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煙が目にしみる

2019年05月14日 10時16分24秒 | Weblog
煙が目に染みる

青葉若葉の初夏の候
今日は 孫が生まれた日

空は青く
あの山も 青々として
若葉は 陽を受けて
キラキラと照り映えて

吹く風は ヒンヤリと
自転車を漕げば
少し汗ばむくらい

花壇や庭の花は
初夏の風に揺れながら 微笑む

自転車に乗り 薫風切って
私らは 市民ホールに向かう

長く遠ざかっていた芝居観劇

大型連休の最終日に
市民ホールに出かけ
カミさんと 芝居観劇をした

「煙が目にしみる」の幕が開ける

懐かしいメロディーが流れる

五、六十代の男が 二人亡くなり
たまたま同じ斎場(火葬場)に居合わせ
その火葬前後に展開される
哀しくも可笑しい人間模様

「煙が目にしみる」

切ないメロディーが
耳奥に響いて 忘れ難い
######################
そして 僕は
火葬場での煙を思い出していた

それは ちょうど5年前の五月
あるペット霊園でのことだ

我が家の柴犬モコが
18歳余りで亡くなり
家内と次女とで
自宅 公園 川 駅 病院と
所縁(ゆかり)の地を訪ねながら
車を走らせ 霊園に向かう

次女は 初めての我が子を
亡くして間もない頃だったが
福岡市から駆けつけてくれた

家内は 東京の初孫が
生まれたばかりで
その手伝いに上京していた

5月15日の深夜
外は暗く 雨の音
モコは 夜通し
か細い声で鳴くので
一人で世話をしていた僕は
モコ 朝まで待ってね
と 心の中で頼みながら
横になっていた

うたた寝をして
辺りがうっすらと明るくなり
鳴き声が全くしないので
僕は もしや まさか という思いで
モコの様子を窺うと
動きも呼吸も気配がない‥‥

モコは 最後は静かに
息を引き取っていった

それから 僕は
お風呂場に モコを運び
体を拭いて きれいにして
また 布団に寝かせ
体を自然な格好にして
氷を入れたビニール袋を
体の周囲に敷き詰めた

枕元には 水とご飯‥‥

これからどうしたらいいか
上京中の家内と打ち合わせ
打ち合わせながら
最後の最後は看取られず
すまないと言う気持ちと
別れの哀しみとで
電話の先で 家内が
泣いてるの?って尋ねる
悲しいんだね?と確かめる

僕は いろんな気持ちが混ざり
心の底から どんどん溢れてくる
両親には申し訳ないけれど
両親が亡くなった時よりも
僕の涙は溢れて
僕は 嗚咽を漏らした

娘が緊急入院をした時
僕は 人生の四半分の涙を流した
(その後 娘は奇跡的に回復した)
そして そのまた半分の涙を
急逝した義母を亡くした時に
使った(妻の母親の存在は大きい)

義母の火葬の時
家内と義姉は
火葬のボタン押しで躊躇った

私たちは 長い人生の中で
沢山のボタンを押してきているが
火葬のボタンほど 押しにくいものはない
相当な覚悟をして押さなくてはいけない

2014年(平成26年)5月16日
僕たちは 昨日と全然違う青空の下
火葬の煙を見上げながら
愛犬モコと 永遠の別れをした

煙が目に染みる

ペット霊園の庭から見える
火葬の煙‥‥
あれは 愛犬モコの煙‥‥

煙が目に沁みる

霊園の祭壇でのお線香やお香は
心鎮める煙を漂わせている

サヨナラ モコ!
今まで長い間 ありがとう!

