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山の幸の「タラの芽」*4/18

2024年04月28日 11時30分00秒 | Weblog

山の幸の「タラの芽」*4/18


(「タラの芽」の料理 4/18  

「ピンポーン!」

カメラ付きインターホンが鳴った

誰だろう?

画面を見ると お向かいの奥さんだ

家内が 返事をして

急いで門扉前に出ると

T さんが 手にお土産を持って

立っておられた

袋の中身は「タラの芽」だ


翌る日(4/18) に

家内はさっそく 

タラの芽に衣をつけて 

油で揚げて 食卓に出してくれた

昨日ディスカウントスーパーで

買っておいたエビも 一緒に

油で揚げて お皿に盛った

天つゆにお湯を注いで

二人で 揚げたてを

美味しくいただいた


季節物の 初モノは

やはり美味しいね!と

二人で今年の初夏の味を

堪能した今夕だった

ps 2024.4.18 草稿

日付もそろそろ代わろうかという頃

4/17 午後11時17分に 豊後水道沖を震源とする 最大震度6弱の地震が 四国や九州、広島などで起きた 熊本でも能登半島でも 時間時期を選ばず地震は起きている

久しぶりの警戒アラームに 熊本の私らは 一瞬凍り付いたが あの時のイヤな感覚や思いも蘇ってきた

また 咄嗟の大きめの揺れに すぐには対応できなくて 何事もない平穏な生活に慣れると 異常事態には 即応しにくいことも思い知った

それで 気持ちが収まった後で 私は あの頃を思い出して緊急バッグなどの準備をして

床についた‥

それにしても 私は今「南海トラフ」付近からの大地震が 私らが予想している以上に

早期に起きるような気がして心配だ

無闇に怖がり過ぎるのもどうかと思うが 万が一に備えておくのも 無駄にはならないだろうと思う

それぞれに この世を去るまで杞憂に終わるのも またそれも有りだと思う

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「クロネコ、あるある?」〜我が家のスミレの場合

2024年04月23日 13時53分00秒 | Weblog

「クロネコ、あるある?」

〜我が家のスミレの場合



(  机の下で寝ているスミレ 4/17

    スミレのオシッコ用トイレ 4/23  )

我が家の「スミレ」は

熊本地震の直後に 我が家で保護することになった

スミレは「ソックス履きの黒猫」だ


我が家での「黒猫あるある?」は

(1)見つけにくい

隅っこや暗い所にいると 黒猫なので 分かりにくくて つい蹴ったり探せなかったりすることがある

この頃は 私の机の下に寝そべっていることが多く 机に座ると 踏みそうになる

また 私らが外出するときに スミレを確認しようとして見つけられず 時間がない時に

困ることがある

それに 地域猫を探す時は 黒い物体や物陰を 猫と見誤ることも多い

(2)黒猫は賢い?

一般に 黒猫は賢い?と言われているようだ

我が家の黒猫は 遊んだりする時に 彼女の賢さが垣間見えることがある

私がオモチャで遊んでいると 最初は オモチャを狙っているが 後では 私の手を見て

飛びつくことがある

おそらく オモチャを動かしている手に

注目している証だと思う

他にも トイレは 大小を使い分けて しかも 用足しの時に鳴いて 私らを呼ぶことが多い しかも ウンチの方は 風呂場に敷いているペーパーの上に出して きれいに丸めているので 後始末がしやすくて助かる

また オシッコの方も スノコ付きのトイレに入ってするので 発泡剤や砂が要らないず

費用も手間暇もほとんどかからないので 本当に助かっている

さらに 夜間にご飯を食べたい時は 私らのそばに来て知らせたり寝入っていると

髪の毛を引っ張ったりして起こす

季節や天候などに応じて 休むところを使い分けていることも賢いなあと思う

(3)黒猫は自立している?

