good! カエルのぶろぐ

gooの中で カエルのblogが 公開中 詩やメッセージ&画像を掲載。
ご遠慮なくコメントをお寄せください

金栗四三さんの故郷 と 新しい元号に

2019年04月30日 13時56分26秒 | Weblog
金栗四三さんの故郷 と 新しい元号

熊本の県北に
玉名という地域がある
平野は広がり
自然豊かで
長閑な温泉もある

今 NHK TV 「いだてん」で
放送中だが
主人公の一人金栗四三さんは
その玉名の生まれだ

実は 私も
その玉名で生まれ
中学校まで地元で生活し
高校から大学までは
熊本市まで 長く
鉄道やバスで通学をした

金栗四三さんは
明治(24)に生まれ
昭和(58)に92歳で逝去された

明治、大正、昭和を
日本のスポーツ普及のために
人生をかけて取り組まれた

私はというと
本来なら 玉名高校に進学し
そこで走りたかったのだが
経済的なことや
就活上の事情などで
玉名高校に合格しながら
自分なりに考えた末
熊本市の高校で
学ぶことに決めたのだった

だから 運動は
朝夕の通学の他は
目ぼしいことはしなかった
(家と駅の間の自転車通学など)

大学進学後
体力検査で
1500m を走った時は
昔取った杵柄?とやらで
意気込んで走ったものの
数年以上のブランクと
不摂生な生活のせいで
散々なタイムであった

その反省を元に
泳ぐことや歩くこと
時々走ることなどを
心がけるようにした

ある夏は
1週間に3、4回位
熊本城内プールで
自主練習を続けた

職についてからも
いろんな運動を
少しずつ続けた

四十代までは
5キロマラソン(中距離走)や
職場駅伝などにも参加した

ただ 五十代になって
緊急入院をしてから
激しい運動は控えるようになり
その後は 専ら ウオーキングや
自転車乗りなどをしている

金栗四三さんが提唱されていた
頑張りすぎない走り
楽しむ走り 継続する走りなどを
心がけたら 故障もなく
楽しい走りができたかもしれない

明日から 元号が 令和に変わる

金栗四三さんは
明治→大正→昭和 の時代を
精一杯に生き抜かれた

私は 私の歩みで
昭和→平成→令和 の時代を
時にはフラつきながらも
未来を背負う子どもたちや
未来に生きる孫たちのために
精一杯に生きていこうと思う

ps2019.4.24 草稿 4.30 追記
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

胆大心小 と 胆小心大?

2019年04月30日 10時24分13秒 | Weblog
「胆大心小」と 「胆小心大」?

ここ二、三年
職を退いてから
きままに独学をしている

その中に 漢字検定がある

別に検定試験を
受けるわけではないが
準二級を経て
現在 二級に取り組んでいる

平成最後の今日は
四字熟語の問題が5問
穴埋めは 全問正解だったが
意味のよくわからない熟語があった

「胆大心小(たんだいしんしょう)」だ

何と無くは想像できたが
「胆大」と
「心小」の部分のつながりが
いまいちわからなかった

この意味は
『大胆、かつ、細心であること』
『度胸は大きく、注意は細かく』
とのことだ

そうか 真の勇者は
『度量は大きくして、でも
ことに当たっては
細心の注意を払いつつ進める』
ことが 大事だということだな

私は きっと
「胆小心大」の類だな
仕事や作業を行うに
注意は散漫で 気持ちは臆して
人の先頭には 立ちにくい人
リーダーとしては 不適格(^◇^;)

あるいは
「胆小心小」の方かもしれない
気は小さくて 細かいことに拘る人
我ながらいやだねえ!
こんな同僚や上司は(^_^;)

