大阪水曜ほっと集談会てっちゃんです。
長引くコロナ禍の中、数日前に、マスコミで、あるお笑い芸人の逝去が報じられました。
漫才トリオで一世を風靡するほど、有名な存在でした。
しかしながら、そのあまりにも自虐的なネタ(例えば、お笑いの為、熱湯湯に浸かるとか・・・)や一種暴力的なリアクションで、知られる大衆演劇的存在でした。
私はこのようなスタイルは好きではないので、あまり見る機会はなかったのですが、こういった傾向はお客様受けするために、よりエスカレートしていくようです。
しかしながら、コロナ禍が2年以上も経過する中、得意のギャグやネタは禁止となって、自らの得意な才能も封じられるようになり、かなり落ち込んでいる様子だったと報じられています。
考えてみれば、お客様のお笑いへの要望、欲求は益々ヒートアップしていき、それに答えるため自尊心なども脱ぎ捨てて、その芸道へ突き進むことは悲しいぐらい悲惨なことである・・・と日々感じていました。
このような、社会的死(心より、ご冥福をお祈りします)を目の当たりにしても世間は、性懲りもなく次のターゲットを求め、マスメデイアもなんら反省もなく、映像等の垂れ流しは進み、品性や品格はより貧しくなっていくようです。
最近読んだ、岸見一郎氏著 「今、ここ」にある幸福の中に、人は幸福に「なる」のではなく、幸福で「ある」ということ。
苦しさから抜け出して幸福に「なる」のではなく、今の状況や経験とは関係なく幸福で「ある」のです。
たしかに、生きることは苦しいのです。
しかし、その苦しみを苦しいと見るのではなく、苦しみこそ幸福の糧であると見ることはできる。
あなたは、あるがままの自分で「あること」ですでに価値があり、他者に貢献している。
「今、ここ」にある幸福より抜粋
2022.5.17 てっちゃん
※岸見一郎氏:日本の哲学者・心理学者 アドラー心理学の研究をもとに2013年刊行された、「嫌われる勇気」が大ベストセラーになる。