連続シンポジウム「慈愛と福祉の先駆者たち」(山陽放送学術文化財団主催、岡山日蘭(にちらん)協会共催、山陽新聞社など後援)の第7回「地域共生社会を夢見た人々」が27日、岡山市北区柳町の山陽新聞社さん太ホールで開かれた。大正時代に県初の養老院(老人ホーム)を開設した田渕藤太郎(1876~1928年)と、戦後に点字ブロックを開発した三宅精一(1926~82年)を取り上げ、高齢者や障害者の福祉の先駆けとなった意義を語り合った。
岡山市北区の農家に生まれた田渕は1912(大正元)年に「報恩積善会」を設立し、孤立した高齢者を自宅に引き取り、養老院に発展させた。同市で旅館を経営していた三宅は親友の失明をきっかけに点字ブロックを考案し、67(昭和42)年に第1号を市内の交差点に設置した。
シンポジウムでは、岡山県立大の井村圭壮教授が積善会の沿革を解説。他の養老院が財源に苦しむ中で田渕が事業を継続できたのは、演芸会の開催などを通じて地域の賛助会員を集め「住民との助け合いがあったからこそ」と強調した。
盲養護老人ホーム聖明園曙荘(東京都青梅市)副園長の本間律子さんは、点字ブロックが世界に普及していることを紹介し、「『全ての点字ブロックの道は岡山に通ず』と言っていい」と功績をたたえた。
最終回の次回は来年2月6日、生涯をかけて「福祉県岡山」の基盤となる施策を推進した三木行治元知事を論じる。
(2019年11月27日 山陽新聞 )