時々自分から顔を近づけることもあるが 私以外の抱っこは避けるし 私でも 抱けるのは数秒位だ 大抵は 一回と2回の寝ぐらで マイペースの生活を送っている

「お座り」の指示に従うことも余りない

(4)敏感でデリケートである

スミレは 人見知りでもある 私ら以外に 人や猫に懐くことは限られている

特に ネコ嫌いの人は 敏感に嗅ぎ取って?逃げていく 以前 保護ネコ「パト」(オス)を 我が家の部屋に住まわせたところ

スミレは 逃げて 私の書斎の隅でずっと潜んでいた その後 パトを保護して庭で飼っているが 窓や網戸越しでは 見合っている

掃除機やドライヤーの音なども嫌う

ps 2024.4.23 草稿

黒猫の都市伝説?は 果たして当たっているか当たっていないか その真偽の程はわかりませんが そう言えばあるある?ねって 誰かと話すのも楽しいですね

下記は ネタ元のネット記事ですが 時間経過のためか 今日はアクセスできませんので 悪しからず😅

黒猫あるある?「また闇と同化してるわ」 脱いだ黒い服はもれなく猫と見間違える(まいどなニュース) - Yahoo!ニュース

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紙と電子の辞書(その2)〜「舟を編む」から

2024年04月22日 01時17分00秒 | Weblog

紙と電子の辞書(その2)〜TVドラマ「舟を編む」から


( 日本語シソーラス、類語新辞典、季節のことば辞典、くまモン!英和和英じてん 4/22 )

今夜(4/21)のTVドラマ「舟を編む」が

完結を迎えた

玄武書房に勤める岸辺みどりは 担当部の女性誌が廃刊になったため ほとんど知らなかった辞書編集部で働くこととなった

みどりたちは 長期間にわたり

数多の言葉に向き合い 言葉と格闘し

言葉に教えられ 言葉に励まされて

辞書づくりへの熱い思いを絶やさず

コロナ禍にも翻弄され でも

だからこそ言葉を扱う「辞書」の

大切な使命に気づいて 

2度も点検と修正に打ち込んで

ついに中型国語辞典「大渡海」を

完成させた

辞書は ただ漫然と言葉を並べ

無難に説明しているのではない

生活のいろんな場面で 生きている言葉を見つけ拾い上げ 誰が読んでも納得するような説明を 限られた字数の中で編んでゆく

そして 後世の人たちが 先人の暮らしや思いを知りこれからも襲来するだろう災厄にも

希望を失わず 果敢に立ち向かうために

言葉という生き抜くアイテムを受け取るために 言葉の舟は 多くの人たちの手で編まれるのだ

&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&

辞書づくりの過程で 専用用紙のこともとりあげられたが その中で「用紙と電子」の軋轢が浮上してきた

近年「電子本」などという新たな書籍が 出回り始め 現在 急速に浸透してきている

玄武書房の経営陣は コストがかかる紙の製本から電子版への移行を検討しだした

この頃は ネット界で ペーパーレスの記事が多く目につく スマホやパソコンなどで

いつでもどこでも 沢山の書籍を読めて しかも コピーやペーストも手軽にできて とても便利だ また 私は スマホやタブレットで電子辞書を活用している

[辞書by物書堂〜国語、英語、歳時記、古語の各辞典とシソーラス(類語辞典)]

ブログの文章書きや 俳句や短歌をつくるときの確認などで愛用している

だけど 紙製の辞書を改めて手にすると 紙本の良さが しみじみと伝わってくる

その辞書を買ったときの思いや感動 調べるときにめくったときの気持ち、どの言葉が どの辺りにあるか 選び抜かれた図版や写真の数々、また用紙の皺やシミも愛おしい

本棚に並んだ辞書や本を眺めると 一冊一冊の本の存在を確かめ 今までの読書歴や辞書歴を想う 本の大きさ、表紙の色、本の厚み、紙やインクの匂いを 五感で覚える

読了した本、もう少しの本、まだほとんど読んでいない本など、表題の個性とインパクトなどなど 本棚の凸凹の書籍の連なりは見飽きないし 取り分け 文章に朱線を引き 感想を入れた書籍は 私の読書歴を物語ってくれる‥

ps 2024.4.11 草稿

紙製辞典は 関連語の字引や偶然目にするついで読みなどもあり 言葉の世界が広がりやすい面もある これからの時代は 電子文字が主流となり しかし 紙による本も それなりに愛され活用され しぶとく生き延びていくのではなかろうか?

