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韓国の散歩道 徳寿宮 Ⅱ 石造殿

2013-03-09 12:11:27 | 写真

李氏朝鮮王朝の末期、高宗の頃、日、米、露、仏、英などの列強の関与がひどくなる。

特に、日露は、露骨な介入を試み、朝鮮における覇権を争う様になった。

日露戦争に勝利した後、日本は更に介入を深め、米のフィリピン統治、英の印度統治と交換

に、朝鮮の統治を、国際的に認めさせた。

日本政府は、李王朝政治の混乱に乗じ、朝鮮との保護条約を締結すべく閣議決定する。

これに基づき、伊藤博文を条約締結のため派遣し、朝鮮政府と交渉しようとしたが、首相の

韓圭ソルは、激しく抵抗したため、彼を室外に連れ出し、その隙に、五名の閣僚が認めた

として、条約の調印に持ち込む。(乙巳保護条約)

これにより、朝鮮は、実質的に日本の植民地になった。

伊藤は、李完用を首相として、傀儡政権を立て、朝鮮政府を支配下に置く様になった。

1907年、オランダのハーグで開かれた、第3回国際平和会議において、高宗の特命を受けた

李相ソル等は、会議に出席しようとするが、日本によって阻まれ、仕方なく、記者団の前で演

説を行った。(ハーグ密使事件)

伊藤は、この機に乗じ、高宗に退位を迫り、皇太子を擁立して、純宗とした。

高宗は、退位後、慶運宮に入り隠居する。

純宗は、高宗(自分の父親)の為に、慶運宮を改名し、徳寿宮とした。

徳寿宮の宮号は、朝鮮王朝初期の正宗が、父太祖の為に建てた王宮の名前で、上王

が、徳を得て長生きすると言う意味である。

(以上、世界各国史 17 朝鮮史 武田幸男編より引用)

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↑石造殿。

石造殿は、高宗が、1900年に寝殿として建てた、石造の建築物で、東洋では初めての石造

建築と言われるものである。

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この日は、改築中で、中へ入る事は出来なかった。

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↑昔の大漢門。

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↑建設中の石造殿。

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↑当時の慶運殿周辺。

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完成間近の石造殿。