Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

死に目

2013-01-14 | 想い・雑感
クイズ番組を見ていると
まったく勘違いをして覚えている言葉
というのが少なからずあることに驚く
自信を持って回答できるつもりが大間違いということがちょこちょこある

番組で見たわけではないが
最近まで勘違いしていたのが
親の死に目に会えない
ということば

親が息を引き取る時に傍にいることができない
という意味だと思っていたら
親よりも早く死ぬことを意味しているとのことで
驚きました

ところで
親しい人が亡くなるとき
傍に居てあげたいというのは
多くの人が感じることで
「誰それが来るまでは…」という会話は
よく聞きますね

でもね
息を引き取る間際というのは
もう全く本人との意思疎通ができなくなっているから
本当はその時にいることよりも
まだ言葉を交わせる時に
どれだけ多くの交流ができたか
どれだけ旅立つ人の心を慰めてあげることができたか
そして旅立つ人と見送る人の双方に
どれだけ豊かな時間が持てたか
というようなことのほうが
ずっと大切なような気がします

いよいよ状態が悪くなる前から
いつ急変しても後悔しないように
というくらいのつもりで接することのほうが重要だと思います

隠し事

2013-01-14 | 想い・雑感
アメリカのドラマであるメンタリストの影響か
最近の推理モノには微表情という言葉が時折出る
コンマ数秒しか現れない僅かな表情の変化(微表情)で
その人の感情を読み解くことができるらしい

嘘をついているかどうかというのも
かなりわかってしまうらしい

その微表情まで私たちが読み解けるわけではないだろうが
隠し事があったり
嘘があったりすれば
私たちはそれを守るために何らかの反応をしている
という意味で面白い

ひょっとしたら
私たちが人に対して何か嘘があると感じるときというのは
意識に登らなくてもその反応を察知しているのかもしれない

臨床の現場で
時に家族が本人へ病名を告げることを反対することがある
告げないということは
家族がその時点で患者本人に対し隠し事を抱えるということである
当然それを隠すような行動や反応を示すということになる

患者本人の病状が進行するにつれ
それを隠すためにいくつもの隠し事を抱えていくことになる
この状態で近い将来旅立っていく人と
心の交流を保つことは難しいだろう

隠し事がある患者さんの部屋と
情報を共有している患者さんの部屋とでは
そこの空気の張り詰め方 尖り方
というのが違うように感じる