ウイルスと休眠打破(その2)
武漢からの「コロナ船」襲来⁈
(画像は 満開のサクラ 3/31 )
桜の花は
日本各地で咲き出したが
関東は季節外れの積雪
こちら南国九州は
連日の氷雨(冷雨)
今年は花を愛でる余裕はない
中国発の新型コロナウイルスが
この日本でも 猛威を奮い
そして 追い討ちをかけるように
名コメディアン「志村けん」さんの
訃報に接し 私たちは
暗鬱な気持ちに覆われている
東京は 今日(3/31)
感染者が78人発見され
一日の記録を更新した
(亡くなられた方は7人)
自粛要請が長引き
学校や街中などにも行けず
とりわけ若い人や
エネルギーに溢れた人たちは
ストレス発散のやり場もなく
また感染者などの数も他国よりも急増せず
少しぐらいならとか
政府や時自治体は いつまで待たせるのかとか
生活の不安や不満がかなりたまってきた‥
それが 昨日、一昨日の感染者急増で
私たちは幾分怯み 身構え出した
その矢先 3/29 の深夜
志村けんさんの訃報が速報で流れて
私の気持ちは一気に引き締まった感じがする
やはり今回のコロナウイルスは
なめてはいけない
とんでもない暴れん坊だ!と
ドリフターズでは
見習いからメンバーになったとかで
下積みの苦労もしたが
いかりや長助さんの計らいで
見習いから正式メンバーになれて
大活躍したことは誰でもが
知っていることだろう
志村けんさんは 昭和25年生まれ
お父さんは小学校の先生だったが
1962年 教頭の時 自宅前で
交通事故に遭い(けんさんは 当時中学生)
1973 脳内出血による記憶喪失で
徘徊行動などもあり 54歳で逝去されたという
シャイでトークが苦手だったという志村けんさんは シニアになって
天才!志村どうぶつ園に出演して
自然体で味のあるトークをされていて
物静かで動物に対しても 慈愛のある人だなあと思った
「8時だョ!全員集合」を 家族みんなで見ていた頃は
後入りの若手だったから
私は 志村けんさんは 私よりずっと年下だと勘違いしていた
それが「天才!志村どうぶつ園」を
久しぶりに見た時 彼は急に落ち着いた風貌で
一気に歳が近づいてきた感じがした
訃報とWikipedia を読んで
志村さんが一つ上だと 改めて知って
彼の若さを思い なんか兄弟か同士を
突然亡くしたようで 虚しさと寂しさが募る‥
熊本地震後
パンくんの本拠地(阿蘇)まで
駆けつけて応援してくれた志村さん
媚び諂いのないパンくんにも 大変慕われていたらしい(わざわざ東京から熊本まで
駆けつけて頂き心から感謝します)
ps 2020.3.31 草稿
私ら夫婦の行きつけの神社では 3月29日(日)は 訪れる人は 全然いなくて
夫婦二人だけのささやかな花見であった
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休眠打破(その3)については
後日コメントする予定です