日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

北青山キラー通り ワタリウム美術館 「寺山修司_展」

2013年10月25日 | 日記
 「日々街中遊歩」のタイトルどおり、久しぶりに出かけた青山あたりの散歩記を記そう。

 24日お昼、小田急線経由地下鉄表参道駅からキラー通りのワタリウム美術館を目指す。地上に出ると小雨で、傘を忘れてしまったことに気づく。参道のケヤキ並木は色づくには少し早く、しっとりと緑色の葉を濡らせてひかっている。この通りの並木は、大正時代の明治神宮造成にあわせて植えられたのが始まりだそうだけど、これほど豊かな景観を作り出してくれるとは!緑陰の両側には、有名建築家によるブランド店舗が軒を連ねていて、この光景は「丸の内仲通」と並んで東京で最も美しい都会らしさが演出された空間だ。
 そういえば、村上春樹の最新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の後半、主人公がフィンランド行の前に、ここ青山で絵本などの買い物をした後、参道に面した喫茶店から偶然恋人の紗羅が中年の男性と手を繋いで歩いていく姿を見かけてショックを受けるシーンがあったっけ。このあたりの絵本屋となると「クレヨンハウス」がモデルと想像されるのだけれど、「表参道に面したカフェ」P239 とはいったいどこか?以前は近くにバームクーヘンで有名なユーハイム原宿店があって、神戸発祥のお菓子屋さんだけに村上春樹つながりと思われるのだが、いまはもうないはず。ほかのムラカミ好み店舗をあげるとしたら、中庭に西洋花ミズキが植えられていて、外壁に白と青のタイルが張られた瀟洒な建物のヨックモック本店が候補なのだけれど、こちらは南青山の所在であるから表参道沿いの条件に合わない。ならばもしかして、地元の老舗「オリーブ」だろうか?などと、小説のモチーフ探しを楽しんでみる。

 小雨のなか、善光寺裏の通りを原宿方向に向かってすこし歩き、右手に入るとローソンの看板が目に入ったので、入り口近くに置かれた二種類のうち、880円の傘を選んで購入する。黒のナイロン製で持ち手は合成皮革、なかなかのコストパフォーマンスに満足して、昼食はすぐ近くの「仙波」で蕎麦とかき揚の定食900円也にする。ここは青山あたりでは安くて気軽なんで、その先のキラー通りにぶつかる通りの途中にあるとんかつ「まい泉」と並んで気に入ってるお店。「まい泉」は以前は「井泉」という屋号で営業していて、大学生のころ友人から教えてもらって以来のお店なんだ。本店はここ神宮前の住所なんだけれど、ちょっとユニークなのはなんと隣接した元銭湯場をリノベーションして店舗スペースとしていること。通りから注意してみるとビルの合間から堂々たる破風造りの大屋根が望まれる。一度その天井高のスペースで食べてみたいと思っているのだけれども、未だに果たせていない。こんどの家族ランチの機会にでもとっておこうか。
 もともとは商店と住宅が混在していた「まい泉」の通りも随分と新しいお店が増えてきている。飲食のお店が多いかな、写真スタジオやブライダルサロンもある。時代の空気がここにも押し寄せているけれど246号線から一本裏に入った通りのせいか、まだ適度な移り変わりようであって、大きな資本の流入はないようだ。

 ここをぬけて約300メートルくらいか、外苑通り通称キラー通りにぶつかるとワタリウム美術館はもうすぐ。スイスの建築家マリオ・ポッタの設計、1990年竣工、個人住宅を内包したギャラリー兼店舗。オーナーの名前を冠して「和多利主義」とはスゴイ。この日の目的は、ギャラリースペースでひらかれている『寺山修司_展「ノック」』を見ること。「ノック」とは寺山率いる前衛劇団「天井桟敷」が1975年4月に決行した阿佐ヶ谷地域を舞台にした“伝説”の野外移動劇のこと。当然のこと再演されることはないので、そこが伝説の舞台と言われてイメージだけが肥大していくゆえんだろう。わたしは幸運にも寺山かぶれの友人の影響で、かろうじて別の生舞台とすれ違っている。渋谷ジァンジァン「観客席」の舞台で、そのイメージはいまも強烈だ。寺山修司がなくなって30年になるなんて!


