大阪水曜ほっと集談会一世です。
さて、今日は端午の節句ですね。
男の子のすこやかな成長と健康を願って、お祝いをする日とされています。
私にも初孫の4歳になる男の子がおりますので、これからささやかなお祝いをしてやるつもりです。
端午の節句も書きたい、弱さになりきるも書きたいと、このようなちぐはぐなタイトルになりました。
さて、家庭や企業においても弱者の極みの私です。(トホホ)
時折集談会では、過去にいじめられた体験や友人がいない孤独などが赤裸々に語られます。
そのような私たちに森田療法は、弱者としての生き方を説いていますね。
森田先生は、このように言われています。
すなわち「弱くなりきる」ということは、人前でどんな態度をとればよいかという工夫の尽き果てたときであって、そこにはじめて、突破・窮達ということがことがあるのである。
※窮達とは願望などを成就すること、やりとげること。
私にも40年近い長きにわたるサラリーマン生活に於いて過去にどうにもならない時期がありました。
人間関係がもつれ、四面楚歌で適応障害にも追い込まれました。
しかしそこから人生の新しい局面が展開し、違う自分や友人との出会いにもつながったと感じています。
それゆえに森田先生の言われる弱さになりきるが心に沁みるのです。
さらに森田先生はこう述べられています。
この弱く「なりきる」ではなく、たんに付け焼刃で、空元気で突破するというときは、たまたまこれが成功して、自分もやれば、やれるものということを知り、恐怖が軽快したようになるけれども、これは再発を免れないのである。
私は、親愛なる会員の皆様に申し上げたい。
神経質者の生き方は、たとえとらわれから解放されたとしても、行動・実践でどんどん突き進んで行く強者の生き方でないと思います。
そしてこの得難い神経質性格を変える必要はまったくないのです。
常に神経質のアンテナを立てながらリスク管理を怠らず、どこまでも、いつまでもビクビク・ハラハラしながら生きていきたいと願う一世です。
2022年5月5日 一世