
大阪水曜ほっと集談会一世です。
ブログをしばらく休ませていただいた。
落ち込みが原因ではない。
またもや作業中転倒、軽い脳震盪とムチ打ち、捻挫が原因である。
勤続疲労の体は正直である。
森田を40年学んでも痛いものは痛いのだ。
さて神経質者の生き方は、表面上弱者の生き方であると思う。
しかし、これがもっとも強い生き方である。
柳や薄(ススキ)のように揺れながら、強風に抗わず嵐にも耐えうる力を持つ。
ところで定年前に6回目の転勤が決まった。
コロナ過で離職がすすみ深刻な人手不足地獄である。
仕事のオファーはありがたいが、環境の変化に弱い神経質者である。
新しい人間関係を築くのは容易ではない。
定年後もしばらくフルタイムの勤務が続く。
職責からも経済的な不安からも解放される日々は、遙か彼方である。
もはやぼろ雑巾の身にとって、嫌がらせ以外の何ものでもない。(笑)
夢見る定年後生活とは程遠いが、この漬物石のような負荷や枷(かせ)が重要であると考えている。
特に初心者懇談会における寄り添いには不可欠である。
経済的・社会的プレッシャーのない環境に居てコメンテータのような発言はしたくない。
私は10代で森田療法に出会せていただいた。
その幸運をあらためて感じている。
多くの出逢いと残念ながら多くの別れもあった。
すべては偶然ではなかったと思う。
本日も大阪水曜ほっと夜間懇談会を開催する。
オンライン開催であるための日本全国から参加いただく予定である。
感謝以外の言葉が見つからない。
不思議なことが最近度々おこる。
本日もサプライズゲストが参加される。
最近ふと森田療法を学んできて感じたことがある。
私は私でしかない。
私はそのままの私ですばらしい。
そのまんま一世でこれからも生きていく。
良いも悪いもないのだ。
あるがままとは目指すべきでも、獲得すべき世界観でもなかった。
実は既に私の手の中にあったのだ。
それに気づいていなかっただけかもしれない。
2022.6.21 一世

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