“高い下駄”を履かされ続けた男の挑戦
ダウン症の弟がいる岸田奈美さんは10歳の頃、お母さんから「ダウン症の弟を嫌いならないでほしい」「障害者といわれる人にもかっこいい生き方があると知ってほしい」と、1冊の本を手渡された。本のタイトルは『五体不満足』。それから18年後、その本の著者と出会うことになるとは思いもよらなっただろう。
奈美さんは中学2年生のときに父親を心筋梗塞で亡くし、高校2年生の時に、母親が心臓の手術をきっかけに下半身麻痺になってしまう(詳しくは、「『ママ、死にたいなら死んでもいいよ』と下半身麻痺の母に言った日」を参照)。
ダウン症の弟と車いすの母。障害をもった家族2人を間近で見てきた奈美さんは、乙武さんが義足をつけて初めて「歩く」ことに挑戦した記録を綴った新著『四肢奮迅』を読んで、18年前とはまた違った衝撃を受けたという(奈美さんの同書に対する感想の記事はこちら)。
そんな奈美さんに、彼女だからこそ聞ける質問を乙武さんに直接ぶつけてもらい、感じたことを率直に綴ってもらった。
※以下、岸田奈美さんによる寄稿。対談写真/村田克己
私はいつも、モヤモヤしていた。ジャイアンのスタートラインが、低すぎるだけなんちゃうんか、と。
知的障害のある弟もそうだった。スタートラインが異常に低かった。小学校の頃、弟が挨拶をしただけで、周囲は「偉いねえ」と言い、運動会の徒競走で完走すれば「凄いねえ」と泣いた。そんな弟と一緒に登校している私もまた、それだけで褒められた。周囲の過剰な反応に対して、「うれしい」よりも「複雑」という気持ちが勝った。
そんな私は、乙武洋匡さんの『四肢奮迅』を読み、この段落で一気に引き込まれた。
「障害者なのにこれだけ頑張っている」というバイアスが、幼少期に引き続いて、私にとてつもなく高い下駄をはかせ続けたのだ。(中略) これまで長年にわたって履いてきた下駄を脱がされ、そしてその下駄で思い切り頭を殴られた。私が履いていたのは硬くて思い鉄下駄だったことを、そのときはじめて知った。
最高だった。心底びっくりしたあと、何度もうなずいて、笑った。「高い下駄」は、私にも見覚えがあったから。
同時に、『四肢奮迅』が「障害者が頑張っている姿を、涙を流しながら眺める本」ではない確信を得た。たぶんそう勘違いして敬遠する人はいると思うので、どうか私を信じて、読んでほしい。下駄を脱がされた乙武さんの、すべてをかなぐり捨てた裸一貫の挑戦に、ページをめくる手が止まらなかった。
そんな乙武さんに直接、お話を伺う機会をいただけた。
なぜ乙武さんは「歩く」ことにしたのか
私は過去、溺愛していた元カレにフラれ、挙げ句の果てに、私とお付き合いを同時進行していた女性と結婚されてから、元カレを大阪湾の底に沈める夢を何度も見てきた(私は関西出身です)。
だから、2016年に不倫スキャンダルがあった乙武さんにどう向き合うか、少しだけ悩んでいた。
でも、それは乙武さんが踏み出した一歩を否定する理由にならない。『五体不満足』という本に助けられた過去への感謝を、忘れる原因にならない。前日に私は、ようやく腹をくくった。
当日、乙武さんを前にして、前日までの不安は吹き飛んだ。あの乙武さんが目の前にいる。私の名刺を顎と右の「手」で器用に受け取る姿に素直に感動していた。私は単純だ。
「興奮して、リストにない質問をしてしまうかもしれません」と言う私に、「お答えに多少、時間をいただければ、全部答えます」と乙武さんは笑った。
「選べるという豊かさを、一つでも多く作りたかった。だから歩こうと思った。僕という存在を、未来のために使ってもらえるのがうれしかった」(乙武、以下同)
義足プロジェクトに身を投じた理由を、乙武さんはそう語った。
電動車いすを体の一部のように操る乙武さんは、歩く必要がない。それでも義足にチャレンジしたのは、自分が“実験台”になるためだ。他でもない、今を生きる私たちのためだった。
障害のある人にも選択肢のある社会に
乙武さんが考える、みんなが幸せな社会。それは、「選択肢のある社会」だ。
選べるということはすなわち、豊かで幸せなのだ。
これまで、両足を膝上から切断した人が義足で歩く手段はなきに等しかったという。本人が歩きたいと願っても、歩くという選択肢はほぼない。それは乙武さんの願う、みんなが幸せな社会じゃない。だから乙武さんは、義足で歩くことを決めたという。自分の一歩が、諦めていた人の一歩になると信じて。
乙武さんの願う未来が集約されている言葉を聞いた。
「電動車いすよりも、義足の方が、便利で優位だとは誤解されたくない。人によって選べるようにしたかった」
私の母は下半身麻痺で、手動車いすに乗っている。よく「電動車いすにしないの? そっちの方が楽じゃん」と言われる。その度に母は、苦い顔をしていた。
確かに、電動のほうが何倍も楽だ。それは紛れもない事実だ。でも母は可能な限り、自分の手で前に進みたいという。母の気持ちと世間の思い込みとのギャップが、世界の狭さだ。
乙武さんのおかげで、間違いなく世界は広がった。歩きたくない人は車いすを、歩きたい人は義足を、自分の意思で選べるようになるかもしれない。
これまで義足で歩く選択肢すらなかった人にとっては、1969年アポロ11号の偉大な一歩と、ほぼ同じだ。あの日、人類は月へ行くという大きな選択肢を得た。
みんなで歩く楽しさを知った乙武さん
「義足プロジェクトメンバーの共通点は、健全な野心を持った人」