PS 2019.5.7 草稿 5.8 追記
やはり生での芝居観劇はいい
演目は「煙が目にしみる」と「おくまと鉄之助」
出演は 座長が熊谷真実さん
他に主な演者として 小松政夫さん、
音無貴美子さん、川野太郎さん、
あご 勇さん、曾我廼家八十吉さん など
「煙が目にしみる」は
ミュージカルの主題歌で
実は 女性の失恋を歌ったものだそうだ

父方の叔父は 病気のため喉が弱くて
線香の煙も咽せるので 避けていた
################
PS 2019.5.6 草稿 5.8 / 5.14 追記
この観劇は 日本香堂主催
ご愛用者謝恩観劇ご招待会に
(熊谷真美一座 旗揚げ公演)
応募して当選したので 参観した次第
観劇の他に 弁当やお土産まで頂いた
###################################
最近 似たテーマを扱った絵本の紹介があった
絵本「このあと どうしちゃおう」だ
この絵本は おじいちゃんの死を扱った作品で
死後の世界から 現世(の自分の生き方)を照射した
奇抜な発想と お茶目なユーモアに溢れた
心に残る素晴らしい絵本のようだ
(絵本は ヨシタケシンスケ 著 ブロンズ新社 出版
2016年4月 発行 )
私は 近いうちに 本屋さんで探しましょう
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母の日に お寿司はいかが?

2019年05月12日 20時53分59秒 | Weblog
母の日に お寿司はいかが?

今日は朝から
娘が珍しく電話をしてきた

余程のことがないと
自分から連絡をすることは
あまりない娘だ

何だろうと
ちょっと心配したが
何だそうか!
私の杞憂に終わった

今日の母の日で
わざわざ電話をしてきたのだ

今事情があって
娘たちには
経済的なゆとりはないので
取り敢えず気持ちだけでも
母親(つまり家内)に伝えようと
電話をしたようだ

今日のネットで
母子ともども
お互いに元気でいることが一番と
思っている人が多いらしい

うちのカミさんは
スーパーで寿司のパックを
二つ買ってきた
自分へのご褒美だねと
私らは笑い 美味しく頂いた


#########################

夕食後
浴槽の栓を入れ忘れた私が
慌ててお湯の追加をしていると
別の娘(長女)からLINEビデオが
かかってきた
十連休で 沖縄まで
久しぶりの家族旅行に行ったとのこと
その頃?忙しい中を
プレゼントを買い贈ったが
何と自分の所になってたそうだ
それで カメラでその品を見せてくれたが
黒猫の頭にカエルが乗っている
愉快なグッズだった
少し遅れてやって来る楽しい贈り物だ


ps2019.5.12 日曜 母の日に

私の母は 夏に亡くなった
今年で4周年になる
それまでカラオケセットなど
いろいろ贈ったけれど
母の想い出(メモリー)には
残っているだろうか

画像あり
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巻き込み事故と 巻き添え被害に思う(カエルの個人的な思い)

2019年05月11日 23時58分22秒 | Weblog
巻き込み自動車事故と巻き添え被害に思う

滋賀県大津市で
園児が 2人死亡(5/8)
1人は 意識不明の重体
他にも 8人が大けが
(交差点衝突事故の巻き込みによる)

ついこの前は
母子が 単独事故の巻き添えで
尊い命を落とすという悲痛な
池袋暴走事故(4/19)が起きた

3歳の娘とその母親が犠牲に
他にも けが人が多数
(重軽傷者7人)

どちらも
亡くなったというより
命を奪われたと言った方が
事実に即しているような気がする

そして
どちらも 二、三歳の幼児が
犠牲になっている

私の孫も ちょうど3歳児
ついこの前の四月に
転園したばかり
それも いろいろ探して
ようやく見つけた唯一の園

北九州の都市部だ
車やバイク、自転車など
心配のタネは尽きない

大津市の件では
スピードの程度や
右折・左折の仕方
割り込み、割り込ませ方
歩道の段差やガードレール
運転者の特性や AT車の盲点など
いろんなことが 気になる

子供を見たら スピード落とせ
だろう運転から かもしれない運転へ
欲張り運転と甘え運転、
滑り込み運転の危険性も危惧する

国土が狭く
特に平地の少ない日本にあっては
道路事情もそんなに良くはない

道路は増えて車線も増え
路面も改善されて来たが
いかんせん歩道や自転車道が
未整備な所が多く
ガードレールやポールなどの
安全設備の整備も遅れている

とにかく 行政は
道路の延長と整備に追われ
いわゆる交通弱者である
歩行者や自転車などの保護には
手が回らない現実がある
##I####################
私は 車の運転は
ひどく神経と体が疲れるので
極力自転車か徒歩で移動している