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熊本地震とコロナ禍とネコと(その1)*4/16

2024年04月17日 09時28分00秒 | Weblog

熊本地震とコロナとネコと(その1) 4/16


( 椅子の上のスミレ 4/15  )

4月16日(2016年当日土曜)は

熊本地震*本震の日

4/14 前震は 午後9時26分で

4/16 の本震は 午前1時25分で

熊本県央(益城町)を中心に

九州の中央付近で広く揺れて

人的被害や物的被害が多く齎された

私らとしては 激震なんて予想だになく 全くの不意打ちであり 寝耳に水の最悪な天災であった

私らは 震災の前に

何度か台風の被害を被り 洪水や大風による被害は想定してきたが 大地震への備えは 少なくとも私らの生きている内にはよもや起こらないだろうと

夫婦でたかを括っていた感がある

その二つの地震に慌てふためいていた頃 同じく大変な目に遭い生き死にの瀬戸際にいたのが赤ちゃん猫だった

推定生後2週間前後の黒猫スミレは 

被災か何かの事情で 母猫とはぐれ

私らの旧宅の隣家で 鳴いていて

上からは カラスが狙っていた

それを目撃した家内たちは

これはいけないと思い 取り敢えず

赤ちゃん猫を取り上げ守ったのだ

その後 家内が引き取ることになりそうで 彼女は急ぎ私にメールをした そして 行きがかり上 私らが

その子猫を引き取る他はないだろうと

まだ余震が続く中で 私らは

そう腹を決めたのだ

私は 当時64歳 再再雇用で 

最後の職場になるだろう施設で 

週四日 半日の契約で 働いていた

新しい職場で上司と面談をして 

さあ今から働こうかという直後に 

突然ここも震度6強の強震に 一日を跨いで二度も起きてしまったのだ

ただ 思いの外早くに職場が復帰して

仕事が再開したし 子猫のスミレの世話も 家内のJ と2、3時間置きにおこなっていたから 心配したり憂えたりする暇はあまりなかった それでも

被害にあった家財の整理や処分、

絶え間なく続く余震と それによる破損した屋根瓦の落下と処分 そして 家屋の補修の手配と いろんなことが目の前にたくさんあり 私らは 時間があると ため息やら心配やらが 

どうしても湧き出してきた

(近くに家族やら親戚やらがいれば 

心配や悩みなどが話せて 気持ちも

随分楽になったかもしれないが)

ps 2024.4.16 熊本地震*本震の日に

本震から8年‥ 振り返れば長いけれど

当時のことを思い出せば 今でも

記憶にはまざまざと残っている

特に 被災直後から2、年は 家屋の

復旧などがなかなか進まず焦りが出た

また その修復に予定外の資金を使ったので 老後の資金が目減りして 現在カツカツの年金暮らしを送っている

ps 2  今年 元日早々に被災された能登半島周辺の方々は 時や場所を選ばない強い地震にさぞや驚き、落胆され、辛くしんどい思いを抱いておられることでしょう 心よりお見舞い申し上げます

復旧復興の途上では どうしても気持ちは落ち込みがちになりますが それでも 歯を食いしばって生きてれば また人さまと何とか繋がっていれば 絶望や窮地から どうにか逃れられ、脱せられ その先に光や希望が うっすらとでも見えてくると思います