周囲を見回すと
増えてきたねぇ
私のようなタイプが‥

国内や国外の
職場に 会社に 家庭に 議会に‥

やがて 元号は 令和に移行

家庭も職場や会社も 議会も国も
「胆大心小」(大胆かつ細心に) と
いきたいものだが‥

ps2019.4.30
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

令和の「令」と 白川静さん

2019年04月26日 23時56分25秒 | Weblog
令和の「令」と白川静さん

先日
「神さまがくれた漢字たち」(増補新版)
という本を 読み終えた
平成30年5月5日に出版されている

漢字の成り立ちと歴史について
子ども向けに
わかりやすく書かれた本で
丁寧にたくさんのルビが
打ってあって 大人にも
読み応えのある本になっている

監修は
漢字(文化)学者の白川静さん
本文は 元部下の山本史也さん
白川さんは1910年生まれ(2006年没)
山本さんは1950年生まれ

古代中国での漢字成立について
実に細かく綿密に解説してある

内容は高度だが できるだけ
子どもにも理解しやすいように
表現やルビなど工夫してある

およそ3500年前頃に
「古代中国」において
漢字が作られたと推定される

その本に拠れば
「古代の中国」で作られたことが
キーワードとなろう

3500年も昔の社会では
科学らしい学問はないし
人の生死や自然災害について
ほとんどのことがわからなくて
普段は 災害など何事かあったら
ひたすら神様にお祈りしするしか
術はなかったのではないか

だから 口から発する言葉や
具体的に目に見える文字にも
抽象化と共に 祈りの気持ちも
込めていったのではなかろうか

もうすぐ元号が「令和」になる

「神さまがくれた漢字たち」では
偶然にも?
令和の「令」について
触れてある( 166ページ)

そこでは
『「令」は、礼冠(れいかん)をつけて、
神の声に聴き入っているひとの姿を
「象形」した文字にすぎません。
当然に、「象形」の文字のうちに
収められるべきものです。』と
と述べてある。

白川静さんは
「常用字解」(657(680)頁) で
『神の信託として与えられるものを令といい、「神のおつげ、おつげ」の意味となり、
天子など上位の人の「みことのり、いいつけ、いいつける」の意味となる。(中略)
令は神のお告げを受け、神意に従うことから、「よい、りっぱ」の意味となり、
また使役の「しむ」の意味にも用いて、
命と分けて使うようになった。』
と述べていて、
例語として 順に
「令嬢、令息、令室、礼聞・令名」などの後に、
「君令、指令、命令」を挙げておられる

人によっては
「命令の意味合いが強い」と
いうようなことを言っているが
令の漢字の成立からすると
少し意味合いが違っているようにも
私には思える

ps2019.4.26
「神さまの声」を
未来からの声とか
宇宙からの声とか
私たち人類の未来人からの声とか
私たち人類の総意とか考えると
為政者や個人や一部の者たちが
恣意的に 或いは 悪意や我欲で
人々を命令し操ることは
以ての外のこととなろう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鯉のぼりは どこに行った?

2019年04月24日 22時52分25秒 | Weblog
鯉のぼりは どこに行った?