 
 今回の展示の内容と感想は別に機会に譲るとして、街中遊歩の次はその向いにある極小住宅のはしり「塔の家」。東孝光設計で1966年竣工だから東京オリンピックのニ年後で大きく都心の風景が変わったころだ。できた当時はおそらくまだ二階建てが並び、さぞかし目立ったにちがいない。47年がたって、ビルの合間にうもれても変わらぬ強烈な個性を放っており、よく手入れされたやや粗めのコンクリート打ち放し壁面にも歴史がにじんでいる。街路樹の緑が塔の2、3、4階の窓から望める位置にあり、さながら四季の移り変わりを感じさせて貴重な目の保養となっていることだろう。敷地面積はわずか20平方メートルというから、まさに都市の只中に暮らす意志を体現した住宅の金字塔と言われるのもうなずけるなあ。内部空間は、吹き抜けをうまく利用して、家族が暮らす生活空間を作り出してきているという。この搭体に対峙しているだけで自然と想像力が巡りだすのは対照的な造形だが、町田市大蔵町にある「トラス・ウオール・ハウス」(1993年)のかたつむりのような流体的造形と双璧だと思う。


  「トラス・ウオール・ハウス」(キャサリン・フィンドレイ+牛田英作、1993年)※外壁のツタは残念ながらいまはない。

 さて、散歩の締めくくりは、表参道のケヤキ並木を原宿駅方面に歩いてのドトールコーヒー原宿店。何の変哲もない独立した2階建て店舗だが、ここは数あるドトール店舗のなかでも特別なオリジン的存在、つまり第1号店の遺伝子を継ぐ店舗なんだ。わたしは建て替え前の店舗で飲食した体験があり、コーヒー150円の安さとジャーマンドッグのうまさにうなった覚えがある。そのうちにみるみる成長を遂げて、コーヒーショップ最大チェーンとなったのも当然かと感じた。最も驚かされたのが、銀座四丁目の和光本館と並ぶランドマークであるあの円筒形カラス張り「三愛ドリームセンタービル」(日建設計)が、ドトールショップに変わってしまったときで、これはまさしくコーヒーショップの金字塔だと恐れ入ったのだった。
 そんなことを思い出しながら、原宿の雑踏を抜けて夕暮れまでしばしの珈琲タイムが流れる。読みふけったのは、「建築家と小説家 近代文学の住まい」(若山繁/彰国社)、明治・大正から昭和までの建築史を文学作品に重ねて読み解いた異色の本だ。





「東京家族」の肖像 都会と瀬戸内の風景

2013年10月25日 | 日記
 少し前になるが、10月4日に町田市民ホールで「東京家族」(山田洋次監督作品)の上映会があり、いい機会だと思って見に出かけた。山田洋次監督が小津安二郎へのオマージュとして「東京物語」(1953年)をモチーフにした<いまの家族>の物語、とのふれこみに期待してのことだけど、もうひとつ注目していたことがある。この新作の長男の東京家族の舞台が、田園都市線町田市「つくし野三丁目」となっていて、実際のロケもそこで行われたのだそう。中央林間から四つ目、町田からだとJR横浜線長津田から乗り換えて一つ目の駅、典型的な東京郊外の新興高級住宅地である。著名なオペラ歌手や作家で翻訳家の常盤新平、美術家の飯田善国が住んでいたことでイメージされる文化的香りが漂う街。ここで医院を構えているのであれば、かなり恵まれて成功した人といっていい。終戦から10年も経っていない小津「東京物語」から60年を経て、現代「東京家族」のそんな設定をどのように考えたらよいか、とにかく見てみたいという思いがした。

