※ 不思議写真の一枚。
恩師が中国の黄山に登られた際に撮影されたお写真の
恩師の左胸のところに光の十字が輝いています。
~ 恩師の「心行の解説」より ~
この前、三十過ぎの女性の方が、ふとしたご縁で訪ねてこられて、
この方はああ言えばこう言うし、こう言えばああ言うという方で、絶対にうんと言われません。
お顔を見れば苦しみを一杯背負った顔をしています。
あなたは幸せにならなくてはいけません」と言うと、「いや、私は幸せです」
「しかし、あなたのお顔は幸せとは違います。心の中にいっぱい苦しみを持っています。」
「そんなこと、あなたに分かるはずはありません」「いや、よく分かります」
こう言う具合で、何を言っても受け入れません。
この方はヨガの有名な先生についておられて、二十代の頃、
高橋信次先生のご講演を何回も聞いているのです。
その後ヨガの先生に質問したそうです。
「腹が立ったり、愚痴を言ったり、貪欲になったりしてはいけないと、
信次先生に学びましたが、そのように思ってはいけないのですか」そうすると、
ヨガの先生が「ばかやろう!」と怒鳴ったそうです。
「人間だったら腹を立て、愚痴も言え、貪欲になれ」と言ったのですね。
そして「大勢の前でばかやろうと怒鳴られて、わしの言う事が気に入らなかったら、
わしを恨め、憎め」と言ったのだそうです。
まあ、えらい先生があったものだと思います。
その方はもう亡くなっておられますが、有名なヨガの先生です。
お釈迦様の教えに全く反したことを教えておられます。
私たちはいわば荒れ果てた山と同じことです。
大きな木もあれば石ころもある原野、
つまり愚痴もあれば怒りもある荒れ山を良き畑にするには、
怒りの根を切り、愚痴の石ころを取り出し、貪欲の根っこを掘り返し開墾して、
もののできる畑になります。
畑ができて初めて良い種が播けるのです。
それを「腹の立つ時は腹を立てろ、貪欲を離すな」と言えば、
苦しみの木をどんどん成長させているようなものです。
これでは幸せになることは難しいと思います。
私たちの学びは、聖なる学びであり、聖なる実践です。
お釈迦様のお説き下さった心の安定を追求するものです。
怒り、愚痴、貪欲を持っておれば、心は絶対に安らぐことはありません。
つまり不調和な生活が現れてきますから、イライラした不安定な生活をするようになります。
人間の幸せは心の安らぎです。
安らぎを得るために私たちはそれなりの努力をしなければなりません。
真の安らぎとは、他に喜びを与え、
その時の他の喜びによって「ああよかった」という喜びを持つことで、
それが、大いなる安らぎに繋がるのです。奉仕です。無償の奉仕、愛の実践によって、
初めて大いなる安らぎが頂けます。
~ 感謝・合掌 ~