今できること、今日できることを 仕事なり、家事なり、日記や記録なりに 日々積み上げていって そのささやかや充実感や手応えを味わい また明日の営みや生業に活かしていければ、明日の生きるエネルギーとなればいいなと 私は思います

過去や未来のことはしばらく隅に置いといて 只今の、今日のことに専念するのです たったこの一歩でも 振り返れば 一日だけでも 5,000 歩や10,000 歩も刻んでいるのです 生きている実感、生かされている思いを大事にしながら 地面を見て 空も眺めて 自分たちの歩みを刻んでいきましょう(蛙 🐸)

特集1 平成28年熊本地震‐内閣府防災情報のページ : 防災情報のページ - 内閣府

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「ふてほど」と コンプライアンスからの生きにくい?社会に(1)

2024年04月14日 11時05分00秒 | Weblog

「ふてほど」とコンプライアンス(法令遵守)からの生きにくい社会?(1)


( 我が家の夕餉 4/10  )

私の子どもの頃は「老人天国」だった

戸主・世帯主だった祖父は 家の中で  一家を支え取り仕切ってもいた

責任はあるけれど それにも余りあって 権利や言い分はハンパなかったように思う

私の祖父や父親たちは どんでもない言動をとることが多かったことを 今でも記憶している だけど 当時のその人たちにとっては その言動の拠って立つものが 何ら疑いようもなく常識だったのだ

それから

100年、50年と経ていくうちに

それらの不適正さが

世論やマスコミ、教育現場などで

いろんな場面で繰り返し指摘され

それらの不適切な社会通念を

改善するよう訴えられたりして

それらの主張が 男社会にも

少しずつ受け入れられてきた

不利益な立場が見直されず

不条理な欲求を拒めないで

歯噛みをしてきた人たちからすると

その改善や改良の歩みは遅々として

イライラとした焦燥感が募るばかりだと思うが 時間はかかったけれど

振り返れば ようやく現在の改善された段階には至った

いろんな格差や差別の解消に

早くから取り組んでいるアメリカでは

その改革のスピードが余りに早いので 今まで安泰な立場にあった人達からは 悲鳴に似た声が聞こえている

男女間格差問題、人種間の差別問題

急増する移民(不法者を含む)の問題

拡大する経済格差問題、性的少数者をめぐる問題など各種の格差を解消する試みの先進国アメリカでは 行き過ぎた(と、従来利益を得ていた人たちがそう考える)政策を 今一度見直して

両者の立場と利益を勘案して欲しいと 訴える声も聞こえてくる

いわば「過ぎたるは及ばざるが如し」という主張だ

ただ 不利益を被ってきた側からすると その改革のスピードは遅い位だと感じ その内容もまだ不十分だと思っているかもしれず 両者の隔たりは なかなか埋まらないかもしれない

今の常識は

いつも正しい合理的な常識であるとは 必ずしも言えないのではないか

だから 以前の常識の多くが 今は否定されているように 現在構築されつつある常識も 50年先、100年先も

適切な常識であり続けるかどうかも

確約はできないだろう

ただ 言えることは今、現在の社会で

辛く悲しい思いをしている人たちが

背負わされた荷物を減らし 負担感を無くしていく営みは やめてはいけないだろう

《と ここまで書いていて うちのカミさんが「そろそろトイレから出て欲しいんだけど」と 悲鳴に似た声を出したので カミさんを辛い目に合わせていることに気づいた私は 慌ててトイレから出たのだった》

ps 2024.3.29〜4.14 草稿 

熊本地震(前震)の日に(あれから8年目)現在の「常識」は たとえ最新であっても 未来においては 更にアップデートされて「非常識」だと認識されるかもしれない?

ps 2 

宮藤官九郎さん演出?の「不適切にも程がある」は ドラマなので やや大袈裟にドラマチックに「不適切なこと」を取り上げているが 昭和の当時の実態は そう違わなかったのではないか?また 現在放送中の朝ドラ「虎に翼」も やや誇張気味だとは思うが これも 現実はそう変わりなく あるいはもっと酷い言われようをされた人も 数多いかもしれない

