傾聴ボランティアという活動があるそうですね
病院その他の施設などで
とにかく希望される方の話を聴くということで
傾聴者自身の意見を挟んだりせず
話している方が
話すことによって安らぎを得
話す中で問題点に気づき
さらには解決方法にまで思い至る
というのが目指しているところとのこと
普段私たちが人の話をきいているときは
「聞く」という状態であることが多く
自然に耳に入る音や言葉を知覚している状態
きいているうちに頭の中ではあれやこれや考え
本当に内容をすべて認識しているかといわれると
とてもとても・・・
「聴く」という漢字をもちいると
耳を向け
まっすぐな心で
よくきく
という より真剣にきいている状態を現すことになる
傾聴という言葉になると
さらに全身全霊を傾けて
というような感じだろうか
これまでの人生で
そのようなきき方をしたことがあるだろうか
うーん・・・
そういえば診察の中に聴診というのがある
体が発する音をきいて状態を判断するわけだが
この言葉にも「聴」という字が使われている
なかなか重い
言葉も言ってみれば体が発する音
ならば心を込めて聴かなければ
聴診したことにならないじゃないか
何年経っても
理想と程遠いなぁ
病院その他の施設などで
とにかく希望される方の話を聴くということで
傾聴者自身の意見を挟んだりせず
話している方が
話すことによって安らぎを得
話す中で問題点に気づき
さらには解決方法にまで思い至る
というのが目指しているところとのこと
普段私たちが人の話をきいているときは
「聞く」という状態であることが多く
自然に耳に入る音や言葉を知覚している状態
きいているうちに頭の中ではあれやこれや考え
本当に内容をすべて認識しているかといわれると
とてもとても・・・
「聴く」という漢字をもちいると
耳を向け
まっすぐな心で
よくきく
という より真剣にきいている状態を現すことになる
傾聴という言葉になると
さらに全身全霊を傾けて
というような感じだろうか
これまでの人生で
そのようなきき方をしたことがあるだろうか
うーん・・・
そういえば診察の中に聴診というのがある
体が発する音をきいて状態を判断するわけだが
この言葉にも「聴」という字が使われている
なかなか重い
言葉も言ってみれば体が発する音
ならば心を込めて聴かなければ
聴診したことにならないじゃないか
何年経っても
理想と程遠いなぁ