「関ヶ原の合戦」で勝利を収めた徳川家康は、天下を統一し
完全に天下の実権を掌握すると、征夷大将軍に任ぜられて
江戸に幕府を開き、そして幕府の基盤を固める為に
全国主要五街道の整備にとりかかり、慶長九年の春には
中山道の要衝で、徳川家康開運の地である中山道・赤坂宿のお勝山の北方に
自らが上洛の為に、往復をする時に利用する休泊施設「お茶屋屋敷」を設け
邸内には、美濃の諸大名に命じて信長ゆかりの「岐阜御殿」と云われていた
「千畳敷御殿」等61棟を移築させたと云われ、廻りには土塁や空壕が設置され、
宿泊施設であると同時に緊急時の砦、城郭の要素もあったと云われていましたが
その後は宿場の整備と共に必要がなくなり、寛永年間(1624~1644年)に
建物は取り壊されてしまい、今では創建当時の城郭様式を偲ぶ土塁や
空濠の一部を残すのみとなってしまいましが、貴重な遺跡であり
岐阜県の史跡や市の景観遺産にも指定されており
現在では個人の所有となっていて、跡内には数多くの「牡丹」が植えられ
通称「赤坂ボタン園」と云われ、「牡丹」の開花時期には一般無料公開がされて
「東海一のボタン園」として、シーズンに成ると多くの花見客が訪れていますので
爺やも見頃を迎え好天に恵まれた、5月上旬に観に行って来ました
「お茶屋屋敷跡ボタン園」を訪れた時の様子をDBで纏めてみました。
お目に留まり、ご高覧頂ければ嬉しいです。
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