それで
歩行者や自転車側の立場が
よく分かる気がする

道路の端や歩道は
凸凹が多く 幅も狭い
途中に電柱や看板
歩道にまで乗り上げた車など
安全に乗れる・歩ける箇所は多くない

その上
交通ルールを守らない人が
やたらと多くて
車だけではなく
自転車や歩行者にも
ヒヤヒヤさせられる

黄色信号での駆け込み侵入
特に右折待ちでの駆け込み直進は怖い!
また 直前の見切り(見越し)通過も恐怖!
(4年前 私は急ブレキーをして真っ青に)
渋滞列の隙間に強引に前進させる
(物惜しみの)ケチな詰め込み運転

遠慮なしに右側を疾走する自転車や
自転車道があるのに歩道を走る自転車
歩道があるのに自転車道を歩く歩行者
夕方や夜に 全身黒っぽい服装の歩行者
信号停車中の車の横をすり抜ける自転車
走行中のスマホ使用の車や自転車
近頃 近くに新しい橋ができて
特にその光景を多く見かける

違反や事故は 一生ゼロであるべきだが
残念ながら ヒューマンエラーは
ある程度はゼロには近づけられても
限りなくゼロにするのは至難の技だ

それだからこそ
出来るだけゼロに近づける努力が
要求されるのだ

甘えと自己中心の「だろう運転」から
自分に厳しく人に優しい
「かもしれない運転」に!
(「だろう〜」は 選択肢が一つ
「かも〜」は 選択肢が複数あるので
事故の回避率は上がると思う)

確かに「かもしれない運転」は
「だろう運転」よりも
神経をすり減らし
心身が疲れるかもしれないが
それほど 1トン以上の鉄の塊
(自動車)を操るのは危険だし
自他への命の責任も伴うのだ

お互いに
私たちの家族や友人・知人を
悲しい目に遭わせないためにも
痛い思いをさせないためにも
苦悩のどん底に落とさせないためにも
漫然とハンドルを握ることなく
イライラしてアクセルを踏み
無闇に警笛を鳴らすことなく
対向車や歩行者を家族や知人と思って
対処すれば 心にも余裕が生まれよう

ps2019.5.8 草稿 5.11 追記
免許を頂いて40年余り
我が運転を振り返れば
冷や汗が出ることもある
相手の運転に救われたこともある
ゴメンと肝を冷やしたこともある

たった数秒から一、二分を
惜しんだが故に 事故を起こし
その後の処理に費やされる時間や
お金や足運び、落ち込む気持ちなどを
考えると 本当に引き合わないと痛感する
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風呂と工事と災害と

2019年05月11日 13時24分49秒 | Weblog
風呂と工事と災害と

壁にシミができ
急遽 工事となった

前から気にはなっていたが
震災後でもあり
小さな工事は
しばらく後回しとなっていた

震災後三年目になり
知り合いの建設会社さんにも
幾分余裕が出て来たので
工事を頼むことにした

初めは
二、三日の工事ですると
見積もってあったが
壁の面を剥いで見ると
予想外に傷んでいて
数日間の工事となった

それで
壁にあったガス管も
安全のために
元栓を止めることになり
四日目の今日
ようやくボイラーを
元の位置に戻してもらい
風呂が沸かせるようになった

昨日までの三日間
風呂場で 水にお湯を入れて
頭や体を洗ったが
お湯が少なく ここ数日間
冷んやりした気候が続き
洗った後は 結構寒かった

そして 三年前の震災を
二人で思い出していた

しばらくは
風呂の残り湯を
大事に少しずつ使い
水道と電気が
使えるようになってからは
電気ポットで
何度もお湯を沸かして
体を拭いた

そうして
ガスまで使えるようになってからは
久しぶりにボイラーのお湯で
お風呂に入れるようになった

その時は 心の底から
ホッとしたのを覚えている

しかし あれから
たった3年くらいで
三、四日の風呂無し生活に
不便を感じている自分に
おやおやと思う

喉元過ぎれば 何とやらだなと
しみじみ思う

ps2019.5.11 草稿
阪神・淡路大震災や東日本大震災、
各地の豪雨災害、雪害など
大きな災害に遭われた人たちの
生活や苦労を思えば
たった数日の不便など
何でもないだろうと思った