 新幹線で上京してきた平山周吉夫妻(橋爪功と吉行和子)は品川駅で三男昌次(妻夫木聡)を迎えを待っている。冒頭からいきなり、現代を印象づけるシーンだ。両者はすれ違ってしまい、結局夫妻はタクシーでつくし野の長男宅につく。長男幸一(西村雅彦)は開業医で忙しそうだが、まあ同世代サラリーマンからすれば、地位もあり収入も多く時間の融通も利くだろうと思ってしまう。週末、東京案内の予定が急患が入ってしまい、夫妻は次女の発案で横浜の高級ホテルに宿泊することになる。そこがみなとみらいの「ヨコハマ・インターコンチネンタルホテル」で、窓から大観覧車のネオンが臨める部屋が映される。夫妻は時間を持て余し、臨海公園べりを散歩しながら、子供たちとの生活ペースの違い、微妙な距離を感じ始める。いったん小田急線沿いの次女宅に身を寄せるが、その次女(中嶋朋子)に困惑されてしまい、仕方なく周吉は板橋の友人、妻は三男のアパートを尋ねることにして別れる。そのふたりのつぶやきの場所が、池袋西武百貨店屋上であって、かつてわたし自身がよく仕事で関係していたところだけにへえ、東武じゃないのかと思ってしまう。それまでなんでもなかった場所が、瀬戸内海の島から上京してきた両親がわびしさをかこつ象徴的な場として脳裏に刻印された瞬間だ。ただこの二人は「東京物語」の笠智衆、東山千栄子の枯れた味わいのお二人に比べると、いかにも現代的といった印象がする。
 妻とみこ(吉行)が、三男のアパートを訪れていると突然恋人がやってきて鉢合わせしてしまう。恋人役の蒼井優がういういしく純でありながらしっかり者でいい。周吉と折り合いが悪く自由気ままな三男坊を心配していたとみこも、この二人ならうまくやっていけそうと喜んで帰宅するのだが・・・。
 とみこは帰宅後に倒れて病院でそのままあっけなく亡くなってしまう。三兄弟は相談の結果、故郷の瀬戸内の島へ久方ぶりにそろって帰省し、母親の葬儀をあげる。ひと息つく暇もなく、上の二人は東京の生活に追われるように島を後にしてしまい、三男と恋人紀子だけが残るはめになってしまい、紀子はなにかと気をつかうのだが、無口で武骨な周吉との関係に悩む二人。明日帰るというその時にはじめて周吉が紀子を呼び止めて向かい合う。「ずっとここにきてから見ていたが、あなたは本当にいいひとじゃ、昌次をよろしく」と頭を下げることで、ようやくふたりの間に流れる空気がおだやかなものとなっていく。この映画のハイライトシーンかもしれない。ひとりとなった周吉の生活を気遣う隣人とその中学生らしき娘、慌ただしい都会と対比されるように瀬戸内のおだやかで美しい風景シーンに静かな安堵感が流れ、慈しむような未来を暗示して映画は終わる。

 映画途中のシーン、上京して亡くなった友人の自宅を訪ね、そのあと同級生と居酒屋で互いの境遇を語り合いながら、周吉が「どこかで(すすむ)道をまちがえたんじゃ」「あきらめにゃいけん」とつぶやくその意味は、単に家族や自分の人生に向けてだけではなく、戦後の日本社会に向けた感慨でもあろうか。そこには地方から都会へ、懸命に生きながらも時代の流れに翻弄される家族の姿がくっきりと映されているのではなかろうか? ただ、それにしては1950代の「東京物語」と比べると周吉の子供たちの境遇はそこそこ恵まれていて、ぜいたくな悩みのような気もする。いっそのこと、将来幸一が瀬戸内の故郷の島に戻って地域医療に貢献するとしたら、あまりにも理想的で予定調和的だろうか?まあ、息子が小学生でもあり、嫁さんは大反対だろうし、あざみ野の地を離れるのはしばらくは考えられないのが現実だろうと、同様に故郷を離れてしまったひとりとして実感する。

 さて、幸せってなんだろう、とあらためて思う。月並みだけど、離れていても家族心通わせて地域にとけこみながら暮らすことだろうか。そうすれば、そこが第二の故郷になるだろう。欲望に惑わされない、かといって内向きすぎない身の丈の暮らしがいい。3.11以降、エネルギー問題がクローズアップされて以来、そのような当たり前の価値観がこれからの社会にもとめられている。適度に“不便がいい社会”のイメージははたしてどのような生き方なのだろうか?