韓国から帰って来ました。
再開します。
徳寿宮、朝鮮王朝の、300年の数奇な歴史を見守って来た建物。
ソウルの中心部、市庁の前にある徳寿宮は、回りを高層ビルに囲まれながらも、静寂な空間
を保っている。
元々は、李氏朝鮮王朝成宗(9代王)の兄月山大君の邸宅であったが、文禄の役(秀吉の
朝鮮進攻)で、漢城(ソウル)の宮廷が消失した際、1593年宣祖が、ここを行宮(仮の宮廷)
とした。
次の、光海君の時、正式に慶運宮と宮号を附し、正式な宮廷として使用した。
その後、昌徳宮を再建して、宮廷を移したが、慶運宮は、離宮として、高宗の代まで(1907)
約300年の間使用された。
慶運宮が、徳寿宮に、何故変わったのかについては、後述する。
↑昔御堂。
宣祖に変わって王位に着いた光海君は、自分を脅かす存在の兄弟たちを次々に粛清する。
宣祖の継妃、仁薭王后を廃して10年にわたって、昔御堂に幽閉した。
これに不満を持つ臣下が綾陽君を立てて、反正をおこし成功する。
綾陽君は、王后を救出して、大妃(王が不在の時の最高権力者)に位させた。
大妃は、光海君を、昔御堂の前に膝まづかせ、36の罪を問うた後、罰を与え、綾王君に、
玉璽を下した。
綾王君は、次の王、仁祖である。