四月も下旬に
故郷の山や
金栗四三さんの住家を訪ねた

母(H27年の夏死去)の先祖が
戦国時代頃に築いたという
城跡があるH嶽は 見上げれば
かわいい小さな山だったが
登るのには 結構シンドイ山だった

私は その山には
確か 初めて登ったと思うが
丁度母の誕生日の頃に
母の先祖の所縁の地を
訪ねたのも何かの縁だろうと思う

その山の頂上に登ると
鯉のぼりが掲げてあった
しかも 三本も!
それぞれの鯉のぼりは
初夏の薫風に煽られて
ハタハタと大空を泳いでいた

そういえば
少し前は
あちこちに鯉のぼりが
元気に泳いでいたのを
覚えているけれど
最近はあまり見かけなくなった

今日 ネットの話題で
そのことに触れてあったので
やはりそうなのかと思った

住宅事情、少子化、
経費と手間暇のこと
個人情報の保護などで
鯉のぼりの掲揚を控える家庭が
増えて来たようだ

私は
男4人(+1)の家庭で育ったので
今の時期は 庭先に
数匹の鯉のぼりが泳いでいて
賑やかだったことを思いだす

また 資産家の大きな幟を
でかいなあと
驚いて見上げたこともある

都心部に住む孫は
やがて5歳の男の子
小さな鯉のぼりを
柱か部屋の隅にでも
飾っているのだろうか

今度 機会があったら
フェイスタイムかメールで
尋ねてみよう

ps2019.4.24 草稿
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

稼ぐことの意味 その1

2019年04月24日 13時45分01秒 | Weblog
稼ぐことの意味

「なつぞら」のなつは
終戦後 子どもだけになり
生活するのさえ難儀した

学校に通うどころではなくて
まず 毎日の生活をどう送るか
日々腐心していた…

食べるもの 飲むもの
雨や暑さ寒さを凌ぐ住まい
おとなの扶養者は皆無で
兄妹だけで生きる術を身につけ
毎日をどうにかして
生き延びなければならない

娯楽なんて考えも及ばない生活

なつは
父さんの親友の剛男おじさんに
連れられて 十勝?までやって来た

そこでは 屋根のある家で
美味しい水が飲め
三度のご飯が頂けるし
義理ながら
家族と同じ屋根の下で
ゆっくり寝ることができる

なつにとって
今までの生活を考えたら
ある意味夢のような暮らしだと
思ったことだろう

だから 泰樹じいちゃんが
自分のような子どもに
酪農の仕事を割り当てても
イヤがらずに進んで働いたのだろう

しかも 泰樹じいちゃんは
労働の対価として
柴田家に遠慮なく住める手立てを
考えてくれたのだから

私は 「なつぞら」で
泰樹じいちゃんの言葉を聞いて
「稼ぐ」ことの意味について考えた

「稼ぐ」
生きるために稼ぐ
食い物のために稼ぐ
着るもののために稼ぐ
雨露を凌ぐために稼ぐ
明日の命のために稼ぐ

どんなことをしても
なり振り構わずに稼ぐ

他者を騙したり
傷つけたりはせずに
我が身を
深く傷つけることもせずに
真っ当に働けたらいいと思う

ps2019.4.24 草稿
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高齢者の自動車運転について

2019年04月22日 00時40分12秒 | Weblog
高齢者の自動車運転

わしゃ 孫から
じいちゃん 爺ちゃん!
と 毎回のように呼ばれる

孫二人を授かり
齢七十歳も目前!

確かに間違いなくジッちゃんだ!

ワシは 運転が下手だ

あっ やはりね
という声が聞こえて来る

歳が年だからね…

それは 半分当たっていて
半分は 違っているんだ

ワシは 若い頃から どうも
巧緻性やら 俊敏性やらが
平均から外れているらしくて
二十代の半ば頃 父が
私に黙って自動車学校に申し込んでいて
私は 仕方なく近くの学校に通い
(とても贅沢な話で 今では
父に感謝!だが)
実技試験(仮免許)は
何度目かで何とか合格した次第で…
(学科試験は 流石に一回でパスした)

手と足と 目と 耳と
全身を総動員して操作するなんて
神様じゃなかと できんばい!と
当時の苦手仲間と愚痴を言ってた

で 下手ながら 四十年間余り
ハンドルを握り続けてきたが
自分が 上手くないのは承知だから
無理をしない 無闇に出かけない
遠方には滅多に出かけない
長時間の運転は避ける
他車とは争わない…など
若い頃から心がけてきた

そして 今では
なるだけ自転車か徒歩、
バスか電車で と決めている

最近 高齢者の事故が
よく取り上げられる

先日も 赤信号なのに
突っ込んで来る高齢者の車に
ヒヤリとしたが
本人も 助手席の女性も
全然自覚していない顔をしていた
本当に怖いと実感した

だから 自分も 高齢者の一人だが
車を見たら 高齢者のドライバーかも?
と 思うようにしている
特に 自分が 運転中や
歩行者や自転車乗りの場合は
交差点や信号機の側などで
「かもしれない」アンテナを張っている