震災後の初心に帰れ

そして
普段の生活が
如何に恵まれ 贅沢なことか
改めて知ることとなった
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こどもの日に 末は博士か大臣か

2019年05月05日 23時29分54秒 | Weblog
こどもの日 末は博士か大臣か

今日は 5月5日

こどもの日

この日を迎えると
子供の頃に見上げた鯉のぼりや
美味しかった母手作りの柏餅
それに
タケノコ料理や若葉の香りを
想い出す
菖蒲の葉っぱも懐かしい

そして 五月晴れ

今日は スーパーで
粽(ちまき)や柏餅を
特売で買ってきた

昼過ぎに オヤツとして
柏餅を食べた

ややベタついたが
柏の葉が 懐かしい
##################
「末は博士か大臣か」と
子どもの頃に言われていたが
今はどうだろうか

平成の30年間で言えば
子どもたちの夢(職業)は
野球選手、サッカー選手など(男子)
食べ物屋さんなど(女子)がトップで
「学者、博士」は 男子では
毎年のように 10位内に入り
トップ入りも2回あったとのこと
(第一生命保険調べ)
ただし 残念ながら 大臣の方は
一度もトップテン入りしていないそうだ

五十年以上前に 少年時代の私は
「科学者」か「学者」になる夢を
持っていたが その夢は
残念ながら 果たせなかった
だが 幸運にも 二人の娘が 夢を実現した

二人の娘とも
各大学で それぞれ
博士課程に進み 博士になった

娘の一人は
現在 生物や薬学の科学者として
大学で教鞭をとりながら
論文の発表にも打ち込んでいる

親として 側で見ていて
科学者は 大変そうだ
特に 女性の科学者は
ハンディが半端ないような気がする

いつ心身を壊してもおかしくないと
感じてしまう

実際 娘の一人は
医療系の助教(先生)だったが
体調を崩して 大学を辞し
現在 ある医院に勤めている

今までの日本は
正直 女性の勤労者には
労働条件が厳しいように思う

以前 私が務めていた職場でも
女性は 妊娠や出産前後のことなどで
いろいろ苦労をし 悩んでもいた

アジアの国々は
概して 女性の労働者に対して
厳しく 優しくないように思う
あるいは
あまり配慮していないように思う

一度でもいいから
男性が 女子の立場と入れ替わったら
と 想定してみてください
きっと 1日で音をあげるでしょう

そう言う私も
男ばかり5人の兄弟だったし
母の立場はよく考えないで
結婚して 初めて
女性の立場について
いろいろと考えるようになった

そして 二人の娘を嫁がせて
女性の尊重や 地位向上が
遅遅として進まないもどかしさを
覚えるようになった

一方 大臣の方も
日本は 極端に少ない
世の中は およそ 男女半数ずつで
構成されているのだから
もう少し 女性議員を
増やしてもいいのではないか

私は 職場で
何人かの女性の上司の下で働いたが
別段 困ったことはないし
特別に気を使ったこともない

議員も 博士も 勤労者も
男性か 女性か である前に
各個人が お互いに
一人の人間であることを前提にして向き合い
より生きやすい社会をつくっていけば
いいのではないかと思う

「末は博士か大臣か」
近い将来 女性も男性も 誰もが
そう言える社会が 訪れて欲しいと思う

[2019年 令和元年 5月5日に]
※ 後日 期間限定として削除するかもしれませんので
悪しからず(カエル)
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ステルスキャット(黒猫スミレ)

2019年05月05日 20時22分53秒 | Weblog
ステルスキャット (黒猫スミレ)

