る。この一口のために仕事をしてる感じがするよ」 光武「ははは、僕もその気持ちよくわかります。仕事帰りに飲むウイスキーは格別ですから」 松村「本当に光武さん、そうやってかっこつけるんだからなぁ。ええかっこしい」 光武「そういういじり方をなさるのは松村さんくらいですよ!」

 たわいもない会話が心地よく、彼との時間がゆっくりと流れていきました。そこで、話題が仕事の話、そして彼の過去へと移っていったのです。 光武「松村さんって、予備校講師になる以前も、いろいろと仕事を経験していらっしゃいますよね。予備校講師に、というよりはフリーランスにですかね? なろうと思ったきっかけがあれば教えてもらえます?」 松村「光武さんも知っていると思うけど、K大を出てるじゃん、僕は。やっぱりさ、あの優秀だと言われるK大に行っちゃうと、へたに小さなところに就職すると負け組みないな空気があったんだよね。今もあると思うけどさ」 光武「僕もその空気感じたことがあります。僕も大学がJ大だったので、やっぱり就職するときの圧力みたいなものは感じましたね」 松村「やっぱりそうだよね、でさ、僕はちょうどロスジェネ世代と呼ばれる時期に生まれちゃったからさ、とにかく就職氷河期だったんだよね。本当に苦労して、某都市銀行に入ったんだよ。もともとメガバンクに行きたかったし、K大の手前、大手に行って当たり前って空気もあったから、あの時はきつかったな。周囲に比べて自分が無能な人間に思えてきつかったよ」

 1990年代後半から2000年代前半の就職率は過去30年でも最低水準でした(文部科学省『学校基本調査』より)。就労数を卒業者数から、大学院への進学者を引いた数で割ることで出てくる数値は、70%を割っており、この時期の就職が非常に難しいものとなっていたことを物語っています。当時、書類選考の通過は相当厳しく、たとえMARCHのような難関大であっても、バサバサと落とされてしまうという現状がありました。 光武「僕は就職から逃げちゃいましたからね。松村さんのきつさをわかると言っては失礼かなと思うので、気軽に口にできないなって感じますね」 松村「あの当時はプライドが高いわりに、いろいろ上手くいかないことが多くて、精神的にそうとう参ってしまった時期なんだよな。で、せっかく入社できたら正社員だから必死に働いたよ。すごく体育会の思考で、営業ノルマもきつかったな。池の中に10匹しか魚がいないのに、15匹釣ってこいと言われるような体質の会社でね。

 ただADHDだからかわかんないけど、営業は得意でさ。新規案件はがっつり獲得できて、上司からのおぼえはよかったよ。書類めちゃくちゃで怒られることはあったけど(笑)。ただ、そんな環境で仕事をしているとついに心を壊しちゃってさ、会社を辞めざるを得なくなったんだよね。」 光武「本当に波乱万丈な人生ですね」 松村「一度離職しちゃうと、今度は再就職でも苦労してね。特に辞めた理由が理由だから、なかなか再就職先も決まらなくて、仕方ないから派遣で食いつないで、大学時代にバイトしてた予備校に戻ってくることにしたんだよ。なんだかんだあの頃が一番楽しかったんだよね」 光武「僕も似たような経験がありますよ。いろいろ仕事を考えたけれど、結局最後まで続けられたのは予備校の講師だけでしたから。  発達障害という診断を受けて、自分にとってできることの範囲外のことはかなり無理をしないとこなせないとわかったんですけど、予備校講師の仕事は、自分にとって無理なくできる仕事だったんだなとつくづく思います」 松村「そうだよね。僕も正社員時代、あのきついノルマをこなすのも、楽しいと言えば楽しかったからできたんだろうな。双極性障害と適応障害の診断が出て、非正規雇用の職に就いたときは人生終わったなと思ったけど、なんだかんだフリーランスでご飯食べられているし、結果オーライな人生なんだよ」

ADHDで良かったと思うこと

 ビールをぐっと飲みほして、松村さんはちょっと真剣な顔つきになりました。その表情に引き込まれるように僕はじっと彼を見続けました。 松村「ただ、これはADHDで良かったと思うんだけど、いわゆるロスジェネ世代って就職氷河期で入社と社会人経験で苦労するぶん、自己肯定感が低いって言われるじゃない? 実際、就職でうまくいかなかったり、派遣やっていた時は相当自己肯定感が下がったもん。  でもさ、僕の場合、ADHDだからか、その時の記憶があんまりないんだよね。よくさ、ASD(自閉症スペクトラム)の場合、細部まで覚えているっていうじゃん。でも僕は、本当に今が楽しいから忘れているんだよ。本当にここは発達障害で良かったと思う(笑)」  松村さんのように、就職氷河期に苦労し、正社員から派遣まで経験した場合、やっぱり自己肯定感は低くなります。僕自身、ASDの特性が強いため、過去の嫌な記憶(例えば、幼少期に親に言われた「単語」やいじめられた時の状況など)は、かなり鮮明に思い出すことができます。  ただ、何かに集中しているとき、いわゆる過集中に入り、モードが切り替われば、そうした記憶を完全に忘れ去ることができます。フラッシュバックのように思い出すこともありますが、基本的には、何かに集中していれば、過去の記憶に悩まされることはありません。  松村さんのように、完全に忘れ去れるのも、それはそれでレアなケースかと思いますが、たしかに関心がフラフラ揺れているADHDにとって、過去の嫌な記憶は、こだわる必要のない、不必要なものだというのも理解できる話です。 松村「あっ、そうだ。目的を忘れていたよ!」 光武「?????」 松村「今日はさ、実は報告があってお店に来たんだよね」 光武「そうだったんですね。ぜひ教えてください」 松村「えーっと、改めて言うのも恥ずかしいのだけど、実は43になり、結婚がきまりました!!!!!」 光武「おーーーーーーーーーーーーーー」  ロスジェネ世代は第3次ベビーブームとなるはずだった世代にもかかわらず、未婚率30%という現実があります。そんななか、松村さんの報告は非常にうれしいものがありました。 光武「これは、祝杯ですね!」 松村「ありがとう!で、勝手にシャンパン持ってきたら、一緒に付き合ってよ(笑)」 光武「はははは、かしこまりました」  楽しそうな松村さんの表情につられ、僕もいつの間にか仕事を忘れてお酒を楽しんでしまいました。今日もブラッツは大盛況です。さて、そろそろ接客に戻らないといけませんね。それではまたのご来店をお待ちしております。 *お客側の登場人物はプライバシーの問題から情報を脚色して掲載しています。

 <文/光武克 構成/姫野桂 撮影/渡辺秀之>―[発達障害BARにようこそ]―