私の妻は そのドラマを見ながら「そうだ!そうだ!」と言いながら 怒りも込めて?画面を食い入るように?観ている そして 妻は 夕飯時に実家(私の)でのイヤだったことや辛かったことを 目の前の私がさも親の仇であるかのように 激しく主張、吐露?追求?するのです😅

でも、でもね、私にも 私ら男にも 

ちょっと述べたいことがあるのですが‥😥このことについては 後日にでも述べるとしましょう(反論ではなくて 感想や意見の類ですが‥😅)

「ふてほど」最終回 恒例“注釈テロップ芸”締め反響「2024年当時…」ネット感嘆「一本取られたw」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

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紙と電子の辞書(1)*TVドラマ「舟を編む」から

2024年04月11日 12時01分00秒 | Weblog

紙と電子の辞書(その1)〜TVドラマ「舟を編む」から


 愛用の電子手帳と愛読の図鑑 4/8  )

新しく玄武書房の辞書編集部に

異動してきた岸辺みどり

女性雑誌が廃刊となったため

その編集部が廃部となり

ほとんど知らなかった辞書編集部に

やむなく転属し 

新しい職場で働くこととなった


上司の馬締(まじめ)光也たちは 

みんな生真面目そうだが 何だか

社員としては結構癖があり

最初はとっつきにくそうだった

辞書編集部は

新しい辞書『大渡海』を

編むために 日々根気強く

地道に取り組んでいた

少人数の辞書編集部は

途中編入のみどりを 一日も早く

実践部隊の仲間とするべく

優しく接して 仕事の手順を

段階的に指導していった


新人のみどりは

仕事内容や雰囲気が

全く違う職場に戸惑いながらも 

次第に溶け込んでゆき

同僚たちの 静かな しかし

内に秘めた辞書づくりへの熱い思いに

次第に惹(ひ)かれゆき いつしか

自分もその世界に馴染んでゆく

(そして 街の微風にあたりながら

私も 辞書づくりから逃れられないと

悟ってしまう岸辺みどりだった)


それから

自他共に辞書編纂の仲間と認識した

岸辺みどりは データの作成・点検、

辞書用紙の検討・決定に邁進する


その展開の中で

「用紙と電子」の軋轢が取り上げられる

つい最近までは

辞書や本は 紙に限ると思われ

その地位は揺るぎないと思っていた

しかし 近年

「電子本」などという新たな書籍が

出回り始め 現在

急速に浸透してきているが

実は 私も 数年前から

その電子辞書とやらを

使い始めている

ps 2024.4.11 草稿

紙の書籍と 電子書籍の違いや

それぞれのメリットと

デメリットについては

次回の(2) で述べる予定です

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今日は「花まつり」の日*野ガエルの呟き(4/8)

2024年04月08日 23時16分00秒 | Weblog

今日は「花まつり」の日 *野ガエルの呟き(4/8)



(   堤防や堰そばに咲くタンポポ、桜4/6  )

今日は「花まつり」の日


あいにくの雨だが

花粉症や黄砂のことを考えれば

それも良しとするか

寛容、中庸の勧めは

お釈迦さんの教えの一つ

科学技術が進み 情報も飛躍的に進歩している今にあって なぜか人々の行いは 旧態依然として と言うよりも 技術が進んだ分 社会の歪みや格差は巨大化、悪質化してきた感があり どうにもこうにも始末におえなくなって来たようなそんな印象を受ける