うちの猫は
あまり鳴かない

排泄と遊びの呼びかけ以外は
ほとんど鳴かない

それで
うちの猫を探す時は 大変だ

今夜も 名前を言って探すが
なかなか見つからない

縁側のカーテンの裏を探していると
やっとスミレが
横からやって来た

首の鈴の音で
居場所がわかったのだ

「ステルスキャットだ!」と
思わず僕は言った

足音は立てないし
ほとんど鳴かないし
身体の大部分は 黒ときている
そして 突然じゃれて来たりする

私ら夫婦は
視力が低いから
探すのに 毎日難儀する

手足の白いソックスと
胸の白があるので どうにか
探し出す手掛かりにはなるが
夜や暗い部屋の時は
ステルスキャットには
毎度 夫婦で苦労している

黒猫スミレとは
あの熊本地震の直後に出会って
余震の中を育てたから
避難のこともあり
特に居場所には 注意を払っている

部屋の隅には
避難用のスミレハウスを
いつでも逃げ出せるように
準備(スタンバイ)をしている

近所の野良猫でも
通りすがりの人に
ニャアニャアと鳴いているので
うちのニャンコにも
もう少し鳴いてくれればと思う

ps2019.5.5 草稿
でも 地震から3年が過ぎ
今では スミレも
すっかり我が家の一員となった

あまり鳴かなくても
身体がほとんど黒くても
うちの大事な家族だ

これからも 皆が
命全うできますように
と 僕は祈る
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五月には 足投げ出して 黒猫の巻

2019年05月04日 17時32分51秒 | Weblog
五月には 足投げ出して (黒猫の巻)

風薫る五月

令和元年を迎え
新しい風が吹いて来るような

季節の風

五月の風は 心地良く
生きてる実感 湧いて来る

風薫る五月

我が家の黒猫は
猫タワーの天辺(てっぺん)で
窓越しに
五月の空を見ている

庭の草木は 初夏の風に揺れ
枝葉は 薫風に戦ぐ(そよぐ)

頃は初夏

足投げ出して
五月の青空を眺める

またとない至福のひととき

ps 2019.5.4 明日は こどもの日
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山田のフジの花

2019年05月03日 16時41分09秒 | Weblog
山田のフジの花

熊本の県北に
玉名という地域がある
平野は広がり
自然豊かで
長閑な温泉もある

今 NHK TV 「いだてん」で
放送中だが
主人公の一人金栗四三さんは
その玉名の生まれだ

実は 私も
その玉名で生まれ
中学校まで地元で生活し
高校から大学までは
熊本市まで 長く
鉄道やバスで通学をした

当時の学生たちは
実によく歩いていた
車はもちろん自転車も
ほとんど普及していなくて
頼りは 鉄道かバスだった

金栗四三さんの生家や住家は
当時かなりの田舎であったと思われる
私らが訪れた現在の住家辺りは
田んぼが広がり 道も整備されていた

生家辺りは まだ訪ねていないが
今でも狭い道路などもあるようだ

ドラマでは
細くて坂が多い道路だったようだ
それを 毎日 草鞋が何かで
かなりの道のりを
走って登下校していたのだろう

私は その話を聞いて
アフリカの途上国に住む子どもたちを
思い出した
道路事情のよくない地域では
とにかく足だけが頼りだ

何キロも 何十キロも
毎日 ひたすら歩き続けるか
走り続けるしか 通学の術はない

道理で マラソンが速くなるはずだ!
そのドキュメント番組を
随分昔に見て 驚き感心したものだ

金栗四三さんの話は
そのアフリカの子どもたちの頑張りを
彷彿とさせるものだ

金栗四三の次の目標は
1916年開催予定だったベルリン

だが なんということか!
またもや 四三に不運が訪れる

ヨーロッパ?で
世界第一次大戦が勃発し
ベルリンでのオリンピックが中止に!

