Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

心をこめて

2006-09-24 | 想い・雑感
 ヴェニスの商人に出てくるシャイロック。この話しを学校で習うときには、昔から金貸しという職種がいやがられていたということも一緒に語られていたように思う。しかし私自身はなぜ金貸しがそこまで嫌悪されるのかはあまり理解出来なかった。その時金貸しと聞いて思い浮かべたのが銀行だったからかもしれない。

 その後、アイドルだった人がはじめて消費者金融の宣伝に出ているのを見たとき、かなり衝撃を受けた。おそらく、銀行と消費者金融との間にイメージの格差があり、より昔からの金貸しに近いと思ったから衝撃を受けたのだと思う。

 最近ではアイドルが消費者金融の宣伝に出るのが当たり前のようになってきたが、いつも違和感を持っていた。

 しかし、それは消費者金融に対して実は失礼なのかもしれない。結局裏では、銀行ともつながっているのだ。言ってみれば、銀行が政治家、消費者金融が裏世界という関係なのだろうか。新聞報道を読んで改めてそう思う。

 職業に貴賤はないと言う。確かに職種によっての貴賤はないのだろうが、心を失った仕事は、やはり賤しい。自戒の意味も含めて。

眠り

2006-09-22 | 想い・雑感
 朝起きる。

 意識がはっきりすると、いつもの自分がそこにいる。

 自分の意識で、世界を認識する。自分が認識したものが、その人にとっては現実であり、事実。
 
 眠っている間、意識のない間は、その人にとって世界は存在しないのと同じ。

 死ぬというのは、意識がなくなることであろうから、死んでしまえば死自体も自分にとっては現実でも何でもなくなってしまう。そのことを認識することが出来ないのだから。

 考えてみれば、毎日睡眠という死の世界へ旅立ち、運が良ければ朝意識の回復とともに地上に戻ってきているようなもの。だから、死を永遠の眠りというのだろう。

向き合う

2006-09-21 | 医療・病気・いのち
 「私は、ここにいる。」

 孤独を愛する人でも、心の中でこう叫ぶ時はあるだろう。

 人は支え、支えられて生きている。

 進行癌となり、積極的な治療よりも症状の緩和が主体となるころ、人はますます死と向き合わなければならなくなる。そんな時、安易な慰めはいらないが、誰かそばにいて欲しい、誰か自分のことを見ていて欲しい、気にして欲しいと思うだろう。

 頭では理解しているつもりでも、患者さんが末期となるとどうもベッドサイドに近づく頻度が少なくなっていた。年を少し重ね、その分少しそばにいる時間が長くなった。肩の力を抜いて、話しが出来るようになってきた。

 でも、本当にきちっと向き合っているのだろうか。

 自信はない。

 その前に、家族や友人としっかり向き合っているのだろうか、話しを聞いているのだろうか。そもそも自分自身と向き合っているのだろうか。

 まだまだ道は遠い。

多い!

2006-09-20 | 医療・病気・いのち
 地球上の、世界の人口は60億人(65億4225万人)を超えている。

 でも、その数くらいで驚いてはいけない。

 人の体は、その1000倍、約60兆個の細胞で構成されている。

 人間でもいろいろいるわけだから、体の多くの細胞の中から悪いやつが出てきてもちっとも不思議はない。実際、毎日のように癌細胞は生まれているらしい。でも体の抵抗力(免疫力など)でその悪玉を排除している。

 そんな中、めげずに癌細胞が生き残ると、細胞分裂を繰り返し、現代医学で癌として発見されることになる。

 ある程度の数になると、離れたところにまで部隊を送り込む(転移)から話しがややこしくなり、根治が難しくなる。

からだ

2006-09-20 | 想い・雑感
 人体は壮大な化学工場。

 体の隅々、細胞の一つ一つで、エネルギーを蓄え、燃やし、必要な物質を作り出し、不要なものを分解代謝する。

 現代の人間が、どんなに複雑で大きなコンビナートを作っても、人の体を再現することなど出来ない。また実際に、体内でおこる化学変化すべてが解明されているわけですらない。