仏陀の頃からは 物資の豊かさも生活も格段に便利になった今 社会生活の利便さや行動の自由さは格段に進んだ国が多いと思うけれど それでも

世界の平和や我らの安心安全な生活は

まだみんなには約束されていない


台湾では 台湾東部地震後 仏教系ボランティア団体が 被災者に寄り添った迅速な活動をおこなっているそうだ

古代から中世などの当時の宗教団体は

活動を認め支援して貰うために 時の政権に歩み寄り かつ 結びつきを深めることが多かったようだ

しかし 時には権威をも恐れぬ面もある宗教は その時の政権のやり方と合わず大きな争いが引き起こされることも多々あった(国の内外を問わず)


多くの宗教は 基本的に

国民や民族の安寧と平和を願い

傷ついた魂を救済するという

大きな使命があるはずだ

けれども 宗教団体によっては 

その崇高な使命から逸脱し

己が団体の利益と延命にのみ

注力してしまう団体も

見受けられるように私は思う

社会が急速に変貌し

いろんな軋轢と課題が

生まれている今こそ まずは 

宗教の原点と使命の水平線に

指導者や推進者は降り立って

世界の平穏と 国々の安寧と

人々の魂の救済に取り組んで欲しいと

私は 心からそう願う

ps 2024(令和6年).4.8 花まつりの日に

私はかつて「生きることや命」について あれこれ調べ 自分なりに考えを極めようと 沈思黙考し努力した時期がある

その時 心理学や哲学 社会学 文学 そして 科学の本などもたくさん読んで学んだ それに 宗教に関する本も幾冊も手にして その中で購入して読んだものも多い そして 私の場合は 最も心に響いたのが「仏教」である 

奈良や京都の都(みやこ)には 有名な神社仏閣が 数知れずある 当時の人たちの悩みや辛さ、願いや念いが 後世の私たちにも伝わって来るように思う

ps 2 以下は「花祭り」に関するネット記事です 参考になれば幸いです

灌仏会(かんぶつえ)・花祭りとは?由来・食べ物・楽しみ方 [暮らしの歳時記] All About

花祭り(灌仏会)はどんなお祭り? 由来や意味、作法について

「花祭り」とはお釈迦様の誕生日を祝う行事|歴史や語源、行事の内容、甘茶を解説

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生きるものたちの「化学反応」〜相性について

2024年04月07日 12時43分00秒 | Weblog

生きるものたちの「化学反応」〜相性について


(  椅子の上で寝ているスミレ  3/24  

今 我が家では

3匹の猫を飼っている

みんなそれぞれに保護した猫たちだ

最初の猫は メス猫で「スミレ」といい 熊本地震直後に 前の家の側で保護した黒猫だ(手足に?それぞれかわいいソックスを履いている)

次の猫は

メス猫で「ナナ」といい ボス猫のマルに後ろ足を酷く噛まれたので 動物病院で処置をして貰い 行きがかり上 そのまま我が家の庭で飼うことにした(大きな三段のハウスだ)

3匹目は

オス猫の「パト」だ

彼は 二、三年前から 近所の公園などでA さんと私らから世話を受けていたが ある時 体調を崩して民家の軒下で衰弱しているのを Aさんと私らに救助されて S動物病院に入院することに‥ そして 健康回復後(一月半ば)我が家で パトを引き取りそのまま世話をすることになった

ところが 庭で 2頭が生活を始めて直ぐに相性が良くないからか

互いに相手を牽制する姿が見られ

様子見の私らは 心配した

それから 3ヶ月を過ぎた今でも

2匹の関係は改善するどころか

パトが終日ナナを見張り 来たら直ぐに追い払うなど 見たところでは悪化しているように思う‥😥

私らがそれぞれに言い聞かせても

何しろ相手は猫なので聞いてはくれない‥😅

特に 小柄のナナの方は 半年近く庭のゲージで安全に暮らして来ただけに

再度以前のような環境で仕方なく暮らすことになり まだ近辺を彷徨っている感じだ(それで 私らは 毎日3、4度ほどナナに会い世話をしている)