ではまた
次回の「いだてん」を‥

ps2019.4.29 草稿

私の通学のコース(おおよそ)

(行き)自宅〜最寄りの駅まで
自転車 20分〜25分位
最寄りの駅〜上熊本駅まで
国鉄(現在のJR)列車 約45分位
上熊本駅〜最寄りのバス停まで
バスか徒歩 30〜45分位
バス停〜学校(高校、大学)まで
徒歩の場合 5〜15分位
✳︎高校の時は 路面電車も使用
(帰り)学校〜自宅
*ほぼ行きと同じ
時々熊本駅まで バスか歩きで
✳︎1973年11月29日
大洋デパートの大火では
大学近くの立田山から 煙を見た
帰りのバスの窓?から
焼け跡を見た記憶がある

死者は103人、負傷者は124人だった
その後
学部のアメリカ人教師の呼びかけで
有志を募り 二日間位 街頭募金をした
初めてのボランティア活動を経験した
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タケノコと故郷

2019年05月02日 22時11分15秒 | Weblog
タケノコと故郷

先日
金栗四三さんの住家を
見に行って
その足で
お墓も訪ね お参りした

その広い敷地の周囲に
大きなタケノコがはえていた
そして その側に
小さな程よいタケノコも
ちょこんと生えていた

どこにでもある野原なら
一本ならばと頂くところだが
やはり場所が場所なので
遠慮して 眺めるだけにした

そして ついこの前は
弟と 母親のご先祖さまの城跡で
沢山の鯉のぼりを仰ぎ見て
子どもの頃を思い出した

タケノコを見ると
少年時代のタケノコ掘りと
母親のタケノコ料理を
懐かしく思い出す

初夏の連休の頃
兄弟揃って
線路側のうちの畑に出かけ
周りに生えているタケノコを
捥いで 縄や紐で括って
母や父の待つ我が家に向かう

受け取った母は さっそく
タケノコ料理に取り掛かる

美味しそうな若竹と味噌と香りが
狭くて小さなカマドから
漂ってくる

母は 私ら4人の子どもに
タケノコ料理をよそって
親子6人 テーブルを囲んで
「いただきま〜す!」

タケノコこ節や 硬いところは
僕たち兄弟のオモチャになる

また タケノコの皮は
中に梅干しのシソを入れて
隙間から チューチューと
酸っぱい汁を飲む

タケノコをもぎ取る頃は
我が家の庭にも
鯉のぼりが元気に泳いでいたよ

ps2019.4.25 草稿 5.2 追記
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令和元年と孫たちに

2019年05月01日 21時49分57秒 | Weblog
令和元年と孫たちに (2019年)5月1日

退位の日の前日に
次女ファミリーが
北九州から来訪してきた

一緒に来た孫娘は
平成27年(2015年)の秋に
(奇跡的に)生まれてくれた

個性豊かで 元気一杯の女の子だ

二日間の滞在で
お昼寝をすることなく
朝から夜まで
遊んだり食べたりしていた

お絵かきやタブレットでの遊びを
おじいちゃんと楽しんでいた

退位の日の夜に 帰るまで
じいちゃんと運動をして遊んだ

北九州までの高速道路は
予想通りの渋滞で
2時間半位で着いたそうだ

その夜に 私ら夫婦は
爆睡して寝たのは言うまでもない

「孫は 来て良し 帰って良し」と
昔から言われている

確かに 次女ファミリーの来訪は
台風がやって来て
忽ちに去って行くようだった

とても気を遣っていた黒猫も
今朝は 解放されて
朝から 走り回ったり
熟睡したりしていた

私らも
新しい元号「令和(元年)」を
「令和」元年の新しい朝を
即位の礼の知らせと共に
心静かに迎えることができた

《追記》
今年の八月の夏には
孫娘Fちゃんの下に
妹が生まれる予定だ
我が家では
最初の令和生まれになる

昭和から平成 そして
令和へと 命の絆が
繋がっていくことを
私たちは 心より願っている

そして
みんなが平穏に過ごせて
世界が平和であることを
心より願うものである

Ps 令和元年・ 2019.5.1 草稿
画像は 近所の権現さん
(令和元年5月1日夕方に撮影)
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