お陰様で 大きな事故もなく
今まで過ごしてきたが
驕ることなく 怠けることなく
これからも 安全運転を心がけ
歩行者はもちろん
他車・バイク・自転車にも
気を配りながら 安心して
暮らしていきたいと思う

Ps 2019.4.22 草稿
今回の池袋の車暴走(87歳男性運転)は
本当に恐ろしくいたましい事故だ
被害者の母子は 私の娘や孫位の歳で
心から悔やまれるし 酷いし 残念だ

「あの歩行者は 私の子どもか孫だ」
「あの歩行者は 伯父や 叔母かも」
「あの運転者は 私の夫や妻かも」
「あの自転車は 息子か娘かも」
「あの乳母車は 姪か甥かも」
「あの歩行者は 兄か妹かも」
などと思うと 自然に
人に優しい運転者になれると思うし
免許証の返納も しやすいと思う

もちろん 運転者を
事故に巻き込ませない
賢い歩行者にもなれると思う
(あの運転者は もしかして
妻や夫かも、子や孫かも…)
ps なお ① 免許証の返納の課題と
② 高齢者の生活と車社会の問題
については
後日取り上げるつもりです
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我が家の春のビオトープ

2019年04月21日 00時05分56秒 | Weblog
ビオトープの春

ビオトープって?

ビオトープのことを知ったのは
何年前だろう
割と最近だ

水槽の大きな容器や
土管のようなものに
水を満たして
中にメダカや金魚などを
入れて 育てる

去年
ある道の駅で
カミさんが
メダカすくいを見かけて
急にやりたいと言いだし
とうとう5匹も上手に掬って
我が家で飼うことになった

そして
カミさんが子供の頃からあった
大きな古い火鉢に水を入れて
結局 私が
毎日の世話をすることになった

直ぐに
二、三種類の水草も入れ
後では 夏頃にヌマエビも加え
我が家の火鉢は
ビオトープに変身した

あれからちょうど1年
ヌマエビは
自然に繁殖したようで
また メダカたちも
何匹かは死んだが
また何匹かは孵化したので
差し引き少し増えたようだ

春になり
水も温み
餌を与え始めると
上の方で
メダカやエビたちが
餌を食べるようになった

メダカの世話は
少しずつ慣れてきたから
今年は 去年よりも
増えてくれたらいいなと思う

我が家の小さなビオトープ

古風で素敵なビオトープ

メダカとエビの仲良しビオトープ


ps2019.4.19 草案 4.21 草稿
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春のサツマイモはいかが?

2019年04月19日 23時38分16秒 | Weblog
春のサツマイモはいかが?

今日
ふかし芋を食べた

まだ幾分肌寒いので
ホカホカのお芋は
甘くて美味しかった

二人で
二切れずつ食べて
残りは またあした

お芋は
初物ではなくて
昨秋のものを
囲ってあったのだろう

水分が減って
甘みが濃縮されていて
春のお芋も 美味いぞ!

ps2019.4.19
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒猫スミレ 3歳の誕生日!

2019年04月18日 23時22分31秒 | Weblog
スミレ 3歳 🎉 誕生日🎂

我が家の黒猫スミレは
2016年4月14日 生まれ

つまり
あの熊本地震・前震の日に
誕生日を迎えた(と決めた)

というのも
地震の頃に生まれ
約十日後に
家族と逸(はぐ)れ
カラスに襲われ
鳴いているところを
かみさんや近所の人たちに
助けられたからだ

近所の人は
既に猫を飼っていたので
うちのカミさんに
そのお鉢が回って来た

ということで
黒猫スミレは めでたく
2016年(平成28年)4月26日
我が家の家族となった

そして 誕生日は
二人で話し合って
前震の日の4月14日と決めた

カミさんは 今まで
犬を二度ほど飼っていたが
猫とは縁がなく 苦手としていたが
余儀ない事情で引き受けることになり
初めは困惑していた

でも
生来の世話好きなカミさんは
この薄汚れた独りぼっちの
灰色猫に 世話のスイッチが入り
終日続く 不定期の余震の中
それこそ命がけのように
スミレを世話して守った

