娘が幼いころは良く童話を読んで聞かせたものです。
このあいだ、納戸を整理していましたら100冊くらい童話が積んでありました。
その中に懐かしい、思いを抱かせてくれたのが、「一休さん」シリーズです。
娘より、私のほうが面白くて読んでいました。
そのシナリオの一冊に、一休さんが高僧になり、ある大きな庄屋によばれて、ぼろぼろのみすぼらしい身なりでそこの玄関を入りましたら、そこの主人が「おまえのようなぼろぼろの法衣を着たのは一休様ではない!」と玄関から追い出してしまいました。追い出された一休さんは、立派な法衣をまとい、別の金ピカピカの法衣を手に持ちまた、庄屋を訪ねます。
そして言います「あなたが待っていたのは私ではなく、立派な法衣ですね。」と言ってそこの玄関にピカピカの法衣だけ置いて立ち去ります。 それから、庄屋のご主人はあとで、「自分が人を、身なりや外見だけで判断していたことの恥ずかしさに気づくのでした。」
私は、娘が小さい頃、身なり構わず仕事を分刻みでしておりました。
いろいろなセールスが訪問に来ます。俗に言う「飛び込み営業です」買わないのに説明を聞いても相手に悪いですし、「いらないよ!」と言えば角が立つ。
そこで、一休さんのとんちで「ごめんなさい・・私・・掃除婦なものですから・・良くわからないんですよねー!」と言えば営業マンはさっさと帰ってくれます。
その時に「それでは、後日また来ますので本日は失礼しました。」と礼儀正しくお帰りになるのは、10人に一人くらいです。ほとんどは「あーそうですか・・・?それではまた!」、と人が変わったようにずっけんどうになります。
そばで見ているスタッフは、また私のいたずらが始まったとくすくす笑っていました・・。それは、いたずらではなくて、私の時間がそれほどなかった故のとんちでした。
ぞんざいなセールスの後姿に一休さんの気持ちが、良くわかりました・・。
でも彼らも必死です。
退いて立つ瀬のあり
一歩その場から退いてみるとその瀬に別の人、もの・事実が立ちます。
好きな言葉のひとつです。
その逆もあります
TPOで使い分けします。