地元の旧水戸街道ポタリング
このところ身体、というかお腹周りのために毎日自転車に乗っています。ただ歩くよりは良いみたい、お腹がしまるようなw…
地元旧水戸街道、明治になって陸前浜街道と名前が変わりました、を取手宿から藤代宿へポタリングです。じつは毎月1日は、地元図書館の無償の図書配布日です。それを目当てに隣町の図書館まで、出かけて行った次第です。
お腹へこますのを兼ねてw…
取手から藤代へ向かう旧街道は、途中でJR常磐線(上野から水戸を経由して、福島県平まで行きます)を横切ります。ただしこの道は、旧水戸街道本道の一つ西側を並行して通っている脇道です。取手宿から藤代宿の間は利根川の流域で地盤が低くて冠水しやすく、そのためいくつかの迂回路、脇道があります。本街道に水が出た時には、他の通行可能な脇道が利用されていました。
沿道にはピラカンサスが赤い実をつけています。常磐線の踏切には「旧陸前浜街道踏切」と書かれています。
このあと現水戸街道国道6号に出て藤代方面へ、この交差点は国道6号と旧水戸街道本道が斜めに交差しています。旧水戸街道は写真の先、正面に向かって常磐線の踏切を渡り取手方面につながっています。手前方向は、藤代に向かいます。旧水戸街道は明治維新で陸前浜街道と呼ばれるようになりましたが、現在は地方道の扱いです。
チャリはイギリスのブロンプトン(ただしmade in Taiwan)、折り畳み自転車です。輪行用の袋が付いていて、折りたたんで電車にも乗せることができます。電車を使うと、ポタリングの行動範囲が格段に広がります。
- 藤代宿の、たぶん江戸時代から続く商店 -
材木店「笹屋」さん
「柏屋」洋品店さん
洋品店「YOSHIYA(吉屋)」さん
「松屋」米店さん(シャッター降りてます)
「我孫子屋」さん。たぶん金物屋さん。
相馬神社角の「なかじまや」さん。日用品雑貨店です。
この辺りが藤代宿です。街道沿いに江戸時代からある商店でしょう、みな屋号がついています。大きな古い木造の商家(この家も洋品店です)も残っています。
それにしても全く人がいませんね。唯一、材木屋さんから何故かおばあちゃんが出てきて、ママチャリに乗って何処かへ走り去って行きました。そういえば洋品店、おばあちゃんが着るような服を扱っている洋服屋さんが比較的多く残ってますね。
街道はこの相馬神社のところで、右折しています。この先にも古い商店が、まばらに続いてJR藤代駅に向かいます。藤代駅前には、何もありません。
藤代図書館はこの相馬神社の脇の細い道を入った奥にあります。
図書館でリサイクルブックを3冊いただいて、帰り道。今度は旧水戸街道本道を国道6号から常磐線踏切を渡って、取手方向へ戻ります。
街道沿いには、古い石碑が残っています。この石碑は、道標を兼ねた庚申塔のようなのですが、何と書いてあるのかよく読めません。
沿道には田圃が広がっていて、まばらに民家があります。地域は、茨城の米どころでもあります。
ここは清水の五差路と呼ばれている交差点で、脇に大きな記念碑が立っています。この地域の土地開墾にかかわる記念碑です。
昔の道は、Y字路(追分)や斜めX字に交差した道、そしてこのような五差路がよく見られます。本街道から周辺にある集落などへ一直線、最短距離で繋がるように道ができています。それに対して街中は、辻と呼ばれるT字路の交差点が多いです。これは城下町(土浦)など敵に攻められた時、一直線で城にたどり着けない様にしていると言われています。みながみな、そういう訳ではではないでしょうが。
遠くに利根川沿岸にある丘陵地、台地が見えています。水戸街道を歩く昔の人も、この景色を眺めたことでしょう。
街道は利根川流域の平野を通っているので、利根川に流れ込む小河川(灌漑用水に利用されている)がたくさんあります。これは相野谷川に架かる橋です。勾欄(こうらん:親柱)に旧陸前浜街道と書かれています。道には、一部の区間の片側にしか歩道がありません。国道ではなく、地方道です。
往きは旧水戸街道の脇道、復路は本街道を戻る片道6㎞、往復たったの12㎞(w… )のポタリングでした。それでもけっこう汗かいて、お腹ちょっとは細くなったかなぁw…
-図書館でいただいて来たリサイクル本-
①「絵のまよい道」 安野光雅 (水彩画家のエッセイ)
②「暮らし上手のパリ」 松本信二 (パリでの日常、暮らし)
③「もっとアメリカが知りたい」 原恭三 (アメリカでの日本人教育者の生活)
読んでない本がたくさんあるのに、また増えた・・・
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