 さらに、その化学工場は、子孫を残して行くのである。

 そして、有史以来、いや宇宙が出来て以来一つとして同じ工場は存在しないのである。

 私たちが生きているというのは、すごいことなんだ。

帝王切開

2006-09-18 | 想い・雑感
 赤ちゃんはお母さんの産道を通って外の世界へやってくるのが正常なお産ですね。でも通常分娩では危険と判断されたときには、母体のお腹を切り、さらに子宮を切って胎児を取り出すことがある。これを帝王切開といいます。

 はじめて帝王切開という言葉を聞いたとき、「何で帝王なの?」と思った。カエサル(シーザー)がこの方法で生まれたからとまことしやかに言われていたが、どうも腑に落ちない。

 滅菌法が開発され、抗生物質が発見された20世紀ならいざ知らず、それ以前は外科的処置がなされれば、多くは傷が化膿し、敗血症で死んでいたはず。帝王切開は19世紀にヨーロッパである程度行われていたようだが、その母体の死亡率は8割を超えていたという。シーザーの時代にそんなことすれば、出産後に間違いなく母親は死んでいたはずであるし、実際にシーザーが帝王切開で生まれたという史実はないようである。

 日本語は、ドイツ語のKaiserschnittから訳されたようだが、その語源となるラテン語の切るという単語の一つの発音がカエサルに似ていたため間違って後世に伝わったらしい。

 日本での出産で、この帝王切開の割合が増えてきているらしい。高齢出産が増えていることや、出産にまつわる訴訟増加などが原因とのことだが、6~7人に一人の割合にもなるらしい。アメリカでは4人に一人くらいの割合とのことだからそれよりは少ないが、それでも尋常ではないような気がする。

剖検

2006-09-18 | 医療・病気・いのち
 病院で亡くなる方の多くは、病を得て、その病勢が進行して死に至る。…ように見える。

 高齢となり、徐々に食も細くなり自然と命を閉じた様な場合には、天寿を全うした。…ようにみえる。

 しかし、すべてがそうであろうか。

 天寿を全うしたように見える方の中には、実は癌のためになくなった方もいるだろう。癌で亡くなったように見える方の中には、じつは肺炎、栄養不良、心筋梗塞などで亡くなった方もいるであろう。

 亡くなってしまった後で、その原因を知ったところで、生き返るわけではないが、残された者の中には原因を知ることによって気持ちが収まる人もいるであろう。

 死因を知る有効な手段の一つが、剖検である。剖検は、生前に本人の意志表明がなされていたり、死後に家族の了承が得られれば行うことが出来る。解剖し臓器を取り出し、詳細に顕微鏡で検査することにより、原因を探るのである。

 家族にとっては遺体を傷つけられるという思いが強いかもしれないが、死因を知りたいのであれば、知っておいて良い手段だと思う。多くの総合病院は剖検が出来るようになっているはずである。ただ多くの場合病理学の先生がしてくださるわけだが、病院に常に病理の先生がいるとは限らず、その場合は近くの大学などから病理の先生に来てもらうことになる。

 時には、死因には直接関係はなくとも、癌が見つかることもある。
 
 検査を行うために臓器を取り出した後には、綿などをつめて、皮膚をきれいに閉じる。通常の御遺体と違い、綿が詰まっているため、火葬場の人に剖検をした旨を伝えておかないと、焼けすぎることは知っておく必要がある。

アドレナリンの嵐

2006-09-18 | 想い・雑感
 身の回りから草の生える野原が消えてしまい、野分けという言葉は死語になってしまったのでしょうが、台風は人間の生活に大きく分け入ってくる存在です。今回の台風13号も、各地で爪痕を残していったようです。

 もともと自然の前には小さな存在でしかないのに大きな顔をしている小賢しい人間に、台風は自然の威力を見せつける存在の一つですね。衛星写真などで、九州全域を、時には日本の半分くらいを覆い尽くす雲の存在を突きつけられると、人間の小ささに気づかざるをえません。

 台風の激甚なるエネルギーと比較すると、取るに足らないものかもしれませんが、人間の心の中にも嵐がおこることがありますよね。例えば怒りという嵐。自然の大きさの前には小さいものなのだが、怒っているときには小さなものとは思えずに、思考のほとんどが怒りの対象に向いてしまう。