初めは哺乳瓶での授乳

でも哺乳瓶は
乳首を喰い千切るばかりで
挙句に衰弱して来たので
次は カテーテルで
ミルクを流し込むことに

不意に襲うアトランダムな余震で
地は唸り 家屋は揺れる中を
2、3 時間ごとに
ほとんど寝ないで
細い管でミルクを与えた

苦労した甲斐あって
スミレは徐々に回復して
元気になっていった

二人は
スミレの世話に気を奪われていたので
大きな揺れの余震を
いつの間にかやり過ごしていることが
何度かあった

特に 夜間の揺れは
恐怖心も増しがちだが
世話の使命感の方で
精一杯だったから
その恐怖心は軽減された

それから月日は過ぎて
三年目の春 スミレは
無事に3歳の誕生日を迎えた

今日も 元気に
部屋の中を駆け回り
二階の階段を駆け上がり
ご飯をモリモリ食べて
母さんや父さんと遊び
毎日楽しく暮らしている

そして
猫ぎらいだった母さんも
今では
我が家のスミレは 世界一!
と毎日言っては 抱き締めて
チュッチュしてる

ps2019.4.15 草案 4.16 草稿 18 追記
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熊本地震 本震から三年 2019.4.16

2019年04月17日 19時56分18秒 | Weblog
熊本地震 本震から三年 2019.416

日本は 古来から
災害列島であった

田舎だろうと
平地だろうと海岸だろうと
どこも例外ではない

自分だけは例外だと
思わない方がいい

山や川、海の近くはもちろん
都会でもいつ災害が起こるか
誰にもわからない

大雨、地震、日照り、大風、高温
洪水、雨続き、地滑り、陥没‥

電気、ガス、水道、通信、道路、
線路、橋、空港、港‥

怖がり過ぎてはいけないが
煽ってもいけないが
いつ何処で
どんな災害が起きるかを
想定して 防災対策を
皆で練って準備するのは
決して無駄ではないだろう
#########################
あの熊本地震から
三年が過ぎた
私らの生活は
日本中の支援や義援金などで
随分 復興して来た
ありがたいと思う

私ら夫婦の家は
大きく損壊した屋根は
コロニアルで綺麗に葺いて貰い
壁も塗り直して綺麗になった

またその際の費用は
臨時の出費で心配だったが
義援金や自治体の支援で
何割かを負担して貰い
随分助かった
私ら夫婦は心から感謝するばかりだ
本当にありがとうございます
#########################
三年前の熊本地震は
前震と本震の存在に驚き
それから 日本の各地で
大きな地震が起きる度に
前震と本震があるかもと
しばらく見守るようになった

近年でも
長野県松代群発地震や
新潟県中越地震などで
群発地震が起きている

熊本地震では
☆ 3年間の震度別発生回数(熊本地方)
※2016.4.14〜2019.4.13
震度7 2回 / 震度6強 2回
震度六弱 3回 / 震度5強 5回
震度5弱 13回 / 震度4 123回
震度3 421回 (震度1以上 4597回)
も 地震が発生した

しかも 今年になっても
同震源や別の震源で
まだ中小の地震が起きている

生きてる限り
誰もが 何らかの災害に遭うかも
と 心しておくことが肝要だろう

ps 2019.4.16
備えのための予算は
毎年きちんと確保しておく必要がある
災害復興は 社会保障にも
関連することだから
予算の裏付けをしておけば
国民みんなの安心安全を
担保してくれると思う
経済危機のために
大企業や経営者が
無闇矢鱈と内部留保資金を
溜め込んでいるらしいと聞くが
それは「生き金」に成り難いのでは?
それらの資金を
非正規雇用から正規雇用への移行や
従業員等への福利厚生、働き方改革
そして
先程の災害対策に回せば
国民皆が安心して暮らせるし
少子化対策にもなるかと思う
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする