大阪水曜ほっと集談会一世です。
ここのところ、本当に仕事もプライベートも忙しくアットいう間に1日が過ぎていきます。
既に定年へのカウントダウンが始まっており、不安でありながらも、わくわく感が止まらない私です。
さて先日のブログで、森田療法のめざす処が人間的な成長ということにすこし違和感を感じると投稿しました。
では森田療法がめざす処は何か、一緒に考えてみたいと思います。
一言で申しますとわたしは自覚と調和であると現時点では思っています。
調和とは、社会、自然との調和に留まらず自分との調和も含まれます。
さて私の印象では森田博士は、物事に意味付けすることをとても嫌っておられたように感じます。
それはかくあるべしに通じるからでしょうか?
従いまして森田療法はこれをめざしていると一律に定義することも不要なのかもしれません。
自分にとって都合のよいと思われる事実、不都合な事実、自然界の営み、社会の営みに対して一旦心のフィルターを外して物事を俯瞰して観る。
この自分をみつめる作業の繰り返しが、自覚に繋がるのかもしれません。
残念ながら自分で自分に気づくことは難しいのです。
高校生でも理解できる森田理論ですが、80歳の方でも実行できないと言われます。
自分に対しては、厳しいか甘いかの両極端の私たちです。
集談会で仲間の皆さんのお話を聴くことは気づきを深めます。
特に初めて集談会に参加された方のお話は、学びの宝庫です。
なぜ私たちは歯を磨く事は習慣化しているのに、自分の心の事実を見つめる事はおざなりにするのでしょうか?
一時期季節感も無くなり、魂の抜け殻のような状態で会社に行っていた私です。
今はただ、ただ、五月の新録の美しさに心を射られている日々です。
そのことをこのうえもなく幸せに感じています。
2022.5.13 一世