私らは パトの牽制を制止したり

ナナが庭に入るように誘導したり

すみか(ゲージ)の配置を変えるなど

いろんな対策を考えてきたが

これといった決定策は見つからない

何とかならないものかと

日々頭を悩ませている私らである

ps 2024.4.7 草稿

やがて 凌ぎやすい初夏から 猫にとっても生活しにくい梅雨と真夏がやって来るので その前に最善の解決策が見つかればと願ってはいるが‥😓

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桜散る4月と、これからの花の洪水に

2024年04月06日 08時38分00秒 | Weblog

桜散る4月と、これからの花の洪水




( 白川堤防そばの八重桜 4/5 )

昨日(4/3) の悪天候が

まるでなかったかのような

今日の穏やかな天気(4/4)

空は明るく 

ちょっとだけ晴れ間も見える

公園の地面には

ピンクの桜の花びらが

一面に散って あちこちには

濃いピンクの吹き溜まりが

緑の芝生の合間にできている


私は ベンチに座って

マイボトルのコーヒーを

飲みながら

六角さんの「ふんわり」を

のんびりと聞く(NHKラジオ)

昨日とは打って変わって

微風の中で 

舞い散る花びらの下

しばし休息の時を過ごす


桜咲く三月

桜散る四月

それぞれに

趣が深く

愛おしさも覚える


翌る日の4月5日

堤防そばの小さな公園で

桜を眺めると

満開をとうに過ぎてはいるが

花びらは まだまだ一杯で

夕空に向けて咲き誇っている

そして そのそばでは

次の主役の八重桜が咲き出して 

数多の濃いピンクの花が

満開に向かって一気に花開く

花散る四月ではあるけれど

堤防道では

この春入学した大学生が

飲み物や弁当などを手にして

公園や学舎に向かっていて

彼らにも幸あれと心で願う

ps 2024.4.6 草稿

学校を卒業してやがて五十年

職を辞して七年

年度末と年度初めの荒波に

揉まれることから随分遠ざかったが 

それでも 周りの景色や出会う人たちを観察すれば 季節や人事の息遣いは

私らにも伝わって来る

桜の花は散っても これからが春の花たちの出番!

花や生き物たちは 初夏に向けて 

花や葉っぱの洪水を受け 私らもまた 今年は今年の花の洪水をしっかりと受け止めるのだ

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可愛い椅子ジャック?

2024年04月02日 11時46分00秒 | Weblog

可愛い椅子ジャック⁈ 


( 書斎の後ろの方の椅子の上で

  寝ているスミレ 3/24  )

今 春本番

室温ほどよく

辺りは仄暗い(ほのぐらい)

屋内は静かで

屋外からの騒音も

そんなには聞こえてこない


しかも

休むところや寝るところは

我が家のあちこちにこさえてある


寝ることや食べること、

そして時々遊ぶことを

これなく愛する猫族にとって

こんなに快適な環境はないだろう


ということで

私スミレは

今日も 

父さんの机の下や椅子の上でも

寛いだり寝たりするんだよ


昼間や夜間に

父さんは 一人学びをしたり

本や新聞を読んだりするけれど

私が先に占領していると

仕方なく別の部屋や椅子で

時間を過ごしているんだ


そして 父さんは

「スミレに椅子ジャックされた!」

と 母さんに泣きついているんだ


私スミレは 夜に時々

机の上にも登って

父さんのお勉強などを

邪魔してやるんだ


でも 私に優しい母さんは

「娘だから仕方がないでしょう」と 

父さんをなだめる


父さんは

やれやれという風で

膝の上で新聞を読んだりしてる

ps 4/2の今日も スミレは

机の下で熟睡している

私は 踏まないようにして

机で用をして 散歩に出かけた

「ハイジャック」ならぬ「チェアジャック」「デスクジャック」と呼べばいいのかな?

また スミレは 寒い時に

私や家内の膝や腰などの上に

乗ってくる さながら

「ボディジャック」とでも言えばよいのかな?

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