※ 不思議写真の一枚。
このお写真は恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」の中にも紹介されていますが、
十戒でご存じのモーゼの泉を見学した帰りバスの車窓から見える夕空に浮かび上がったアラビア文字です。
ご著書には「何かが現れる」という意味であると翻訳されています。
~ 恩師の「心行の解説」より ~
先の続き・・・
以前、腰が痛くて身動きもできなかった方に、
あまりお気の毒なので光を入れさせていただくとたちまち治ったのです。
するとその方は自分が治っているのに「あら、おかしい、こんなことあるはずがない」とおっしゃるのです。
今まで痛くて身動きもできなかったのが治って自由に動けるようになっていても
「こんなあほなことはない」と怒り、帰り際には「こんなもの、
信じなさいというのは無理です」と捨てゼリフを残して行かれました。
ほんとうにその通りでして、普通は信じることはできません。
しかしイエス様はあらゆる病を癒され、人に道を教えられました。
しかも二千年昔の物語ではなく、現実に今こうして目の当たりに見せていただいているのです。
至らない未熟な存在ですが、私という肉体を通して、目に見えない力つまり神ご自身がお働き下さるから、
信じられないことが起きるのです。
神様は私たちの肉体を通してご自身を現わそうとして、常に待ち構えておられます。
神様と人間との媒体、パイプのようなものをどなたも持つことができます。
イエス様はどなたにもなれる法をお説きになりました。
「キリスト意識に目覚めなさいキリストに自分の肉体を預け、委ねなさい。
その時、キリストがその業をなされるであろう」と。キリスト意識とは、
私たち一人一人が持っている心の内なる神我のことです。
一人一人がキリストに目覚めた時、神はその人を通して神の御業を示されます。
己という自我があったら、神はお働きにならないのです。
近頃はだんだんと強いパワーを頂きまして、昨夜は十時を過ぎてから八人もお見えになり、
残業をさせていただきました。
八人が皆、足が痛い、お腹が痛いとおっしゃっていましたが、
「治りなさい」と言えばみなすぐに治ってくれましたね。
時間外手当を貰わなくてはいけません(笑い)。
まだ痛みのしつこい方から、名刺に光を入れてくださいと言われまして、
入れましたら、「あれ、治った」とおっしゃって、信じられないことが起きるのです。
実践の数が多くなればなるほど、そのパワーは強くなってきます。
私も当初は一人の方に治ってもらうのに、三十分、一時間もかかった時期がありました。
今でしたら「治りなさい」とひとこと言えばすぐ治ってくれます。
しかし皆が皆は治りません。全部治ったら、私は神様です。
人間ですから受けてくれる方の気根にもよります。また信じる信じないの度合いにもよります。
さきほどお話した方は、腰痛がパッと治ったのですが、
よそえ行って「こんなあほなことはない」と言ったとたん痛い痛いと戻ってしまって、
「これは不思議だ」と、おっしゃったそうです。
「汝の信仰、汝癒せり」といって、信じる力が、神の徳を頂くのです。
疑う方はなかなか治りません。癒されても、そんなことはないと否定しましたら、また痛みます。
~ 感謝・合掌 ~