※ 不思議写真の一枚。
お写真は聖墳墓教会内に安置されている聖母マリア像に恩師が祈りを捧げ、光を送られると
お顔が何とも表現しようのない悲しみの満ちたものに変貌され御覧のように涙を流されました。
~ 恩師の「心行の解説」より ~
先の続き・・・
家庭の中では「ああ有難いなあ」と、心満たされて、家族の皆さんが心配することもなく、
仲良く暮らすことです。
高橋信次先生はよくおっしゃいました。
「家庭の中にハ、ハハ、ホ、ホホといって笑いの絶えないような、そういう環境をつくりなさい」と。
これが調和のとれた日々の生活のはずです。
家の中でもめごとや争いごとがあっては、絶対に幸せにはなれません。
いちばん安らぐべき場所である家庭に安らぎがなったら、幸せになる道理がありません。
また、満たされた環境を頂いておりながら愚痴や不足ばかり言っておられる方もあります。
あまりにも結構すぎて、それが当たり前だと思ってしまうのですね。
私たちが最も注意しなくてはいけないのは、「当たり前と思ってはならない」ということです。
当たり前と思うと、感謝を失っていきます。
調和のとれた日々の生活であるためには「三つの幸せの根元」といえるものがあります。
一、健康 二、足ることを知った経済の力 三、心の安らぎ
つまり肉体の調和と、調和した経済と、心の調和です。
この中のどれが欠けてもほんとうの幸せは掴めません。
これらが調和された時は心が穏やかですからエネルギーが失われることもありません。
神仏からは心のエネルギーを与えられ、心が安らかで何の心配ごともなく、
腹を立てることもなく、恨む人もいない、憎む人もいない、こういう時はとても楽に生きられます。
その楽な状態にあるから心に活力があり、また次の喜びを得て、
この喜びを人様にわかたなくてはいけない、お伝えしなくてはいけないという気持も湧いてくるはずです。
それにはまず自分自身が救われることが先決です。
~ 感謝・合掌 ~