 出来ることなら怒りという嵐に振り回されないように、小さい自分の心くらいもう少し上手にコントロール出来るといいなあと思います。怒りからアドレナリンの嵐が体中に吹き荒れ、血圧は上がり、心拍数は増え、呼吸も速くなる。そんな状態にいつも身を晒している生き方をすれば、当然体の傷みも進むでしょう。

 そうならないため、自分の身を守るために、お互い心を鎮める方法を自分なりに身につけたいものですね。

時を刻む

2006-09-15 | 想い・雑感
 最近の時計は、アラーム以外には音がほとんどしないものが増えた。

 以前の時計の多くは、秒針が進むごとに、歯車が発する声が聞こえたものだし、
振り子時計などは、振り子が振れるたびにチックタックと音がし、まさに時を
刻んでいるという感じだった。

 当直室に置いてある古びた時計は、1秒ごとに音がする。
 その音を聞いていると
 新幹線の車窓から眺める景色が、あっという間に飛び去っていくように
 今という瞬間が、あっという間に過去になっていくことを  強く感じる。

 さらには、迫り来る未来も考えざるを得ない。
 でもなかなか、死という未来を実感することは難しい。
 病を得ることにより、やっと近づく自分の死を見つめるようになるのだろう。

 癌であることを伝える重みを、改めて感じる。

もやし

2006-09-14 | 想い・雑感
 ある大学学生の調査で、もやしの消費が40歳代以降減少することがわかったそうです。理由は新聞には載っていませんでしたが、歯に挟まることがあるからかなあと想像します。

 もやしは、ビタミン(特にC)が豊富だし、繊維質も多いので、高齢になっても摂取したほうが良いような気がするのですがどうでしょうか。

 歯に絡みつくのは、おそらくあの細い根の部分だと思います。あそこは下ごしらえのときに取っておくと随分と歯ごたえが変わるようです。また、茹で過ぎない(加熱しすぎない)ことによってしゃきしゃき感が出てくるとのことです。

 もやし以外の食品で、ビタミンや繊維質を摂取できている方は良いかもしれませんが、もやしも捨てがたい。

 いずれにしろ、21世紀は予防医学の時代とも言われています。予防医学には「食」は欠かせないキーワード。食文化とともに栄養について、もっと知識を深める努力が必要なのだと感じます。

中を見るまで分からない

2006-09-13 | 医療・病気・いのち
 癌に対する手術を行う前には、癌の広がりを具合を調べるためにいくつかの画像検査をする。CTもその一つで、体の断面を見ることができる。

 胃癌の場合、CT検査を行うのは、肝臓に転移がないか、リンパ節は腫れていないか、腹水は溜まっていないか、膵臓や大腸など周囲の臓器に直接浸潤をしていないかなどを調べるために行う。

 しかし当然これですべてが分かるわけではない。通常CTは10mm刻みに体の断面を画像にする。10mm未満の変化は分からないことも多いのだ。また肝臓の表面にあるしこりなどは特に診断が困難となる。

 手術を行うときには、術前の検査で、根治できる可能性があると考えて行うわけだが、お腹を開けてはじめて、肝臓や腹膜に存在する転移が明らかになることもあるのである。

 胃癌の場合、進行度が6段階中の3~4段階などと術前考えていても、肝臓などに転移があれば一気に進行度が6段階、つまり最も進行した状態との現実を突きつけられるわけである。

 この転移は、必ずしも大元の胃癌が小さい場合にもおこることがあるので、術前診断はなおさら難しい。もっともっと小さな転移巣を検知できる検査法が出現するのを待つほかない。

合理、不合理

2006-09-13 | 想い・雑感
 合理的であることが最も価値が高いとどうも考えられている当世である。医療の世界も合理的であることが強く求められるとともに、上手にそろばんをはじけるようになることを国からも指導されているように感じる。

 もちろん、合理化できるところ、標準化できるところはどんどんその方向で進めていく必要がある。従業員一人ひとりの知識も経験も異なるなか、より安全な医療を提供するためには避けて通れないところである。

 合理化するといいながらかえって業務量が増えるような事態もあったりするのだが、もし合理化により時間的余裕ができたとき、その余裕をどうするかがより大切な事だと感じる。