そう語る乙武さん。“野心”には、相手を蹴落として自分が上り詰める、というイメージがある。“健全な”野心とは、真摯かつ貪欲に取り組み、得た学びを、それぞれの得意分野の世界に持ち込み、自分やその分野の成長に貢献できること、だそうだ。
「今日は体調が良いから義足、明日は車いす」 なんて未来も、すぐに到来するだろう。
「明日は結婚式だから、スワロフスキーをあしらった義足を」 こんな未来だってあるかもしれない。
ワクワクする。でも、誰よりもワクワクしていたのは乙武さんだった。
『五体不満足』は、乙武さんが主人公だった。でも『四肢奮迅』は、乙武さんを取り巻くチームがドラマを巻き起こす、全員主人公の群像劇だ。『ファイナルファンタジー6』や『指輪物語』が大好きな私が、この手の話にのめり込まないわけがなかった。
手足のない乙武さんという“課題”に対し、業界のプロフェッショナルや新進気鋭の若手が、それぞれ得意な武器を持ち、解決に挑む。乙武さんのポテンシャルを引き出すため、一致団結する。プロジェクトで得た経験や知見を、それぞれ存分に持ち帰り、成長していく。荒波を航海する船と、そのクルーを眺めているような臨場感だった。
乙武さんは、チームで動くことのほうが好きだそうだ。スポーツライターをしていた時も、チームスポーツを好んで取材した。さかのぼれば、中学生では生徒会に入り、高校生では文化祭の映画を作る助監督に名乗りを上げたという。これまで個人としての印象が強すぎた乙武さんにとって、どれだけうれしかったことだろうか。その喜びが私にまで伝わってきた。
歩くことをやめなかった理由
私は乙武さんに、気になっていた疑問をぶつけてみた。
「歩くことを、やめようと思ったことはなかったんですか?」
『四肢奮迅』は、しんどい。乙武さんが歩く練習をする描写が、めちゃくちゃしんどい。途切れ途切れの息遣いも、一歩の重さも、刺すような筋肉の痛みも、胃がキリキリする重圧も、すべてが真正面から伝わってくる。
やめてる。私だったら絶対やめてる。情けないけど、その自信は多いにある。
「やめようと思ったことは、一度もない。無理だなと思ったことは、一度だけある」
しんどかったあ、本当にしんどかったよ、と呟いたあと、乙武さんはそう言った。
深夜12時を回ってから、マンションの階段をヒイヒイ言いながら上るなか、「俺なにやってんだろうな」と、何度も思ったそうだ。でも、やめようとは思わなかった。
私は乙武さんに、気になっていた疑問をぶつけてみた。
「歩くことを、やめようと思ったことはなかったんですか?」
障害者なのに、障害者のくせに、という乙武さんへの枕詞が消えることはない。 日々、乙武さんに届く大量のメッセージの中には、様々な価値観が渦巻いている。
「自分は障害者だけど、乙武さんのように頑張れ、と周りからプレッシャーをかけられるようになった」 「乙武さんはただ周りに恵まれているだけ」
なかには乙武さんが発信すること自体をよく思わない声もある。
私は胸が痛んだ。乙武さんよりぜんぜん数は少ないが、ネットでエッセイを書くようになって、同じような意見をもらうことがあったからだ。何度も何度も、筆を折りそうになった。
聞けば、乙武さんも悩んだと言う。でも、今の乙武さんには確固たる決意がある。
「僕の発信に賛成できない人はいるだろうけど、勇気が出る人もいるなら、僕はその人たちのために、言いたいことを言い続ける」
77億もいる人間、全員が賛成する意見なんてない。あったとしてもそれは、ごく限られた特別な意見だ。不快だと言う人に配慮して発信をやめれば、期待している人を失望させることになってしまう。
どちらをとるか。乙武さんは、後者を取った。
歩けなかった人が、歩けるという勇気を持てるように。障害に対する、想像上の絶望に溺れないように。
確固たる目的が見えれば、何を言われても気にならなくなった、と乙武さんは微笑んだ。きっと私がこれから先、何十年も悩んでいくであろう葛藤に、パッと光を灯してくれた。
世界を1cm広くするという大きな山
乙武さんが尊敬する人は、野茂英雄さんだ。日本人がメジャーリーグに挑戦するなんてありえなかった時代、野茂さんは世論という世論から大バッシングを受けた。
でも、野茂さんは一言も反論しなかった。メジャーリーグ史上4人しか達成していない、両リーグのノーヒットノーランという偉大すぎる功績を引っ下げて、日本中を感動で震わせた。
野茂さんが先駆者となったから、今、メジャーリーグの大舞台で活躍する日本人がいる。乙武さんは、野茂さんのようになりたい、と憧憬の眼差しで言った。
「乙武が登ったぞ、という旗を、いろんな山に立てていきたい」
日本は未だ、前例主義の国だ。障害のある人が挑戦したいと言っても、前例がなければ断られる。
障害のある人だけではない。病気のある人、LGBTの人、外国にルーツのある人、いろんな人が、当たり前であるはずの日常に不自由や不安を感じている。乙武さんはそれを、山にたとえた。
新しいことに挑戦したいと思った時、「そう言えば、何十年も前に、乙武というおじさんが成し遂げたらしいぞ」と言われる未来を、自らの挑戦が背中を押す未来を、乙武さんは夢見ている。乙武さんは歩き続ける。今は義足で。来年は、何に挑戦しているのか想像もつかない。きっと私たちの世界を、もう1cm先へ押し広げてくれる挑戦だと思う。
2019.11.15 現代ビジネス
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