ゴエモンのつぶやき

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両腕を失いながら障害者福祉に尽力 「北海道光生舎」創業者の人生がアニメに

2012年09月23日 11時22分19秒 | 障害者の自立
 事故で両腕を失いながら新聞記者になり、授産事業としてクリーニング工場を始めるなど、生涯を障害者福祉に尽くした北海道人の人生がアニメ映画になる。この人物は赤平市(あかびらし)の社会福祉法人「北海道光生舎」の創業者、高江常男さん。5年前に80歳でこの世を去ったが、施設は今では600人の利用者を抱え、クリーニング工場は道内各地に多くの顧客を持つ企業に成長した。後を継ぐ長男の智和理(ちおり)さん(51)は、アニメ化について「子供たちの将来への希望になればうれしい」と話す。(札幌支局 藤井克郎)

 赤平市の中心部、JR根室線赤平駅から5分も歩けば、クリーニング工場と障害者施設が立ち並ぶ北海道光生舎の拠点に行き着く。札幌をはじめ各地の家庭から集められた洗濯物や、道内の名だたるホテルのシーツ、タオルなどのクリーニング作業を、ここでは障害者も健常者も一緒になって行う。

 「施設の利用者が600人ちょっとで、そのうち300人くらいが工場で働いています。父の考えは、障害者の面倒は一生見る、途中でおっぽり出すわけにはいかない、というものでした」と北海道光生舎の理事長を務める高江智和理さんは説明する。


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 父親の高江常男さんがここで授産事業としてクリーニング工場を始めたのは、昭和31年のことだ。隣の芦別市(あしべつし)で炭鉱労働者の家に生まれた常男さんは小学生のころ、竹とんぼが右目に刺さって失明。17歳のときには飛行場建設現場で作業中に感電し、両腕を切断する悲劇に見舞われたが、文学を志し、口でペンをくわえて文字を書くことを訓練して習得する。

 その後、地元の空知(そらち)タイムス赤平支局の記者として取材活動をするうち、炭鉱で負傷した障害者と多く出会い、その自立を考えるようになった。仲間と検討を重ねた末、機械化して大量生産ができるなど将来性がある、分業制を取ればどんな障害者にも働く部分がある、とクリーニング工場の創業を決意。当初は障害者十数人からのスタートだった。

 「会社だとか大げさなことは考えていなかった。障害者が食べていくために何とかしよう、と始めたんです。今では想像もできないほど貧乏な生活でした。本人が光生舎からお金をもらうようになったのは10年ほどたってからで、新聞記者を続けて食べていた。光生舎の仕事が終わってから記事を書いて、深夜1時の最終列車に原稿を乗せてから休む。しかも朝は3時ごろに起きていたから、ほとんど寝る時間はありませんでした」と常男さんの思い出を語るのは、工場創設の半年前に結婚した妻の美穂子さん(80)だ。

 美穂子さんによると、両腕のない常男さんは取材などで移動する際、アルバイトがこぐ自転車の荷台に乗せてもらっていたが、足でしがみつくものの当時はまだ砂利道ばかりで、本当に危険だったという。光生舎の仕事としては契約や事務が主で、特に金策には苦労した。「人に使われていた経験から、給料の遅配、欠配だけは一度もしたことがなかった。障害者だからものが悪い、というのは避けたいと、仕事に関してはとても厳しい人でしたね」と美穂子さん。

 長男の智和理さんも「障害を売り物にするなというのは、ずっと言っていた」と認める。「最初は同情で言ってきても、クレームが出たら、やっぱり障害者だからこんな仕事しかできない、となる。商売は価格と品質で勝負だというのが信条でした。両手もない、お金もない、何にもない中から、しかも障害者だけを集めて会社を興し、それを育てていく。どれだけ大変だったか、実際に経営してみて初めて分かりました」と打ち明ける。

 昭和34年には社会福祉法人の認可を取得。訪問受注システムを中心としたクリーニングの営業は、赤平市だけでなく近隣の滝川市などにも地域を広げ、徐々に売り上げも伸びていった。さらに印刷業など業種も拡大、北広島市内に10万坪の土地を購入し、会社や社員寮、病院などを集めて障害者の街をつくろうという計画も進めた。

 「ちょっと夢を見すぎてしまった」(智和理さん)と北広島の事業は撤退したものの、社会福祉法人は現在、赤平市、歌志内市(うたしないし)、札幌市に12の施設を持つまでに成長。また株式会社として切り離したクリーニング事業は、札幌市を中心に50店舗を構える「ピュア」、女性スタッフによる集配クリーニング「ココ」など幅広く展開している。常男さんは平成19年に80歳で他界したが、その理念は今も受け継がれている。


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 この常男さんの人生が映画になる。「石井のおとうさんありがとう」や「筆子・その愛」など福祉を扱った作品で知られる山田火砂子(ひさこ)監督(80)が、北海道を舞台にした前作「大地の詩(うた)」の撮影前に赤平市を訪れた際、智和理さんから常男さんの話を聞き、ぜひ映画にしたいと熱望。できれば子供に見せたいと、実写ではなくアニメにすることになった。

 山田監督は「腕がないと重心が取れないので、車に乗るだけで大変なんです。それなのに口にペンをくわえて字を書くなんて、努力なしにはできません。苦しみは人生にとって一番の勉強になる。何にも考えないでぽわーんと生きている親子がいっぱいいる中、アニメで考えてもらいたいと思った。見た人の100人のうち、1人でも努力する人が出てきたらうれしいですね」と話す。

 アニメ映画は「明日(あした)の希望-高江常男物語-」のタイトルで、10月27日から11月2日まで札幌市厚別区(あつべつく)のサンピアザ劇場で先行上映会が開かれた後、赤平市や東京などでも上映される。アニメ映画製作を機に、常男さんの伝記も大空社から出版される予定だ。

 アニメのキャラクターを見て、「私はよく描けているけど、お父さんはちょっと太りすぎね」と話す美穂子さんは「おおらかに笑い合う楽しい家庭で、暗いところなど何もなく暮らしてきた。あれだけの苦労がアニメでどう描かれるのか心配もありますが、教育映画みたいになればそれはそれでいいのかなと思います」と言う。

 一方、智和理さんは「母は思い出を大切にしたいという気持ちもあるでしょうが、子供たちに見せたいという趣旨はすばらしい。アニメ映画が子供たちの将来の希望になれば悪いことではないし、題材としてひとさまの役に立つならいいかなと思う。これからは障害者が一般企業で働くという時代になるでしょうし、そういうのもやっていきたいと考えています」と、父親の思いを明日へつなぐ決意を口にした。


アニメ映画「明日の希望」のワンシーン(現代ぷろだくしょん提供)

MSN産経ニュース-2012.9.23 07:00


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