 不合理、情緒的、感情的な私たち自身、人間を相手にする仕事である。そこはなかなか合理化できるものではない。その心の世界に応ずるにはやはり時間が必要。合理化できた分、本来医療が眼をむけ手をかけなければならないところに時間と手間をかけていきたいものだ。

全身病という考え

2006-09-11 | 医療・病気・いのち
 癌に対する手術方法として、この10年~20年くらいで最も大きく変わったのは、乳がんに対するものだろう。

 20年前には、乳がんとわかれば乳房はもちろんのこと、大胸筋や小胸筋という筋肉までごっぞりと切除するのが標準術式であった。場合によっては肋骨まで切除することもあった。

 ただし、そのころから、乳がんは見つかった時点で全身病の可能性があり、局所の切除量いくら拡大しても予後の改善にはあまり関与しないとの考え方も出てきていた。進行度を見て乳房を温存する試みは欧米からはじまり、徐々に日本でも受け入れられ現在に至っている。

 ところで全身病とは何を意味しているのかといえば、見つかった時点で、乳房や腋窩リンパ節を越え、他の部位までがん細胞が流れていってしまっているという意味である。そして、流れ着いたところで再発を起こしてくるのである。

 再発しやすい場所は、肺、骨、脳などが上げられるが、他の癌と同様、全身どこにでも再発する可能性はある。頻度は少ないが、腹膜に広く再発し腸閉塞という形で再発が見つかることもある。それも、乳がんの治療後随分経ってから再発してくることもあるので、気が抜けない。

突然癌になる?

2006-09-11 | 医療・病気・いのち
 生活習慣病という言葉は、日々の積み重ねが今のあなたを、あるいは未来のあなたを形作るのですよ、という強いメッセージがこめられたものだと思う。ひとの体の9割くらいは、1年も経てば入れ替わっているわけだから、確かに日々の連続が体を作り変えていっているわけである。

 癌も生活習慣病という側面があり、だからこそ「癌にならないための生活10訓」などが存在している。

 癌と診断された人は、検査を受けた後に、「癌」と診断されるわけである。伝えられるまで、はっきりとは、あるいは全く自分が癌と思っていない場合がほとんどであろうから、診断を伝えられたときに、突然癌になった、急に癌といわれた、晴天の霹靂、などと感じるのは正しい。

 しかし、実際のところ突然癌になるわけではないのである。たとえば、胃癌と診断された場合、少なくとも数年以上前には、がん細胞は産声を上げているのである。

 そのがん細胞が分裂を繰り返し、徐々にその数を増やし、ある程度の大きさになってくると診断がつくわけである。進行がんにも、早期がんの時期があったのだ。進行してしまった癌を排除するのはきわめて困難。その前に、つまり早い時期に見つけようとするのであれば、検診を受けるしかない。ただ検診を受けても100%早期に見つかるわけではないけれど。

 ただし、きわめて早い速度で進行する癌もありますので、その場合は、突然と感じるのが当然と思われます。

日和(ひより)

2006-09-10 | 医療・病気・いのち
 洗濯日和などというように、お天気具合を日和というようですね。日和見とは、天気を観察する役の人を言うようですから、現代ならば気象予報士などをさすのでしょうか。学生紛争が盛んだったころは、主義を曲げ周囲の意見に流され同調するひとを日和見的だといって糾弾していたようです。その場合は、風見鶏的ありようをさしているのでしょう。

 日和見感染という言葉は、後者の意味から派生してきたものだと想われます。普段は人間の体に悪さはしないけれど、体が弱り抵抗力が落ちてくると、その状況(日和)をみて、微生物が症状を引き起こすことを言います。

 日和見感染を引き起こす微生物には、細菌やウィルスがありますが、真菌(カビ)も原因となることがあります。AIDS末期のカリニ肺炎などもそうです。

 癌の末期はもちろん、抗がん剤治療などを施行したときなども、体の抵抗力が落ち、日和見感染を引き起こすことがあります。体の中に普段から住み着いているような微生物が、体の内部環境という日和によっては、盛んに活動し始めるわけです。いくら抗ウィルス薬、抗生物質、それに抗真菌薬を使用しても、体の抵抗力が極めて低くなっているときには、治療は非常に困難となります。